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十九「おじさん」

「おい、止まれ」

 高校からバス停に向かって歩いていたら、急に見知らぬ男に行く手を阻まれた。スマホの画面を見ながら歩いていた俺は 、イラッとして顔を上げ、驚いた。

「父さん!」

「父さんに見えるか? やっぱり似てるんだな」

 そうだ、こんなところに父さんがいるわけがない。いくらそっくりでも偽物だ。なんなんだ、こいつは。

「とりあえず、歩きスマホをやめて止まれ。 それから、今日はバスに乗っちゃだめだ。歩いて帰るぞ」

「ああ!? ふざけんなよ! 何分かかると思ってんだよ!」

「言うことを聞け。さもないと」

「なんだよ、どうなるんだよ!」

「お前、死ぬぞ」

「……つまんねえ冗談だな」

「冗談じゃない。いいから黙ってついてこい、歩きながら話してやる」

 男は迷わず、俺の家の方向へ向かって歩き出した。


「おい、俺が死ぬってどういうことだよ」

 父さんにそっくりな男はそれには答えず、どんどん歩いていく。俺は仕方なく、後ろについて歩き出した。

「ああ、懐かしいなあ……俺の青春の道だ」

「おっさん、この辺に住んでたのか?」

「相変わらず口悪いな、お前は」

 振り返った男は少し微笑んだように見えた。だが、すぐに前を向き、それ以上喋らず歩いていく。どうやら俺のことを前から知っているらしい。

「おい、俺が死ぬってどういうことなんだよ!」

 気になって仕方ない。それにしても、後ろ姿まで父さんにそっくりだ。生き別れた双子の兄弟と言われたら納得できる。俺のおじさんだったりするんだろうか。

「なんだよ、バスが事故にでもあうのか?」

「違う」

「じゃあ、どうして」

 俺のおじさんかもしれない男は、肩越しにちらりとこちらを見て、足を止めた。

「お前は、今日は死なない。死ぬのは他の人だ」

「どういうことだ?」

「お前が死ぬのは二十年後だ」

 今度はしっかりと俺の顔を見る。眉間に深いしわが寄った。

「大量無差別殺人の死刑囚として」


「俺が、死刑囚……? 殺人? 嘘だ!」

「嘘じゃない。お前は、あのバスの中で、手当たり次第に人を殺す。今バッグの中に入っている、昨日買ったばかりのナイフで 」

 なんだこいつは。なんで俺がナイフを持っていることを知っているんだ。今朝、バッグの底に忍ばせてきたことは、誰にも言っていないのに。

「俺は……俺は、そんなことしない……」

「いや、やる。お前はやるんだ」

 気がつけば、男の手首にはリングがついている。作業着っぽい服は、もしかして……囚人服?


「 あのまま歩きスマホをしていると、バス停の手前で男にぶつかる。そいつも同じバスに乗ってきて、謝ってもネチネチと絡んでくる。お前はイライラして、殴ってやろうかと思い始める」


 立ち止まっていた男が、またゆっくりと歩き出す。俺は、小さな声でも聞こえるように、斜め後ろにぴたりとついた。


「先に乗ってた進学校のやつらが『バカ高だから仕方ねーじゃん』とつぶやき、クスクス笑い声が聞こえてくる。男は相変わらずネチネチ絡んでくる。お前は頭に血が上り、バックの底にナイフがあることを、ふと思い出す。これで脅して黙らせてやろう」


 おじさんじゃない。違う、この男は、俺のおじさんなんかじゃない。


「ナイフを見てまわりから悲鳴があがった。でも、男が『お前みたいなのを育てた親もよっぽどバカだな』って言いやがった。『バカ高の親もバカ~』とはやす笑い声が背中側から聞こえた。お前はナイフを、男に向かって突きだした」


 妄想だ、この男の妄想だ。俺とは関係ない、赤の他人だ。きっとそうだ、ただの変人だ、そうに決まってる。


「一人刺したら、もう止まらない……お前は笑ったやつを次々刺していく。車内はパニックになる。最終的に五人死んで、八人が怪我をした」


 父さんにそっくりな男が、左腕の袖を肘まで上げた。小学校三年の時、登ったブロック塀から落ちて骨折した手術跡が、薄い線になって残っていた。


「お前に同情してくれる目撃者もいたが、凶器を振り回したのは致命的だった。悪質な事件として少年法ではなく、普通の刑事事件として裁かれた。弁護士の奮闘もむなしく、死刑確定だ」


 後ろから来たバスが、俺たちを追い抜いていく。あの中で、これから事件が起きる予定だったって言うのか……大量無差別殺人が……。


「俺からすれば、無差別ではないけどな。人は選んだ。……そういう問題じゃないよな」

 俺たちはしばらく無言で、バスが遠く小さくなっていくのを見ていた。


「今日、お前は、あのバスに乗ってはいけなかった。あの人間たちと、ナイフを持って同じ空間にいてはいけなかったんだ 」

「おっさん……あんたは、未来の……」

「明後日、三十七歳になる予定だったんだけどな」

 明後日は、俺の誕生日だ。十七歳の。

「なれそうにねえわ。去年、もっとケーキと肉、頼めばよかったなー」

 父さんにそっくりの笑顔で振り返った男は、三十七歳よりも、ずっと老けて見えた。


「俺はこれから処刑室に入る。こう見えて模範囚なんだぞ」

 男は腕時計をちらりと見る。

「模範囚は、死刑の執行前に一度だけ、過去に戻るチャンスをもらえる。死刑になる原因となった犯罪を止めることだけに、三十分使うことができるんだ。タイムリープできるんだぞ、未来すげえだろ?」

「……そういう問題じゃねえだろ……」

「まあ、そうだな」

「じゃあ、過去が変わったんだから、未来で死刑にならなくて済むだろ?」

「いや、そうじゃないんだ。あくまでも、ここでお前が死刑になる原因がない分岐点ができただけなんだ。俺が死刑になる世界はそのまま続いてる」

「パラレルワールドみたいなもんか?」

「まあ、そんな感じなんだろうな。ん、そろそろ時間切れだ」

 男の腕時計には見覚えがあった。

「これな、父さんがくれたんだ。死刑が確定したときに……それから会ってない。どこか遠くへ引っ越せって俺も言ったし、きっとどこかで元気にしてる」

 涙の一滴もなさそうな男の目を、俺はまじまじと見た。もはや乾ききったのかもしれなかった。


「いいか? この先短気を起こすなよ。人を傷つけるな。幸せかは分からないけど、まともな人生を生きてくれ」

「……ああ」

「それとな、年上には一応敬語を使えよ。お前、その態度で波風起こすんだからな。約束な」

「……はい」


 男は消えていた。

 三十六年と三百六十三日で、彼の人生は終わる。


「タイムリープできる未来がくるのか……そういう問題じゃねえよな」

 俺は歩いた。家まであと三十分はかかる。父さんそっくりになる自分の未来を想像しながら、スマホも見ずに黙々と、足を動かし続けた。

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