クローズド・サークルの完成
「輝夜、どうしたの? 具合でも悪い?」
「少しね。まだ休憩したいの」
太都は焦った。こんな薄気味悪いところ早く出たくて堪らなかったからだ。
しかし、輝夜を置いて行く訳にもいかない。そこで折衷案を出した。
「じゃあ、輝夜は洞窟の出入り口で待っていたらいいよ。一人で置いて行きたくはないけど、さすがに俺も修行をサボる訳にはいかないから」
「でも、私、ゆっくり安全なところで休みたいなぁ」
昨日輝夜を死なせてしまった手前、こう言われてしまうと太都は強く出られない。
輝夜はどうしてしまったのだろうか。昨日は洞窟への探索を急かし今日は宿屋に居たいと申し出る。まるで太都を危険な場所へ誘い込もうとしているようではないか。
何も言えずに黙ってしまった太都に、雪羅が空気を読まない発言をし、それが結果太都の助け船となった。
「おい、輝夜。昨日戦い方を教えてやったろう。怖気付くのはしょうがないが、教えた通り上手くやれば昨日みたいな事にはならない」
荒い気性の雪羅は輝夜をこれ以上休ませる気がないらしい。
輝夜は雪羅に強引に誘われ、断り切れなかったのか諦めの溜息を吐いた。
「……わかった。洞窟へ行く」
雪羅の脳筋が今回は上手く作用した。輝夜は引っ張られるように雪羅の手によって客室へ戻り、旅支度をさせられた。
皆が身を整えたのを確認し、太都達は宿から出発した。
先程の色っぽい女中が太都達を見送り、何の問題なく無事に宿屋から外へ一歩踏み出す事ができた。
記憶があやふやなせいで太都は至極不安に陥ったが、取り越し苦労だったようだ。宿の事は忘れて、これからの探索へと気持ちを切り替えようと前を向いた時――視界に入ってきたのは深く大きな谷だった。
そこで宿の目の前の橋が落ちていることに気が付く。
「吊り橋が落ちてる……?」
一行は大なり小なり焦るが、輝夜だけは何故か突然のアクシデントにも至って平静を保っており、感情のない目で無残にも崖へと垂れ下がる吊り橋を見ていた。
その様に太都は輝夜に対して初めて恐怖に似た感情を抱いた。
しかし、そんな考えはすぐに振り払う。
輝夜は太都にとって守るべき大事な人だ。恐怖心を持つだなんてとんでもない。
「参ったな、この宿から出るにはこの橋を渡らないといけないのだが……」
雪羅が難しい顔で腕を組んだ。
この宿屋は何故このような場所に建っているのかわからないが、四方が崖谷となっており唯一この吊り橋だけが向こう岸へ渡るための道となっていたようだ。
それが落ちてしまっては先へは進めないだろう。
この世界では魔法が使えるが、十メートルはありそうな距離を全員が安全に飛び越えることが出来る魔法などない。
先へ進めなくなった太都達は、泣く泣く宿へ引き返すこととなってしまった。
※
「あら、橋が落ちてしまったのですか」
宿の女中は然程驚きもせずに、太都の報告を聞いた。
「これで三回目だわ」
「橋が落ちるのはよくある事なのですか?」
「よく、という程でもないけれど、珍しくもないですねぇ。ただの吊り橋ですので」
「あの、ここから出る方法はないのですか?」
「ご安心ください。三日もすれば巡回している魔大工師が橋を架け直してくださいますし、落ちた時用の蓄えもあります。無料でよろしいので此方で休んでくださいな」
この世界には魔大工師という職業がある。木の魔法を得意とするものが魔法で木工建築をするというものだ。
週に一度この宿は橋が落ちた時の対策として、定期巡回を頼んでいるそうだ。
しかし、何故こんな不便で辺鄙な場所で宿を運営しているのだろうかと太都が尋ねたところ、女中は鬼と人間が泊まる宿という性質上、もしもの襲撃時に備え敢えて一本道にしているのだそう。
襲撃というのは、共存を嫌がる鬼や人間に襲われたり、逆に中で殺し合いが発生してしまった時、犯人を閉じ込め簡単に逃げられないようにするためだそう。
吊り橋ならば誰でも簡単に切り落とす事ができる。それが、宿屋でトラブルを起こさせない抑止力になっていると女中は太都へ冗談混じりに語った。
ただ、そんな緊急自体になった事は今まで一度もなく、風や経年劣化等、ごく自然的理由で落ちたことしかないのだそうだ。
「お客様、その他に聞きたいことはありませんか?」
「じゃあ、これからお世話になるので最後にお名前を伺っても良いですか? 俺は逸見太都といいます」
「私は、水鏡この宿で女中をしております」
水鏡は赤い口紅を三日月型にし、太都へ歓迎の笑みを返した。
「太都、こっち来いよ。酒があるぞ」
この宿は二階は客室。一階に風呂や客が共同で飲食に使える居間がある。その居間で寛いでいた雪羅が水鏡との会話を終えた太都を呼びつけた。
酒をぐいぐいと消費する雪羅の傍らで、時雨がキャバクラ嬢のようにお酌をしていた。
どうやらここにいるのは雪羅と時雨だけのようで、輝夜と微々の姿が見えない。
「太都さん、女中さんを口説いていらっしゃったのですか?」
「違うよ。色々聞きたい事があったの」
「女性を前にして何もしないだなんて、太都さんらしくないですね」
「別に俺はナンパキャラじゃないから。てか時雨酔ってる?」
時雨は顔をほんのりと赤くし、いつもの引き締まった固い雰囲気は柔らぎ、目をとろんとさせ表情も緩くなっていた。
「お酒を飲んだら酔うのは当然でしょう」
「そうだ。酔わぬ酒などただの水だ」
雪羅と時雨は楽しそうに笑い合った。
時雨は以前雪羅に親を殺されたと語っていたが、この光景は仲の良い友人同士にしか見えない。
実は時雨に一杯食わされたのではと疑い、太都は苦笑いを浮かべ頬を掻いた。
「太都、お前も入れ」
「ごめん、俺、お酒は……」
未成年飲酒禁止法など異世界にはないため遠慮する必要はないのだが、この二人の中に今入ったら弄り倒される事が容易に想像できたので太都はそれを警戒し、拒否をした。
「なんだつまらん」
雪羅は口を尖らせ、わざとらしく拗ねて見せた。そんな子供っぽい仕草をする雪羅が可愛くて、太都の心は少し揺らいだ。しかし、その揺らぎも女鬼との次のやり取りで消え去る事になるのだが……。
「太都、これ食べないか?」
雪羅がジャーキーのような物を太都に差し出した。
「何これ」
「人肉を干したものだ」
「い、いい。俺、ちょっと外に出てくる」
鬼が人肉を食す事は受け入れても、自分が口に入れる事には未だ抵抗がある。
太都は誤魔化すように、宿の外へと退散した。




