見てみたいから〈2〉
「しらいし、」
と呼ぶと、彼女は素直にこちらを向いた。つい呼び捨てにしてしまったが、今更慌てて「さん」をつけるのも変なので、そのままにしておいた。
白石は驚きも、嫌悪も――もちろん好意もなく、淡々とした表情で、自分の名を呼ぶ「誰か」を見る。
「なに、やってん、だ?」
ダッシュしてきたせいで、息も切れ切れだ。普段部活動で走っているはずだが、もしかしたらあまり効果はないのでは、と急に不安になる。帰ったら練習メニューの見直しが必要かもしれない。
「ここ」
ざざーという波の音が耳に響く。
それでも、白石の声ははっきりと圭太に届けられた。潮風に乗って、やはりすっと耳に入ってくる。
「ここが、どうかしたのか?」
「見たかったから」
「それは……何ていうか分かったけど、そろそろ昼食べた方が良くないか? 集合時間まで一時間切ってるぞ」
「うん」
それっきり、彼女は黙る。
周囲に人がいないため、波の音だけが鮮明に聞こえてくる。雲に隠れていた太陽が顔を出し、圭太は目を細めた。
「時間……分かるよな?」
「うん」
見れば、白石は左腕に時計をつけていた。集合時間さえ把握していれば、何とかなるだろう。万一迷子になったとしても、携帯があれば何とかなるはずだ。
とそこまで考え、圭太は「あ、」と思った。
白石は携帯を持っているのだろうか。
(いやでも、このご時世に……)
持っていない人の方が少ないのではないか。
クラスでは、どうやらスマホ人口がガラケー人口を上回っているようだし、かくいう圭太もこの春にスマホデビューを果たしている。そんなご時世に、まさか通信機器を全く持っていないことはないだろう。
たぶん大丈夫だよな、と思いつつも、一応訊いてみることにした。
「白石って、携帯とか持ってる?」
「うん」
「ガラケー? スマホ?」
「ガラケー」
あ、やっぱり? と思ったが、口には出さない。
「そか。じゃ、なんかあったら連絡しろよ。遅れそう、とかさ」
「うん」
白石は頷くと、岩場を乗り越えて海岸へと向かっていった。運動は得意そうではないのに、結構身軽なんだな、と圭太は思った。
これ以上、ここに居ても仕方がない。彼女は海岸に行ってしまったし、わざわざ追いかけていってまで話を続ける気はない。というか、そもそも会話が成立していたのかすら怪しい。
すっかり離れてしまった白石を遠目に見ていると、ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホが震えた。
「あ、やべっ」
見なくても分かる。相手は、ショップに残してきた友人の誰かだ。
外に出ておくと言っておきながら、海岸にまで来てしまったのだから、向こうでは「圭太がいないぞ」という話になっていることは容易に想像できた。
絶対文句言われるだろうなぁと思いながら、圭太は電話を取る。
「もしもし?」
『今、どこ?』
「えーと……海岸」
『海岸!? なんでンなとこまで行ってんだよ』
まさか白石を追いかけて、とも言えず、圭太は適当に「散歩」と言った。
『まぁいいや。こっち、思った以上に長引いてさ。午後の集合時間、一時間遅らせようって話になったんだよ』
やっぱりな、と思う。元々無理のあるスケジュールだったのだ。ビーチバレーを何時間もやるくらいなら、自由行動の時間を増やした方が良い。
「わかった、今からそっち行くわ」
『おぅ。――っと、そうだ。おまえ白石の番号わかる?』
「はぁ!?」
電話を切ろうとしていた圭太は、思いもよらないことを言われ、その動作を止めた。
何のために? とか、何で俺に? とか、様々な疑問が渦巻く。しかもさっきまで似たような話をしていただけに、妙な後ろめたさがあった。
『集合時間のこと、白石にも伝えようと思ってるんだけどさ、番号わかんないんだよ』
「なんだ……。女子にでも聞けよ」
冷や汗をかいたのは一瞬のこと。言われた目的があまりにも普通のことだったので、圭太は「何だそんなことか」と胸を撫で下ろした。
どきりとさせられたお返しとばかりに、何で俺なんだよ、という気持ちを込めて、そう言ってやる。すると電話の相手――伸は困ったように、「それが、誰も知らないんだよなぁ」と言った。
「マジか」
『マジ』
何となく予想はしていたことだけれども。
四月当初から此の方、白石がクラスで女子のグループに入っているのを見たことがない圭太には、納得できる話ではあった。別に悪いことではないのだが、こういう時には困るだろうと思う。
「わかった。近くにはいるから、伝えとくよ」
『え、何それ!? 二人で抜け出して、まさかのデー』
「たまたまだって」
急にテンションを上げた友人に、圭太は「もう切るからな」と言って、一方的に電話を切った。
このまま通話を続けていたら、絶対に根掘り葉掘り訊かれるに決まっている。そうなったら、最悪白石を追いかけてきた事実までバレてしまう可能性がある。
別に変な意図はないものの、バレたらバレたで面倒なことになるのは確実だ。平穏な高校生活を望む彼としては、海岸に落ちている貝のように口を閉じるのが正解だった。
海岸を見ると、彼女の姿はすぐに見つかった。何しろ、海岸には他に人がいないのだ。ずんずんと海に向かって進んでいく女子高校生の姿があれば、それは目立つだろう。
「――って! ちょ、白石!?」
おいおい卑弥呼じゃんかよ! とツッコみつつ、圭太は急いで岩場を下りる。このまま彼女がどうかなるとは思っていなかったが、とても放っておくことなどできない。
何で海に入ろうとしてるんだよ、という率直な疑問は後回し。
圭太は全力で、その姿を追った。