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二十「約束」

 夕食の支度中、玄関のチャイムが鳴った。先週引っ越してきたばかりで、訪ねてくる人に心当たりはない。誰だろう。

「どちら様ですか?」

 インターホンに応答はない。チェーンをかけたまま静かにドアを開けてみる。

「やくそくがあるので、いれてください」

 下から聞こえてきた声に、本当に体がビクッとなった。ピンクのワンピースを着た五歳くらいの、見知らぬ女の子が立っていた。


「あらっレイラちゃん!? どうしたの? ひとり? お父さんとお母さんは?」

 あのあと私は少し待っていてと女の子に伝え、一度ドアを閉めた。冷や汗が出て、心臓がバクバクした。夫はまだ帰らない。助けを求めたのは、近所で唯一連絡先が分かる、自治会の班長だった。

「バスで? ひとりで来たの? あら~……」

 いかにも世話好きそうなおばちゃん、といったオーラ満開の彼女は、あっという間にすっ飛んできた。女の子との会話の様子を、私はドア越しにうかがう。もしや……と思いながら、チェーンを外したドアをそろそろと開けた。


 予想は的中した。女の子、レイラちゃんは、この家の元の住人だった。外に立たせておくわけにもいかず、班長も一緒になら、と中に入ってもらうことにした。

「奥さん、警察呼んで。ご両親と連絡つかないから」

 レイラちゃんは家に上がろうとしたが、班長が押さえてくれた。納得いかない顔のレイラちゃんが、だんだん泣きそうになっていく。引っ越し早々、まさかの警察沙汰。私こそ泣きたい。


 警官が到着してからさらに十分ほどして、ようやく夫が帰ってきた。家の前に停まっているパトカーに驚いたのだろう、バタバタと足音がしたと思ったらすごい勢いでドアが開いた。私が無事だと確認したあと、玄関に立っている警官と他人に向けた目は、明らかに困惑していた。

「そう、レイラちゃん来ちゃってるの。連絡先知ってる? 知らない? 困ったな……うん、警察は呼んだのね……」

 班長は携帯であちこちかけまくっているが、どうしても両親にアクセスできないらしい。外に出ていた若い警官が戻ってきた。役所に転出届を出していないので行き先が分からず、戸籍から両親の実家や兄弟を当たっている。親族がつかまらなければ、児童養護施設に頼んで一時保護するしかないと言う。

 警官がしゃがんでレイラちゃんに話しかけ始めたのを見て、班長が私に耳打ちした。

「夜逃げ同然で引っ越して行ったから……」


 競売にかかっていた家だ。相場よりかなり安かったので、訳ありだろうと覚悟はしていたし、そこにショックはなかった。

 しかしまさか、前の住人と顔を合わせるとは。しかも、五歳の子供と。誰も悪くないのに、ひどく気まずい。


「やくそくがあるの……にかいのおへやにいるの……」

 さっきから、ぐずりながら同じことを繰り返しているようだ。二階の部屋? 何か忘れていったのだろうか。引っ越し前後に何度も確認したが、きれいにリフォームされたこの家に、前の住人の痕跡は見受けられなかったはずだ。

「すみませんが、二階を見に行かせてあげられませんか? 見たら納得するかもしれませんし」

 根負けした警官の提案に、私は夫と視線を合わせ、うなずいた。


 レイラちゃんは一目散に二階の奥の部屋へ向かった。まだ整理しきれていない荷物が入っている。この子の部屋だったのかな、ショックを受けなければいいけど。

「むかえにきたよ!」

 ああ、ぬいぐるみか人形か……ごめんね、やっぱりないよ……。

「ごめんね、いっしょにかえろう!」


 え?


「おばちゃん、バイバイ!」

 階段をかけ下りるレイラちゃんを、警官たちがあわてて追いかけていく。玄関で待機していた班長に捕まったようだが、さっきまでぐずっていたとは思えないほど元気な声が聞こえる。

「今、何か持ってた……?」

 たずねる夫の顔を見て、私はかぶりを振った。彼女が部屋に一歩踏み込み、声をかけて出てくるまで、ものの十秒ほど。何かを探すそぶりさえなかった。

 部屋をのぞいてみる。荷物が数個並んでいるだけの空間には、なんの変化も感じられなかった。


 あれからレイラちゃんは、両親のもとへ帰れたのだろうか。パトカーの窓から手を振っていた姿が忘れられない。

 すっかり荷物が片付いた部屋を見回してみる。西の窓から見えるのは広々とした空。七月末には、夏祭りの花火が見えるそうだ。



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