義母と俺
―――………夜が明ける。
まだ暗さは残っているけれど、だんだんと空が明るくなってきた。
窓の外をベットの上に座って見ていた俺は、ため息をついてベットを降りた。
―――アニキが起きる前に学校へ行こう。
学校はまだ開いてないかもしれないけど、その時は公園にでも行けばいい。
とにかくアニキと顔を合わせたくなかった。
昨日は、一日中部屋で過ごした。体調が悪いと言って、義母さんも、愛佳も、……アニキも部屋に入れなかった。
一晩中考えたけど、訳が分からなかった。
『―――あんた、お兄ちゃんのこと好きだもんね』
―――好きって、なんだ?
家族としてなら俺もアニキのことが好きだ。尊敬してるし、いつも助けてもらって感謝してる。
………でも、キスしたいなんて思わない。てか、思うわけない。
だって、男同士だぞ。いや、その前に兄弟だそ?
手で髪をくしゃりと掴んで掻き回した。
「あ――、親父達について行きたくなってきた……」
――いや、無理だけど。
――外国、まだ怖いし。
「学校……行こ」
こんな気持ちのままアニキには会いたくない。会っても、どうすればいいか分からない。
同じ家にいるからいつまでも避けていられないのは分かっている。
でも今は、一日でも、数時間だけでもいいから顔を合わせたくなかった。
着替えをすませて静かに階段を降りる。
リビングの前を通り過ぎると、ふいにリビングのドアが開いた。
「うわ……っ」
驚いて声をあげる。しかしまだ夜明け前だと思いだして手で口を覆った。
アニキかもしれない……そう思い、緊張しながら振り向いた。
「驚かせた?ごめんね」
そこには申し訳なさそうな顔で立つ義母がいた。
少し安心して、小さくため息をついた。
「いえ、こんな時間に誰かが起きてるなんて思わなかったから」
そう言って笑った俺に義母が話し掛ける。
「ちょっと、勇雄くんとお話したいんだけど、いいかな?」
まだアニキが起きてくるまでには時間があるだろう。そう思って頷いた。
「え………?」
驚いて口を開けた俺に、義母が少し笑って今話したことを繰り返した。
「だからね、来週から行くことになったの。アメリカ」
義母はヤカンを火にかけると、テーブルのイスに座っている俺と向かい合うように腰を下ろした。
「急な話よね。旦那の方は代わりの人がもう見つかったから、今のグループ研究から外れても大丈夫なんですって。でもあたしは違うじゃない?まだ新しい人も決まってないし、今日会社に言わなきゃいけなくて、もう気が重くって」
義母は困ったように眉をよせた。
俺は驚いたまま義母を見つめた。いや、目線だけ向けていただけで、本当はなにも見えていなかった。
―――……来週。そんなに早く。今の状態で?
親父たちがいなくなることを、今は心許なく感じる。前までは親父たちが外国に行ってしまっても、平気だと思っていた。無意識にアニキに頼り切っていたんだろう。アニキがいるから大丈夫だと思いこんでいた。
でも、今は……――――
コトン、という音がして顔を上げた。
「勇雄くん、どうぞ」
テーブルにコーヒーとトーストが置かれていた。義母が席を立っていたことにも気が付いていなかった。
「……いただきます」
そうは言ったものの、正直食欲が湧かなかった。昨日から何も食べていないせいか胃が受け付けようとしない。
「食べられない?お粥でも作ろっか。昨日食べてないものね」
「いえ、大丈夫です」
慌てて朝食を食べ始める。ゆっくりしているとアニキが起きてきてしまう。そう思って義母に話しかけた。
「あの、話って?」
「…………」
少しためらった後、小さく微笑んで口を開いた。
「ごめんなさいね。勇雄くんが大変な時に三人だけにさせてしまうね」
「………え?」
俺が、大変?
何のことを言ってるんだろう?
「………ごめん、聞いちゃったの。昨日、朝ごはん出来たときに呼びにいったらね、その時に……」
昨日―――――。
「……っ!!」
なんの事が気付いて真っ赤になった。
「あ…あれっ、あれは……っ」
口がパクパク開くだけで何の言い訳もでてこない。
どうしよう。なんて言ったらいいんだろう。
でも自分自身さえなにも理解出来ていない状態で、何も言える訳がなかった。
「……あ、あのね。驚いたんだけどね。でも前から翔良くんの勇雄くんに対する態度って、兄弟にするよりも甘いなって思ってたのよね。まるで恋人にするみたいっていうか……。だから昨日聞いてしまった時、妙に納得しちゃったわ」
思わず食べた朝食を戻しそうになった。
甘いって……。恋人にするみたいって……。そんな風に見えていたのか。
そういえば義母さんとこんなに長く話したの初めてじゃないか?その会話の内容がこれか。
俺は深くうなだれたまま顔を上げるのが嫌になった。
恥ずかしさと、この会話の中身に嫌気がさして。
「来週の出発はいきなり決まったの。おとついの夜、旦那の会社から電話があってね。アメリカで急いで取り掛かりたい研究があるから、すぐに来て欲しいんですって。昨日、翔良くんと愛佳には話したんだけど……」
話がふと途切れたので、気になって顔を上げた。
義母さんはまっすぐに俺を見ていた。
「ごめんね。愛佳が馬鹿なことをして」
「……?」
愛佳が?何かしたっけ?
覚えがなくて首を傾げると、義母さんは少し口の端をあげて笑った。
「人の気持ちを勝手に他の人が言ってはいけないわよね。その人が相手に伝える気持ちがないならなおさら………そんなことも出来ない子に育ててしまったのね。あたし」
「えっと……あの…」
落ち込む義母にどう言ったらいいかわからなくて慌てていると、いきなりリビングのドアが開いた。
ギクリとしてドアの方へと振り向く。
視界に入ってきたアニキの姿に慌てて目を逸らす。アニキの目が一瞬揺れたように見えたけど、気のせいかもしれない。
「俺……っ、もう行きます!!」
立ち上がると、義母さんに手を掴まれた。
驚いて見ると引き止めるようにして首を振る。そしてアニキに話し掛けた。
「翔良くん、愛佳を呼んできてくれるかな?」
アニキは頷くと二階へ戻って行った。
「あの………」
手を掴まれていて逃げることができない。手を振り払う訳にもいかない。
「ごめん、勇雄くん。愛佳にケジメを付けさせたいの」
「……………」
―――ケジメ?
―――どうして愛佳が?
義母さんの言っていることがよく分からない。それよりも今すぐに、ここから逃げたかった。でもあまりにも真剣な顔で腕を掴む義母さんを前に、俺はただアニキたちが降りてくるのを待つことしか出来なかった。