義母と愛佳
『……うわー、ねてないんじゃないか?愛佳』
アニキが愛佳を呼んでリビングに来た瞬間、そう思った。それほどひどい顔をしていたから。目の下がかなりやばい。
アニキはどうなんだろう?そう思ってちらっと見たけど普段と変わらなかった。もともとあまりアニキがひどい顔をしているのを見たことがない。寝ても寝なくても顔はいつも通りだ。顔の皮が厚いのだろうか?
そんなことを考えた後、すぐに視線を下に落とした。
二人と目を合わせにくい。……いや、義母さんもあわせて三人だ。昨日のあれを知られたんだと思うと、なんだかもう恥ずかしくて逃げ出したい。
そもそも義母さんが愛佳につけさせたいケジメってなんなんだ?
「おはよう、二人とも。そこに立ってないではやく座って」
義母さんがそう急かすと、アニキも愛佳も無言でイスに腰を掛けた。
………気まずい。アニキが隣に座るのはいつものことなのに、体が緊張のせいか強張る。
「さて、二人の朝ごはんは話が終わった後でね。」
みんなが座って落ち着くのを見ると、義母さんが手をテーブルの上で組んで話しだした。
「翔良くんごめんなさい。昨日、聞くつもりはなかったんだけど聞いてしまったの。………やっぱり、無理矢理するのはよくないわ」
グッとのどがむせた。
叱るところはそこなのか?無理矢理じゃなかったらいいのか?兄弟なんだけど……。
「ああ、聞いてしまいましたか。ええ、そうですね。すみません」
アニキが平然と答える。
………なんでそんなに冷静でいられるんだアニキ。隣にいる俺の方がいたたまれない気持ちになった。
「親父は気が付いていましたか?もし知らないなら、黙っていてもらえるとありがたいのですが」
「大丈夫。旦那は気付いてないわ。もちろん言わないわよ。旦那が知ったら倒れてしまうわ」
それはそうだろう。俺も倒れたいくらいだった。
しかしなんでこの二人は普通のことみたいに話してるんだ?俺は貧血を起こしそうなほど会話の内容がつらいんだけど。はやく話を終わらせてくれないだろうか?
そんなことを思っていると、義母さんが愛佳に話し掛けた。
「―――愛佳」
さっきまでとは違い、厳しい声になる。
「あなたは昨日、してはいけないことをしたわね」
愛佳はギクリと義母さんを見た。
「人の気持ちを勝手に言ったのはなぜ?いけないことだって、分かってるわよね」
愛佳は少し震える声で答えた。
「………翔良が、あたしを邪魔者扱いしたから……だから……」
「そう、だったら勝手に人の気持ちを言っても言ってもいいの?あなたは家事も出来ないわ。翔良さんにこれから迷惑をかけるのは目に見えてる。それでも残りたいって言ったのはあなたよ。これから邪魔にならないでやっていけるって、自信を持って言えるの?」
愛佳は唇を噛んだまま答えなかった。否定できないことが悔しいんだろう。泣きそうな愛佳をかばいたいけど、母子の会話に口を挟むのははばかられた。
義母さんは一つ溜め息をつくと、愛佳にキツイ目線を向けた。
「愛佳。私が本当に怒っているのは、あなたが卑怯だったからよ」
ビクッと愛佳が肩を震わせる。
「自分の気持ちを言わずに人の気持ちだけを言ったのはどうして?自分の気持ちを伝える勇気がないのに、人の気持ちを言うのは卑怯なことじゃないの?」
「…ご、ごめんなさ……」
「あたしに謝らなくていい。謝る相手が誰だか分かっているでしょう?」
愛佳が一瞬黙った。その後つらそうに、でも悔しそうに眉をよせて口を開く。
「…………ごめん……翔良」
「別に。気にしていない」
まるでたいしたことがないような、そっけない態度を取る。そんなアニキを見て、ふと思った。
アニキにとって、昨日のことにあまり意味はないのかもしれない。
恋愛感情じゃなくて、ブラコンの延長みたいなもの……だとか。いや、でもあのキスはやり過ぎな気がする………。
「勇雄くん。顔を上げて、真剣に聞いてほしいの。これから愛佳が言うこと」
義母さんの言葉にゆっくりと顔を上に向けた。
愛佳が何か俺に伝えたいことがあるんだろうか?
「愛佳、ちゃんと言えるよね。自分のケジメをつけられるわよね」
愛佳はうなずくと、これ以上ないくらい真っ赤な顔で、でも、真剣な顔をして俺を見た。
―――何だろう?そんなに大事なことなんだろうか。
「―――……お…にいちゃん、あたしね………」
ガタッ―――
と、突然リビングに鳴り響いた。音のした方に振り向くと、アニキがイスから立ち上がっていた。
「………アニキ?」
腕を掴まれて身体を立ち上がらせられる。俺の腕を掴んだままカバンを二つ、俺の分まで持つと、リビングから出ていこうとした。
「ちょっと!!翔良!!なんでお兄ちゃん連れてくのよ。あたしまだ何も言ってないのに!!」
ふと立ち止まると、アニキは愛佳に視線を向けた。
「ケジメをつける必要はない。お前は言わなくていい。黙ってろ」
「な…んでっ!!」
「お前の気持ちをイサに伝える必要はない」
切り捨てるようなアニキの言い方に、愛佳の眉が吊り上がる。
「あんたにそんなふうに決められたくない!言うったら言う!!」
愛佳はイスから立ち上がると、早足に俺とアニキの方へと向かって来た。
なんだろう?と思っていると、愛佳に勢い良く制服の襟元を引っ張られて身体がぐらりとかしぐ。
「うわ……っ」
転ばないように足を踏み締めると、目の前に首を精一杯のばした愛佳の顔があった。
唇が、一瞬触れる。
そのとたん後ろから腕を強く引っ張られて、すぐに離れた。
「行くぞ」
不機嫌な声が聞こえた。でも、思考が止まってしまったようになにも考えられない。体を動かせない。動かない俺を、アニキは引き連って玄関へと向かった。
愛佳がその後から追い掛けてくる。
「お兄ちゃん!あたし、お兄ちゃんが好きだよ!!」
大きな声で叫ぶ愛佳の声が耳に届く。俺は驚いて振り返った。
それでもアニキの足が止まることはなかった。俺は無理矢理くつを履かせられると、玄関の外へと連れ出された。
バタンとドアの閉まる音がする。
「………あのガキが」
地を這うようなアニキのつぶやく声が聞こえた。その言葉に反応することも出来ず、あれほど避けたかったアニキと登校することにも気付かずに、ただ呆然としたまま、腕を引かれて学校へと連れられていった。