アニキと俺
「ふう、スッキリした」
シャワーを浴びたあと、タオルで髪をふきながらリビングへと戻る。
すると、俺以外の家族全員が集まってソファーに座っているのが見えた。
―――あれ?今日は日曜だよな……。
仕事が休みになる日曜日は、いつも遅くまで寝ている親父までいる。
―――……もしかして。
これはあれだろうか。
昨日のアニキの゛俺がなんとかする"発言。
だとすると、行動が早いよなぁ…アニキ。
そう思いながらソファーへと近付いた。
アニキが俺に気付いて、目で隣に座るように促す。俺はそこに腰を降ろした。
「さて……」
親父がまだ寝足りない顔でまぶたを擦る。
「愛佳ちゃん、みんな揃ったよ。全員に聞いて欲しい話って何なのかな?」
どうやら愛佳がみんなを集めたらしい。
てっきりアニキが話しをするために集めたんだと思ったけど、どうやら違うようだ。
愛佳は膝上で手をぎゅっと握りしめると、決意したように言った。
「―――……ごめんなさい。あたし、外国には行けません」
「愛佳……!!あなたまだ何を言って……!」
義母さんがそう言って立ち上がろうとするのを隣にいる親父が止める。
そして親父は愛佳に顔を向けた。
「行かない…ではなく、行けない……か。
愛佳ちゃん。外国に行きたくない、何か理由があるんだね?」
愛佳は強くうなずく。
そしてまっすぐ前を見て言った。
「……義父さん、お母さん。あたし、好きな人がいます」
「愛佳、あなたそんな理由で……!!」
「いいから、愛佳ちゃんの話をきこうじゃないか。な?」
またも話し出した義母さんをやさしく親父が止める。
俺は、親父の人の話を最後まで聞くことのできる部分を尊敬していたりする。結構簡単そうでなかなか出来ないことだからだ。
「あたし……いまここから離れたら絶対後悔する。だって好き人のそばにいたいの。離れるなんて嫌。その人に会えなくなるなんて嫌なの。今ここを離れたら、自分が駄目になる。きっと、何もしなかった自分が嫌いになる……!!だから、ごめんなさい。一緒には行けません!!」
膝に頭をついて深くお辞儀をする。
親父は困ったようにこめかみをかいた。
「好きな人……か。そうか、そうなのか………。ええと、どうするべきかな……」
今度はさっきとは逆に、義母さんが親父の膝上に手をかざして止めた。
「愛佳、それは初恋?」
真剣な顔をして尋ねる義母さんに愛佳は頷く。
「……初めて、こんな気持ちになったの。その人から目が離せなくて、その人が笑うと嬉しくて……でもほかの人と話してるのみると、なんか苦しいの」
胸に手をあてて、まぶたを伏せる。
薄くあいた瞳に長い睫毛が被さって、瞳の奥が見えなくなった。
「こんな気持ちをくれるのはその人だけなの。
お母さんたちと離れるのは寂しいよ。だけど、今はこの気持ちを大切にしたいの……」
愛佳と義母さんは瞬きもせずにお互いを見る。
義母さんはふと視線を外すと、ため息をついて笑った。
「そう、もうそんな年頃なのね。まだ子供だと思ってたけど……」
義母さんは立ち上がった。
「お母さん、愛佳の好きな人分かっちゃった。そう、だからそんなにここにいたいのね……」
「えっ!!わ、わかったの!?」
愛佳が恥ずかしそうにうろたえる。
ふふ、と寂しそうに笑うと、義母さんはアニキと俺を見て、深く頭を下げた。
「愛佳はここへ置いていきます。愛佳を、よろしくお願いします。」
アニキが隣で頷くのが見えた。
「はい。何事も起こらないようにしますから、安心してください。な、イサ」
アニキに話を振られて慌て俺も頭を上下に何度か動かした。
「は、はい!大丈夫です!!」
そんな俺の姿が可笑しかったのか、今度は明るく微笑んだ。
「ホントはあたしもここへ残りたいくらいなんだけどね……」
「お、おい……」
親父が目を剥いて慌てる。それはそうだろう、一人で外国にいくのは寂しすぎる。しかも新婚で。
そんな親父の姿にみんなが笑う中、愛佳は放心したように下を向いていたた。
「愛佳………?」
俺が声を掛けると、ビクッとして顔をあげる。
そしてみるみるうちに顔が朱くなった。
「――――………っ!!
