二十三「カーテン」
隣のアパートの空き室に、新しい人が引っ越してきたようだ。今まで何もかかっていなかったサッシの向こうには、青いカーテンがかかった。あまり細かいことにはこだわらないようで、いつもカーテンには隙間があいている。テレビがちらりと見える。
ただ、もう1週間ほど経つが、未だに窓際に人が立った影を見たことはなかった。
「いやー、実は私もまだ見てないんだよねー」
そのアパートに住む知り合いを見かけて、声をかけてみた返事がこれだ。最近は昔のように、アパート全体に引っ越しそばやタオルを持って挨拶に回ったりしない。むやみにプライバシーを他人に教えない、それが重要な時代なのだ。
しかし、せめて両隣と上下には挨拶したほうが、のちのち良い。私はここに引っ越すとき、不動産屋にアドバイスというか指示された。そのお陰か、今のところトラブルはない。
そういえば、カーテンが開いたのを一度も見たことがない。夜は当たり前だが、昼もしまりっぱなしだ。まあ仕事なのだろうけど。
「別に挨拶に来いって言うわけじゃないんだけど、やっぱりどんな人か分からないってのは、気持ち悪いよね」
プライバシーを晒したくないのも分かるが、どんな人がいるか分からないのも気味が悪い。敷地内を歩いている人が、住人なのか不審者なのか、区別がつかないのだから。
結局一度も、カーテンが開いたところを見ないまま夏を迎えた。今日も隙間からテレビがちらりと見えている。
日曜日の朝、外に出るとトラックが停まっていた。例の部屋の作業のようだ。まだ半年なのに、もう引っ越しだろうか。近所から何人か集まってきている。みんな気になるのだろう。誰かが、スタッフに声をかけた。
「お引っ越しですか?」
その人は、とても不思議そうな顔をした。
「引っ越しも何も、ここ、誰もいませんよね」
驚いたのはこちらだった。
「いやいや、だってカーテンかかってるじゃないですか」
「いやこれ目隠しですよ」
「目隠し」
「ちょっと、今から開けますんで」
スタッフが2人、部屋に入っていく。すぐにカーテンがシャッと開いて、初めて中が見えた。ダンボールの山。家具はひとつもない。
「え、だって」
「テレビは? テレビ」
「ないですよそんなの」
サッシを開けてもらったので、みんなで覗きこむ。本当に、部屋の中にはダンボールしかなかった。
「なんで? 毎晩見てたよね」
「電気ついてたよね」
「気のせいじゃないですか? ここはもう、前の人が出てから誰も契約してないですよ。ブレーカーも落としてますし」
「ちょっと会社の方で事情がありまして、一時、物置に使ってたんです。やっと引き上げられるので、また入居者募集かけますよ」
いったい、どういうことなのか。では、あの毎晩見ていた光は何だったのか。テレビには何が映っていたのか。
「……前の人って、別に普通に引っ越してったよね?」
「え、どういうこと?」
「いや、ほら事故物件、とかさ」
「期間あけるために、ってこと?」
「誰か引っ越すところ見ました?」
「わたし見たけど、そういえば業者しか見てないような……」
「1階の角部屋とか、いい部屋、物置にしますかね……」
「……」
「……」
スタッフたちは手早く作業を終え、帰るところだ。
「事故物件? いやー聞いてないですねー、中もきれいですよー」
誰一人、動揺さえ見せなかった。私たちの考えすぎかもしれない。
でも、あの光は。あのテレビは……。
目隠しと日焼け防止とかで、青いカーテンはかかったままだ。
ちらりと隙間があいている。夜が怖い。




