二十二「自動販売機」
20年前、高校を卒業した僕は、とある飲料メーカーの営業所に就職した。社会人としての基礎から自社の商品知識、流通の仕組みや世界経済にいたるまで叩き込まれた1年間はあっという間に過ぎ去り、2度目の4月。僕はいよいよ、一人で外回りをすることになった。
仕事は、自動販売機の商品補充。トラックの扉部分に、真新しい担当者名プレートを差し込む。やる気と不安がせめぎあう。
「いよいよ明日デビューかあ。頑張れよ」
「はい、頑張ります!」
声をかけてくれたのは、営業所で一番古参の社員。50代で、僕の父親よりも年上だった。
「お前、やる気あるから、いいこと教えてやるよ」
「何ですか?」
するとその人は、ちょいちょい、と手招きした。耳を寄せる。
「あのな、ちょっと墓場行ってこい」
「あそこ行くんですか?!」
思わず大きな声が出た。墓場とは、古くなって交換した、処分待ちの自動販売機がたくさん並んでいるところである。
「そんなこと言うな。墓参りは大事だぞ。デビュー前にはそこに行って、俺たちの仕事道具に感謝するんだ」
「なるほど……わかりました」
「一列一列、よく見ながら歩いてこいよ。それと、これだ」
彼は作業着の胸ポケットから100円玉を取り出すと、僕の手に持たせた。
「のど渇いたら、なんか飲んでこい」
営業所の敷地にずらっと並ぶ、古い自動販売機たち。大幅な入れ替えがあったばかりで、この時には10台×7~8列ほどもあった。ここから自社の処理場や委託先に運んで、分解されていく。まだ役に立つ資源の塊なので、墓場とは言い過ぎかもしれない。
一列一列、じっくりと見ながら歩く。飲料のみなので、どれもたいして違わない……というのは甘い考えだった。
「これはコーヒーメイン……これもか……これは炭酸多いな。お、この缶のデザイン古いな、2代目だったかな?」
回収したばかりだと、まだ見本を外していないものもある。見つけてはのぞきこみ、だんだん面白くなってきて、最初に感じていた薄気味悪さは消えていた。僕はゆっくり一台ずつ見ながら、次の列へと進んでいった。
1時間ほどかかって、最後の1台にたどり着いた。
「ん? 新しいな、これ」
僕がそう思ったのは、本体そのものの新しさより、中身を見てのことだ。当時まだ出回り始めたばかりの、ペットボトル飲料が入っていたのだ。
「故障でもしたのか?」
答えるように、ウイィィン、と低いモーター音が鳴った。ちょっとびびった。商品ボタンが光る。間違いなく、動いていた。
「え、なんで動くの? 線どこからきてんの?」
ウイィィン。
「なんか返事してるみたいだな」
ウイィィン。
「っていうか、ほとんど売り切れじゃん! 当たり前だけど」
ウイィィン。
たった1ヶ所、売り切れのオレンジ色がついていないボタンがある。僕は無意識に、作業着のポケットから100円玉を取り出し、投入し、緑のランプを押した……らしい。
バコンッ、という音で我に返った。
ラベルのない、裸のペットボトル。中身がスポーツ飲料らしいと分かった途端、のどの渇きを自覚した。一応、フタが開いていないか、穴はないか、異物は混入していないか、などマニュアル通りに確認する。
「飲んでこい、って言われたんだから、大丈夫なんだと思うけどな……」
とりあえず、持って戻ろうか。
ウイィィン。
「ん? 呼んだ?」
ウイィィン。
「何普通に会話してんの俺」
ウイィィン。
「……飲んでけって?」
ウイィィン。
今思えば、だいぶ頭おかしい光景だけど、その時はたしかに通じあってる気がして。
「んー、じゃあお言葉に甘えて(笑)」
ウイィィン。
僕はペットボトルのフタを開け、冷たい液体を勢いよく喉に流し込んだ。
「……うまい!!」
初めての味だ。うちの会社に、こんな商品があったのか。あっという間に飲み干してしまった。また買いたいと思ったが、ラベルがなくて商品名が分からない。まあ、後で調べれば分かるだろう。
「お、ごくろうさん。旨かったか?」
空のペットボトルを手に戻ると、例の先輩が待っていた。時計を見ると、1時間くらいと思っていたのが5時間は経っている。午後イチで墓参りに出たはずが、気づけば、もはや周囲は薄暗くなっていた。
「えっ、こんな時間……すいません、遅くなりました!」
「何だった?」
「え?」
「中身」
先輩はニコニコしていた。怒ってはいなさそうだった。
「あ、スポーツ飲料でした」
「おー、今年はスポーツ飲料かあ。楽しみにしとけ」
「え、どういうことで……」
「明日、分かるから。さ、帰るぞ」
ガチャン、とタイムカードを押して歩き出した先輩の後を、あわてて帰り支度をして追った。
次の日、僕はタイムカードを押した途端に会議室に引っ張っていかれた。
「誰もいないな?」
「カーテンもしっかり閉めろよ」
ドアと窓の外に1人ずつ見張りが立っている。部屋の中には所長と、本社の人が2人、それとなぜか例の先輩。
「あの、これはどういう……」
「いいから、これ飲んで」
いつの間にかテーブルに並べられたコップが3つ。それぞれ、微妙に色が違う感じの、たぶんスポーツ飲料が入っている。
「えっと……」
「とりあえず飲んで」
4人の視線に促されて、僕はおそるおそる「A」と書かれたコップを手に取った。飲んでみる。普通のスポーツ飲料だった。
「どう?」
「おいしいと思います」
「……はい次」
意味が分からないまま「B」も飲み干す。
「それは?」
「さっきのより甘いですけど、これはこれで」
「……じゃあ次」
なんなんだ、と思ったが口に出せず、僕は「C」を一口含んだ。
ウイィィン。
「あ、これ、昨日の……」
「それか!!」
「よし、いけるぞ!」
本社の人と所長がバタバタと出ていき、僕と先輩だけが残された。
「ごくろうさん」
先輩は後片付けをし、会議室を元通りにするとカーテンを開けた。僕はといえば、ぼーっと突っ立っていた。
「あの、これはいったい……」
「お前が飲んだ、この3つな」
先輩は僕の耳に口を寄せ、小さな声で言った。
「開発中の新製品なんだよ」
「え!? だって、昨日飲みましたよ?」
「お告げなのよ」
「お告げ……?」
「どれが当たるか、教えてくれてんだろうな。不思議だよなあ」
ニッ、と笑う先輩に、僕はそれ以上、何も聞くことができなかった。
その年の夏に発売された新製品のスポーツ飲料は、うちの会社の大ヒット商品になった。僕は大当りルーキーとして、同期より多目の基本給と、かなり多目のボーナスをもらえることになった。
そして、先輩が定年退職したあと、僕が先輩の役目を引き継いだ。
みなさん、来週発売の炭酸飲料、期待しててくださいね。




