三 「窓」
僕が小学三年生の九月。平日なのに学校を休まされて、新幹線で一時間の母親の実家に行った。
大事な親戚の集まりだって聞いたけど、内容は何も教えてくれない。父も母も黙って難しい顔をしてるばかりで、今なら深刻な空気とか読めるけど、当時は分からなくて。学校を休めて駅弁を買ってもらって、僕は上機嫌だった。
母の実家は大きな農家で、田舎ならではの大きくて古い家だった。廊下の角とか薄暗くて、夜は怖くて近寄れなかったりした。
この日もいつも通り、いとこと遊んで、夜は好物だらけのご馳走を腹一杯食べた。風呂に入って寝ようとしたら、祖父がやってきた。
「ついて来なさい」
なんだろうと思ってついていった。電気をつけていても薄暗い廊下を曲がり、家の奥に進む。なんだか気味が悪くて、置いていかれないように早足で歩いた。
「今夜は、この部屋で寝なさい。一人で」
突き当たりの壁だと思っていた向こうに、六畳ほどの部屋があることを初めて知った。差し込んだ明かりで、布団が敷いてあるのが分かる。
「いいか、よく聞け。寝ていて人の声がしても、目を開けるな。返事もするな。布団をかぶって黙ってろ」
ここで僕はようやく、何かまずいことに巻き込まれていることに気づいて青ざめた。
「や……やだよ……」
「じいちゃんも、お母さんもやったんだ。今日はお前の番だ」
祖父は半泣きで抵抗する僕を軽々と部屋に押し込み、布団に入れと促した。仁王立ちする祖父が、廊下の明かりで真っ黒なシルエットに見えて恐ろしくなり、僕は泣く泣く布団に入った。
「いいか、目を開けるな。返事もするな。明るくなったら迎えに来るから、それまで頑張れ。いいな?」
壁だと思っていた木戸が閉められ、何かで開かないようにされたのが音で分かった。部屋は真っ暗で、目の前に手を持ってきても全く見えない。怖くて心細くて、僕は泣きながら横になった。
目が慣れてきて、天井近くに小さな明かり取りの窓があるのが分かったけど、この日は月が出ていなかった。高い天井に何か潜んでいるような気がしてきて、僕は頭まで掛け布団をかぶり、必死に羊を数えた。そして、いつの間にか眠ったらしかった。
(この子は、清十郎に似ておるのう)
(おお、いちばん似ておるのう)
(賢そうじゃのう)
(そうじゃのう)
こそこそと話す声で目が覚めた。少しして、自分が置かれた状況を思い出す。
――「目を開けるな。返事もするな」
(さっそく取り立てるか)
(おお、これで終わりか)
(ようやく終わるのう)
(人間は儚いからのう)
息をつめて耳を澄ます。天井の方から、男とも女ともつかない声がしてくる。僕は目を固く閉じて、恐怖に耐えた。
(終わりじゃ)
(これで終わりじゃ)
(これで清十郎も)
(天に昇れるというものじゃ)
声が、窓から出ていくように感じた。静けさが戻り、僕は再び眠りに落ちた。
翌日語り聞かされた物語を述べよう。
母の先祖に、清十郎という子供がいた。
子供が元気で成長することが難しかった時代、清十郎の兄や姉も次々と幼くして命を落とした。
清十郎は七番目で、ようやく無事に育った子供だった。
しかし、その清十郎までも、九つで病に倒れる。
大事な一人息子を助けたい一心で、両親はありとあらゆる神仏に祈祷を捧げたのだそうだ。
寿命には抗えぬとのお告げにも諦めきれぬ両親に手を差しのべたのは、あろうことか鬼神であった。
『助けてやってもよいが、与えた命は子孫から返してもらうぞ』
両親は、一も二もなく飛びついた。
清十郎はめきめきと健康になり、立派な青年となり、家を継いで豪農と呼ばれるまでに家業を拡大し、七十九歳まで生きた。
その七十年の「余生」を、代々少しずつ返しているのだ――
「それからは、新しく生まれた子供が九つになって最初の九月九日の夜、鬼神の使いが取り立てにやってくるのだ」
真っ赤な目で下を向く母を見るに、この話は真実なのだろうと僕は思った。すると、僕は昨夜、いくらか寿命を削られたのだろう。
しかし、清十郎が九つで死んでいたら僕は生まれていないわけで、返せと言われても仕方ないかもしれないと思った。
「さあ、みんなで墓参りに行くぞ!」
祖父が高々と右手をあげると、まわりから拍手が起きた。今朝、僕の布団の上に乗っていた紙だ。
「完済」
古ぼけた薄黄色の紙に、黒々とした墨。
「これで清十郎も、心置きなく成仏できるだろう」
大人たちはお祭りのように騒いでいる。それにしても、ずいぶん親切な鬼神だよな。案外、守り神だったんじゃないのかな。僕は、ぼんやり考えていた。