あたし、ここに居てもいいの!?外国にいかなくてもいいの!?」
「―――遅っ!!」
俺は思わずつっこんだ。
義母さんが微笑む。
「……ええ、いいわよ」
愛佳は両手を高く上げると、大声で叫んだ。
「やっっ……った―――――――――――!!!」
「……うるさい」
アニキが親父達に聞こえないよう小声でボソッと言う。
まぁ、たしかに耳が少し痛くなったけど。
ああ、でもよかった。本当に嬉しそうだ。愛佳の明るい顔が見られてよかった。
「じゃあ、この話は終わりね。朝ごはんにしましょう」
義母さんは台所へ向かう。
「俺はもう少し寝るわ……」
親父はそう言うと、寝室へと戻った。
「お兄ちゃん!!あたし、ここにいていいんだって!日本に残れるんだって!!」
愛佳まだ興奮しているのか、顔が朱いままだ。
「よかったな」
「うんっ」
愛佳は深く頷くと、くるりと顔をアニキの方へ向けた。
「…………翔良、ありがと。あんたに言われなかったら、ちゃんと話そうなんて思わなかった」
「――……別に、お前のために言った訳じゃない」
―――?アニキが愛佳に何か言ったのか?
「アニキ……何か言ったの?」
俺の質問にアニキが答える気がないのを見ると、愛佳が話し出した。
「今日の朝ね、翔良があたしの部屋に来てね……」
『―――泣かず、喚かず、嘘をつかずに自分の気持ちを正直に伝えろ。真剣に言えば相手の心に届く。それでも駄目な場合はオレが援護してやる。だからきちんと話せ』
「そう、言ってね。みんなを集めてくれたの」
「…………」
ちょっとびっくりした。アニキのことだから、アニキが親父達を口で上手く丸め込むものだと、失礼なことを思っていた。
そういえばアニキは口は辛辣になることがあるけど、嘘はあまりつかないよな……。
「あ、じゃあ朝ドアの所にいたのって、俺のこと呼びにきたんだアニキ」
「……まぁな」
でもなんで呼ばなかったんだ?
俺が汗をかいてたから、急がせないように言わなかったのか?
………たぶんそうだろう。アニキは俺にすごく甘い。
こんなに早く行動を起こしてくれたのも、愛佳のためじゃなく、俺が落ち込んでいたせいだろう。
いや、自惚れではなく。そうだと断言出来るくらいに、アニキはブラコンだった。
「イサ、貸しだからな」
アニキが俺の目をみてそう告げる。
やっぱり俺のためだったか……。
「オッケー、分かったよ。いつか必ず返す」
そう俺が言うと愛佳が少しむくれた。
「あたしの貸しなんだからあたしが返す!!お兄ちゃんが何かする必要ないよ!!」
「……だからお前の為に言った訳じゃないと言っているだろう。というよりも、オレはむしろお前がここに残るのは不満だ」
アニキがそう言うと愛佳は顔を再び赤くした。今度は怒りで。
「―――っ!じゃああんたが外国に行きなさいよ!!ていうか、なんであんたは外国に行かないのよ!!」
「イサのいない所にオレが行くわけがないだろう」
さらりとアニキは爆弾発言をかました。
―――……なに言ってんだアニキ。
俺がそう言ってつっこむ前に、愛佳がさらなる爆弾発言をした。
「―――っ、そうよね!あんたお兄ちゃんのこと好きだもんね!!
お兄ちゃんの寝込み襲ってキスするくらいだもの!!」
―――――……え?
アニキが眉を寄せて愛佳を強くにらむ。
愛佳もアニキをにらみ返した。
―――――……ちょっと、待って。今、何て言った?
キス……って、キスのことだよな。
アニキが、俺に?なんで?
「愛佳、なに冗談いって…………」
そう言って笑おうとしたけど、笑えなかった。
アニキも愛佳も真剣な顔をしていたから。
だから、笑えなかった。
静まり返ったリビングの中、アニキがため息をついた。
そのため息に、俺の肩がビクッとなる。
「―――見られてたのか。……一生、バラすつもりはなかったんだがな」
………何を?
「まぁ、いい。……イサ。貸しは今返せ」
え………―――?
隣に座るアニキの手が、俺の頭を引き寄せた。
瞬間、何が起こっているのか分からなかった。
愛佳の息を飲む音がきこえた。
アニキの整った顔がぼやけて見えなくなるくらいに近づけられて、唇に何かが触れる。
キス―――されているんだと気付いて、止めようとした。
「……アニ…キ、やめ……っ」
口をあけるとアニキの舌が入ってきて、さらにキスが深くなる。
舌を絡め取られて身体が震えた。
震えたのは怯えか、それとも………―――――。
唇が離れてアニキの手が頭から外れると、身体はそのままズルリとソファーに沈み込んだ。
頭が真っ白で、何も考えられない。
それでも力の入らない身体をなんとかソファーから起き上がらせて立ち上がる。
このままここにいることはできなかった。
アニキの顔も愛佳の顔も見たくなかった。
………見るのが怖かった。
俺は俯いたまま震える足を動かし、逃げるように部屋を飛び出した。