見てみたいから〈3〉
足裏に食い込む砂と格闘しながら、圭太は砂浜を走った。
スニーカーの中に粒子が入り込む感覚が気持ち悪い。心なしか重くなった両足は、そろそろ限界を訴えている。
圭太は一旦止まると、片足ずつスニーカーを裏返しにして砂を取り払った。
砂時計のように流れ落ちていく様を見ながら、白石の姿を目で追う。
(あんなとこまで行ってるし)
見ると、白石は既に海へ入っていた。
しかし、ちゃんと靴を脱いで、裸足になって入っている。つまり、突発的な行動に走ったわけではなく、一応は冷静な考えのもと行動を起こしているということだ。
それがわかっただけでも、圭太は安堵した。
波打ち際までいくと、歩くのは幾分か楽になった。
緩くなった地面と強い波音が、圭太の足音を掻き消していく。おかげで、背後にまで来ているというのに、白石は全くそのことに気付く様子がなかった。
白石の脱いだローファー(活動的とはとても言えない)は、波が来るぎりぎりのところに置かれている。圭太は少し迷った後、それを五〇センチほど手前に持って来てやった。
「白石、」
波に負けないくらいの声で呼ぶと、彼女は一度で振り返った。
そして、二度ほど瞬き。
これは驚きを表現しているのだろうかと、圭太は考えた。
「何も一人で入らなくても……。午後からビーチバレーするんだからさ」
「今、こうしたかったから」
「そか」
なんとなくわかってきた。
彼女は欲望に忠実に生きるタイプの人間だ。他人のことは置いといて。他人からどう思われるかということも置いといて。
マイペースともいう。
「友則くんは、どうして?」
「え……あー……」
そういえばどうしてだっけ。圭太はしばし考え、波の音を三、四回ほど聞いてから、本来の目的を思い出すことに成功した。
「午後の集合時間が一時間遅れるってこと、伝えようと思ってさ。さっき、伸――岩見から連絡あったんだよ」
「一時間……。うん、わかった」
律儀に「ありがとう」と続けた白石は、再び水平線へと向かっていく。長めのスカート丈が海水に浸かりそうなくらいの場所まで来た時、圭太は思わず叫んでいた。
「白石!」
振り返った白石は、今度も二度瞬きをした。「まだいたのか」とか「まだ用事があったのか」とか、そういった驚きを表しているのだろうと、圭太は推測した。
呼びかけてしまった以上、何か言わなければいけない。「危ないから戻ってこいよ」と言いたいのが本音だが、子どもでもあるまいし、余計なお世話だろう。白石も無茶をするタイプには見えない。
悩んだ末、結局当たり障りのない提案をすることにした。
「けど、そろそろ昼飯食った方が良くね? レストラン行くんなら、結構混むだろうし」
「うん」
「まだ食ってないんだろ?」
「うん」
「あ、もしかして弁当持ってきてるとか?」
「ううん、持ってきてない」
あ、やっと日常会話らしくなってきた。
些細な作戦が成功したことを喜ぶかのように、圭太は小さく拳をつくる。
「じゃあさ――」
だからこそ、こんな大胆な発言をしてしまったのだろう。
「今から食べにいかないか?」
言った瞬間、白石の目が僅かに見開かれる。
それは注意深く見ていなければわからないほどの変化だったが、確かに彼女は驚きをそう表現していた。
その表情を直視できなくて、そして沈黙が耐えられなくて、圭太は被せるように言っていた。
「いやまあ行きたくないんならいいんだけどさ! 誰かと約束してるんじゃなければ、どうかなぁと」
相手の反応を窺いながら、慎重に尋ねる。
こんな風に女友達を誘うこと自体は珍しくないが、相手が白石となると話は別だった。そこまで親しくない、しかも男子と話すことに積極的でない女子に声をかけるのは、なかなか勇気のいることなのだ。
圭太の必死さが伝わったのか、白石はしばらくして、「うん」とだけ答えた。「うん」までの時間が(圭太にとって)長すぎたせいで、何に対する返事なのか忘れるところだったが、確かに「これから昼ご飯を一緒に食べに行くこと」に対しての了承の意だと思われた。
「じゃ、上がってこいよ」
「うん」
ぱしゃぱしゃと音を立てながら、白石は海岸へと戻ってくる。
海水がスカートに跳ねるのにもかかわらず、歩く勢いは止まらない。意外と大胆な性格なんだな、と圭太は思った。
スムーズに歩を進めていた白石だったが、海水が足首より少し上のところまでになったとき、足が水にとられた。圭太があっと思う間もなく、彼女の身体がよろめく。
「あ、」
大げさな声にならなかったのは、いかにも白石らしい。
どこか淡々としているようにも聞こえたそれは、白石が水面に手をついた音と、それから圭太が海に入った音によって掻き消された。
「えっ」
今度上がった声は、先ほどのものよりもやや大きく聞こえた。
高めの声を耳元で捉えながら、圭太は前のめりに倒れた白石の肩を、両手でゆっくりと押し戻していく。
ぎりぎりセーフだったようで、白石の身体は完全に傾かずに済んでいる。水面に手首まで突っ込んだ状態で止まっていた。
「大丈夫か?」
起き上がらせてから、そう尋ねる。あわやびしょ濡れといった場面だったのだ。さぞや驚いたことだろう――そう思って。
白石はゆっくりと瞬きしてから、口を開いた。
「うん」
「そっか。なら良かった」
「でも、友則くんが濡れてる」
「いいって。こんなのすぐ乾くし。――あ。けど、ずっとここにいるのも馬鹿らしいよな」
急いで浜辺まで行くと、圭太は移動させた白石のローファーを手に持った。
「ほい」
「ありがとう」
短くお礼を言って、白石はローファーを受け取る。ポケットに入れていたタオルハンカチでざっと足を拭いてから、靴下を履いた。
「ごめんね」
靴を履き終わって顔を上げた白石は、濡れた靴を処理する圭太にそう言った。
スニーカーを履いたまま海に足を突っ込むという荒業をやらかしたおかげで、足元はずぶ濡れである。いくら遠足日和な快晴でも、季節的に直ぐ乾くのは難しい。帰りのバスでは裸足で過ごすか、と考えていたところだった。
しかし、謝る白石にそんなことは言えない。
「大丈夫だって。これくらい。どうせ午後からビーチバレーやるんだし」
「ビーチバレーじゃ、濡れないと思う」
「……だ、だよな」
やけに的確なツッコミに、「ナイスツッコミ白石!」と言ってやろうかと思ったが、スルーされると怖いのでやめておいた。
「いやいや。こう、海に入ってったビーチボールを追いかけて、とかさ」
苦し紛れにそんなことを言ってみるが、
「友則くんが拾いに行く役?」
「た、確かに……!」
それはそれで嫌だ。「圭太ー、どうせ濡れてんだから拾ってくれよ」とか、平気で言いそうな連中を何人か知っている。これではパシリ確定である。
「じゃ、じゃあ早く乾かして――」
慌ててスニーカーを振る圭太に、白石はぽそりと言った。
「でも、そのままでいいかも……」
「え、なんで」
「見てみたいから」
「なんだそれ!」
彼女は相変わらず淡々としていて、いまいち感情が読み取れない。それは、やり難さを感じさせるものでもある。圭太も、白石との接し方は手探り状態だ。
けれど――。
(まあ、でも)
圭太は隣で規則正しく歩く白石を見て、思った。
こうやって彼女から言葉を引き出していくのは、なかなか楽しいのかもしれない。