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十六「筆」

 少し遠出した夜。ふらふらと商店街を散策していたら、色あせたポスターが目に入った。


「赤ちゃんの髪の毛で筆を作りませんか?」


 想像して、そのふわふわな触感に心を奪われた。そんなものがあるとは知らなかった。

 私はしばらく立ち止まり、そのポスターを眺めた。


 百メートルほどの商店街は、三軒ほどの食堂以外はすべて真っ暗だ。ポスターのある店は美容室らしいが、古いデザインの看板といい色あせた雰囲気といい、昼になったらちゃんと開店するのか心許こころもとない。

 隣の自転車屋はどう見てもやってなさそうだし、その隣の菓子屋は何年も貼りっぱなしっぽい手書きのお品書きが見えるし、向かいの洋品店はやってるようだけど店名の文字があちこち欠けている。私の地元も大差ないが、典型的な地方の寂れた商店街だ。

 しばらく立っていたら、食堂から出た酔っぱらいが三人、こちらに歩いてきた。絡まれるのも面倒なので、目を合わさず行き先があるふりで早足で離れた。


 そういえば、もう何年も赤ちゃんに触れていない。

 赤ちゃんなり小さい子供は、突然すごい力で叩いたりつかんだり引っ張ったりしてくるし、前触れなく泣いたりするので基本は苦手だ。でも、眠っているときはただのむにむにした物体で、触っていると心地よい。

 しかし、髪の毛が剛毛タイプならともかく、ふわふわの猫っ毛タイプだと筆を作るには量が必要だろう。コシはないだろうが、あくまでも記念品であって、まさか字を書くわけではないだろうし。



「書いた字に何か宿りそうな筆だな、おい」

 次の日の夜。私の報告を聞いた兄貴が、意地悪そうにニヤニヤと笑う。

「いやあ、記念に髪の毛を残す手段ってだけで、実際には使わないでしょ」

「毛なんか残してどうすんだろうな。箱ん中に入れっぱなしにするだけだろ?」

「おいおい、何の話だ?」

 いつもの仲間が、わらわらと寄ってきた。

「へその緒よりはマシだろ、俺あれ苦手」

「爪もとっとくらしいぞ」

「歯もね」

「マジか」

「死んだら一緒に焼くんか?」

「古い箱から先祖の歯が! とかホラーだよな……」

「呪われそう」

 最初のほんわかしたイメージが跡形もなく吹っ飛ぶ展開が続いたあと、今度は昼間に例の美容室を見に行ってみることになった。

 


 また次の日。

 私は先頭に立ち、案内をする。兄貴とユキ姉さんが道連れだ。

「あんたもまた、ずいぶん遠くまでブラついてるねえ」

 お昼寝し損ねたユキ姉さんが、あくびをしながら私を横目で見る。

「まあ、そのおかげで久しぶりに面白そうなネタ仕入れてきたんだし、いいじゃねえか」

 兄貴はずっとニヤニヤしている。それでなくてもいかつい風貌なのに、さらにあやしさプラスで近づきがたい雰囲気だ。

「あ、ほら見えてきた、あそこ」

 遠目にあのポスターが見える。私たちは自然と小走りになった。


 美容室は営業していた。カーテンが開いているし、電気もついている。しかし、のぞきこんでも、お客がいる様子はない。そもそも、店主さえ見えない。

「うっは、実際見るとあれだな、たしかに気になるわな」

 兄貴はポスターを見つめて、やっぱりニヤニヤしている。

「そうだねえ、なんかこう引きつけられるねえ、ふわふわの髪の毛で作った筆とか、可愛らしいじゃないか」

 ユキ姉さんも、さんざん文句を言いながら来たわりには満足そうだ。

「筆の実物も見てみたいけどねえ。ここにある訳じゃないだろうし、帰るかね」

 いつまでも店の前に立ち止まっているのも変だ。そろそろ、と店に背を向けたとき、シャラララン、とドアが開いた音がした。


「ほらよ、実物。見ていきな」

 私たちは本当に何センチか飛び上がった、と思う。声の方を振り返ると、店主らしき細身の中年女性が立っていた。黒の七分袖Tシャツに黒のデニムパンツ、腰に黒のエプロンという、まさに美容師というで立ち。手に短い筆を持っている。

「珍しい客が見えたからね、見本を持ってきたんだ。うちの息子の髪だよ。触ってみな」

 好奇心に負け、おそるおそる近づく。たしかに髪の毛でできているようだ。けっこうしっかりした髪の毛で、ふわふわとは言えないが触り心地は悪くなかった。

「どうだい? あんたらの毛で作ってやってもいいよ、猫又」


 総毛立つ、とはこの事だと思った。

「なんだい、ばれてないと思ってたのかい? 猫又ともあろうものが油断しすぎだろ」

 私たちはお互いの顔も見ずに、それこそ一目散に駆けだした。

「車にかれんじゃないよー気が向いたらまた来なー」

 店主の声が遠くなっていく。私たちは走った。とにかく走った。角を曲がって美容室が見えなくなって、ようやく一息つく。


「べつに逃げる必要はなかったけどさあ、正直ビビっちまったよなあ」

「気配なしでドア開けたもんね」

「なかなかやるねえ、あのバアさん。また来てやってもいいかもねえ」

 珍しい出会いに話がはずむ。私たち三匹は連れ立って、もと来た道を帰った。


 



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