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十一 「百円」

 彼は工作済みの百円硬貨百枚を、銀行の窓口で預金した。

「いやあ、けっこう貯金箱に入っててねー」

「あら、今回は貯まりましたね。いつもありがとうございます」

 顔見知りの窓口係と言葉を交わし、ソファに掛けて処理を待つ。五百円と百円の硬貨は、ある程度貯まったら預金しに来ることにしていた。三人いる窓口係の誰に当たっても、すっかり顔を覚えられている。

 彼は経済誌を手に取り、目次から気になる記事をって読み始めた。



 彼の仕事は、GPS(全地球位置測位システム)の研究である。測位の精度を上げることはもちろん、取得した情報の利用も含まれている。個人情報との兼ね合いもあり、詳しい内容は機密扱いだ。

 現在の技術は数年前より素晴らしく進歩している。それでも、まだまだ改善の余地はある。彼が所属するチームは、データを集めるためにある実験を命じられた。

「測位による最小単位移動点の特定および得られるビッグデータの有効利用について」、簡単に言えばどこまで細かい個人の移動データを取れるか。


 彼は、科学者としての興味にしか関心がなかった。

 百円硬貨に発信器とICチップを埋め込む、と聞いた時点で、国の関与に気づくべきだった。さらに言えば、硬貨という全国に流通する貨幣を利用する時点で、近い将来、全地球規模に発展する可能性があることを。


 彼は、ただひたすらに日々降りかかる課題をこなし続けた。

 数ヶ月後の実験開始に向け、月に二度以上は銀行に硬貨を預金しに行け、と言われれば素直に応じた。

 予備実験で、精度を確認するため百円玉を数日持ち歩け、と言われればその通りにした。

 自動販売機で使え、駅の券売機で、コンビニで、スーパーで、募金箱へ……次々と下る指令に従い続けた。


 そして、今日。

 いよいよ、本試験が始まる。

 彼は改良が施された百円玉百枚を、銀行から流通にのせるために持ち込んだのだった。




 ここを出たら、研究室に直行して追跡画面を見るのだ。彼はワクワクしていた。足かけ二年、何度も頓挫しかけたプロジェクトが、とうとう本格的に動きだすのだ。

 それにしても、なかなか呼ばれない。顔を上げたとき、スーツ姿の男性が二人、近づいてくるのが見えた。一人は支店長、もう一人は見知らぬ男。


「恐れ入ります、ちょっとこちらへ」

 状況が飲み込めず、ぽかんとしている彼の腕を、もう一人が引き上げる。

「どうぞ騒がずに」

 男はそう言いながら、周囲から見えぬように胸元で警察手帳を開いた。

「悪いようには致しませんので」

 彼は訳が分からないまま、二人に挟まれて歩き始めた。


「驚かせて申し訳ありません」

 支店長が、物腰やわらかに詫びる。

「いえ……ええと、どういうことでしょうか?」

 応接室には支店長と警官、それに彼。なぜか、遅れて先ほどの窓口係も入ってきた。

「早く仕事に戻りたいんですが……」

「残念ですが」

 落ち着いた声で、警官が告げる。

「あなたは、職場に戻ることはできません」


「それは……どういうことですか!?」

「あなたは解雇されました。会社都合で手続きされますので、失業手当はすぐ受け取れますよ」

「そういうことじゃない! なんでクビなんですか、それになぜ、警察がそれを」

「あなたは」

 警官の声には、これ以上なくあわれみが含まれていた。

「あまりにも愚かでした。プロジェクトの成功には、邪魔だと判断されたのです」


 なぜ、警官が機密事項のプロジェクトのことを知っているのか。この場にいる支店長と窓口係に聞かせていいのか。いや、この二人も知っているのか……彼はまだ理解できずにいた。

「あなたがもう少し、ものを考えられる人だったら、と残念に思います」

 支店長も、警官に同調する。

「本当に、一会社のプロジェクトで済む問題だと思っていたのですか?」


「まさか……みんなグルなのか!」

「グル、などという言葉しか出ませんか」

 うって変わって冷淡な警官の声は、彼の体の熱を、一気に奪っていくようだった。

「硬貨に細工をすることに、全く葛藤かっとうはなかったのですか?」

「いや、だって許可は取ったと上司が……」

「誰から許可が出ると思っていたのですか?」

「誰……」

「硬貨の発行元はどこですか」

 警官は上着のポケットから百円硬貨を一枚取りだし、彼に投げてよこした。彼は桜の模様の上に刻まれた文字を、ぼんやりと眺めた。

「……日本国…………!!」

 足の力が抜ける。彼はソファにドスン、と腰を落とした。

「国のプロジェクトで……警察も銀行も知ってて……もしかして他にも……末端の俺は実験の駒……」



「こちら、お待たせいたしました。残高をご確認ください」

 窓口係が、トレーに乗せた通帳を差し出す。よろよろと手をのばし、最終記帳ページを開いた彼の目が大きく開いた。

「八桁……二千万!?」

 百円玉百枚の一万円の下に、見たことのない桁の印字がある。振込元は、彼が解雇された会社だった。

「退職金です」

 支店長が淡々と告げる。

「あなたの年齢でもらえる本来の額の二倍です。機密保持のための口止め料込みと考えていただいて結構だそうです」

「な……」

「それと会社にある私物は、ご自宅に送られるそうです」


「一応、聞きますが……この金を返上して、会社を訴えたりしたら……どうなりますか?」

「ああ、それは考えますよね。でもおすすめしませんよ」

 警官は薄い笑みを浮かべた。

「その場合、あなたを偽造硬貨製造および使用の罪で起訴します。あなたが一人で各所で使っているデータは、たっぷり取れていますからね……」



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