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十 「椅子」

「何でも願いが叶う椅子」

 通りすがりに、初めて入ったリサイクルショップ。古道具を集めたスペースの奥に、その椅子は置いてあった。

「へー、オシャレじゃん」

 アンティーク調のデザイン。濃茶に塗られた表面が、ところどころ磨かれたように光っているのが分かる。たくさんの人が触れてきた証だろう。


「こちらは百万円でございます」

 顔を上げると、椅子の隣にスーツ姿の男性が立っていた。こんな人いただろうか、気づかなかった。

「百万円ですか……税別で?」

「税込みです」

「あ、お得ですね」

「お客様、面白い方ですね」

 たしかにピントがずれたことを聞いた気がする。よく天然と言われるが、たぶんこういうところなのだろう。

「税込みはお得だと思いますけど、実際、百万円の椅子って高いですよね」

「そうですね。椅子ひとつに百万円出すなんて、よっぽど気に入ったかよっぽど変人か、まあどちらかですね」

 三十代に見える男性は、きちんと背筋をのばして立っている。体の前で組んだ両手には白手袋をしている。見た目は営業マンだが、この椅子が隣にあると、まるで貴族の執事のようだ。


「ほんとに、何でも叶うんですか?」

「叶いますよ」

「かわりに寿命が減るとか」

「いえいえ」

「悪魔に魂を渡す契約とか」

「そんなことはございませんよ」

 私は考え込んだ。世の中、そんなにうまい話が転がっている訳がない。ほんとうなら、百万円は激安だが……。


「お一人様一回だけ、百円でお試しいただけますがいかがですか?」

「ひゃくえん」

 なるほど。ハードルが低い価格で試させて、願いが叶った人のうち誰かが百万円でも欲しいと思えば、じゅうぶんなのかもしれない。詐欺の一歩手前な気もするけど。

「参考までに、これまで願いを叶えた人の話を聞かせてもらえませんか?」

「よろしいですよ。お話ししましょう」

 営業マン(か執事)の男性は、内ポケットから手帳を取り出した。


「十代女性、高校生。『受験当日、万全の体調』を望み、無事大学入試に合格しました。キャンパスライフを満喫中です」

「おお」


「二十代男性、フリーター。『ネイティブ並みの英語力』を望み、自然に使いこなせるようになりました。ただ、話す中身が薄すぎて活用する機会がない。本人の教養が足りないのは如何いかんともしがたい」

「おお……お?」


「三十代男性、会社員。『課長に昇進』を望み、同期の出世頭となりました。しかし残念なことに実力がともなわず、部下の信頼を失い降格および配置転換。左遷させんやリストラの危機」

「ん? ん!?」


「三十代女性、会社員。『彼との結婚』を望み、無事ゴールイン。結婚後に判明したお互いの性格や価値観の違いで、しょっちゅうケンカしています。まあ、愛し合ってはいるようなので経過観察」

「ちょ、ちょっとストップしてもらっていいですか?」


「いかがなさいましたか?」

 男性は手帳から顔を上げた。

「いかがもなにも……かえって不幸になってたりしません?」

「そういうこともあります。『幸福を呼ぶ椅子』ではございませんのでね」

 手帳を閉じ、椅子の背を左手でゆっくりと撫でながら男性は言った。

「願いが叶った後のことまでは、こちらの範囲ではございません」


「試していかれないのですか?」

 帰ると告げると、男性は不思議なものを見る顔をした。

「今日は、やめときます。よく考えないで願うと、ろくなことがなさそうなので」

「簡単なものでもいいんですよ? 今夜のご飯のメニューだとか、帰りにかわいい猫に会う、とかでも」

「それだと、この椅子のお陰かどうか確信がもてません」

「なるほど……お客様は面白い方ですね」

 また面白いと言われた。今の会話は、天然というより、まともだと思うんだけど。


「いつか、どうしても叶えたい願いがあったら来ます」

「その時は、売れてしまっているかもしれませんよ」

「だったら、叶えなくていい願いだとあきらめます」

 私は微笑んだ。強がりではなく、本当にそう思った。


「ご縁があれば、どこかでお会いできるでしょう。本日はご来店ありがとうございました」

 深々とお辞儀をする男性に会釈し、私は古道具スペースから離れた。すれ違った若いカップルは、何か願いを叶えるだろうか。

 彼と彼女が、幸福に続く道を選択するようにと、私は願わずにはいられなかった。



 

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