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宿

 太都達はその日は野営をし、寝心地の悪い石の上に身体を横たえて眠りについた。

 ――そのはずだったのに、朝起きるとふかふかのお布団の上に寝ていたのだ。


 太都は飛び起き、周囲の様子を伺った。広くはないが上品な和室で、隅々まで手入れがされている。

 自分は夢を見ているのだろうかと、頰っぺたを抓ってみたり、頭も左右に振ってみるも何の変化もない。

 ここは確かに現実のようだ。

 太都は起き上がり、他の皆を探すため部屋を飛び出した。

 襖の外には長い廊下があり部屋がいくつもある。

 緊急事態だが部屋を勝手に開けるのは躊躇われたため、廊下から中に向かって声を掛け続けた。

 誰からも返答はない。急に不安になった太都が階下へ駆けおりると、そこに皆は集合していた。

 居間のようなところで、太都以外の四人は雑談をしながら茶を飲んでいた。


「おおー、太都。やっと起きたのか」


 雪羅は悠長に太都へと手を振っていた。

 仲間の無事を確認し、太都は一先ず胸を撫で下ろした。


「おはよう、みんな。ところでここは何処なのかな? 朝起きたら知らない場所にいてすごく驚いたんだけど」


 太都以外の四人が顔を見合わせる。

 最初に口を開けたのは時雨だ。「寝ぼけるのはいい加減にして」と、辛辣な一言を太都に浴びせた。


「えっ……?」


 微々が太都の肩にぴょんと飛び乗る。


「昨日、輝夜さんの様子が変だからきちんとした所に泊まろうってこの宿に泊まったのよね?」

「そうだっけ……?」

「大丈夫か、太都。今度はお前が記憶喪失になったか?」


 雪羅は揶揄うように太都を小突いた。

 太都の記憶では昨日は野営したはずだ。太都達は人間と鬼の混成チームだ。

 人間の宿は鬼を受け入れないし、鬼の宿は人間を食おうとする。だから五人同時には町中には入れない。そういった理由から野営をして過ごしているのである。


 どう記憶を掘り返しても太都は、宿に入った記憶がない。

 本当に記憶喪失になってしまったのではと、太都は己の頭を抱えた。

 こんな風に不安になった時はいつも輝夜を見てしまう。

 しかし、輝夜は太都とは視線を合わせない。太都に対しての興味がまるでないようだ。


「お客様、顔色が優れないようですが……」


 宿の従業員と思しき女が太都へ声を掛ける。その女は長く黒い髪を頭の上で纏め、着物の隙間から覗く胸女性の平均よりは大きく宿屋に勤める女性にしては些か色っぽ過ぎるのではないかと感じた。


「大丈夫です。少し疲れているようで」


 太都が愛想笑いを浮かべ、心配ないと手を振ると女性従業員は赤い口紅を三日月に変えながら、太都の手を握った。


「あ、あの……」

「疲れを癒すお手伝いならいくらでもできますわ。何でも言ってくださいまし」

「本当に、大丈夫なので!」


 ここは色宿も兼ねているのだろうか、それならこの従業員の色っぽまさにも納得ができる。

 太都の心臓はバクバクと鳴り、逃げるように仲間達のいる座席へと着いた。

 太都としては興味がないわけではないが、どうしてもこの手の春を売るサービスには怖さが勝ってしまうのだ。


 皆の輪に加わるように座った太都に隣にいた時雨がそっと耳打ちをする。


「いいのですか? 断って。女性好きの太都さん」

「まだ、それイジる? いや、まぁ、嫌いではないけどさ」


 時雨は、珍しくほんの少し口角を上げ、真顔と変わらないような笑顔を作った。

 初めて見る表情の変化に、太都はドキリと胸が鳴り照れを隠すように時雨から顔を背けた。


 太都は宿をぐるりと見回す。

 自分達の他にも客は在り、その客層に鬼と人間の境はない。

 この世界に来て、鬼と人間の対立を目の当たりにしてきた太都には俄かに信じられない光景だった。


「雪羅、何でこの宿は鬼と人間が自由に出入りしているのだ?」

「それは、ここがそういう宿だからだろ?」

「共同で利用出来る宿って事? 俺は初めて聞いたけど」

「そりゃあ、お前はここに来て日が浅いから知らなくても当然だ」

「雪羅に鬼と人間は共存が難しいから宿には泊まれないって前に聞かされたけど」

「基本はそうだが、こういう例外も偶にはある。ごく僅かな例外の話まではしなかっただけだ」


 筋が通っていないわけではないが、太都としては腑に落ちないものがあった。

 己の記憶上昨日は間違いなく野営をしていた。ただこの場でその記憶を持っているのは太都だけ。

 客観的に考えれば間違った記憶があるのは太都の方なのだろう。

 太都は自分の記憶が間違えている場合の可能性を考えてみた。昨晩眠っている間に何者かが太都に偽の記憶を植えたのだ。

 しかし、それだとそれをした者の目的がわからない。

 野営をしたと思い込ませる事に何の意味があるのだろうか。

 では、他の皆に何らかの理由で偽の記憶を植えたとしたらどうだろう。何らかの魔法で偽の記憶を作られ、この宿へと宿泊する事に対しての違和感をなくす。

 しかし、それでも目的はわからない。太都達の命や所持金が目的なら眠っている間に犯行すれば良いのだ。

 安全に眠り、朝全員揃った状態で無事に目を覚ます。まったく目的が見えないではないか。

 目的が見えないのは気持ちが悪いが、今のところ太都やその仲間に異常は見られない。ならば深く考えない方がいいのだろうか。


「えっと、みんな。今日もこれから洞窟探索をするんのだよね」


 太都は早くここを出たくて、急かすように仲間に進言した。


「そうだな、そろそろ出るか」


 リーダー的役割の雪羅が同意すると、時雨も微々も腰を上げた。ただ、輝夜だけは動こうとしない。


「輝夜……?」

「ねぇ、ダーリン。お願いがあるの」


 輝夜は薄笑いを浮かべながら太都を見た。

 何故だろう……、輝夜の笑顔を見て太都の心は凍えた。

 彼女のこの後に続く言葉が予想出来てしまったからだろうか。


「私、もう一晩この宿で休みたいわ」


 輝夜は太都の腕を取り、愛らしくおねだりして見せたのだった。

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