クラス替え〈5〉
友則くん、と呼ばれた声に、圭太は伏せていた顔を上げた。
一時間目の古典が終わった後のことである。微睡んでいたところに掛けられた声に、しかし圭太の反応は早かった。熟睡していたわけではない。名前を呼ばれれば直ぐに起き上がることができた。
「なん……って白石、っさん!?」
そして起き上がった後の覚醒も早かった。
それもそのはず。目を開けたら、目の前に白石唯香が立っていたのだから。
「な、何か用?」
動揺のあまり早口になってしまったが、幸い何となくは伝わったらしい。もしくは、白石にとって圭太の反応はどうでも良いものだったのかもしれないが。
その証拠に、白石は全く気にする素振りを見せず、一歩圭太に近付いて言った。
「昨日……やってくれたの?」
「昨日?」
「美化委員の、仕事」
「ああ」
白石が「先に戻ってて」と言って去って行った後の話だ。
その件なら、答えはイエスである。あのまま白石の言う通りに帰るのは抵抗があったので、まあ大した仕事量でもないし、とそのまま点検作業を続行したのだ。
圭太は作業を終えてから部活に行ったので知らなかったが、どうやら白石は、後でちゃんと戻って来たらしい。だから、既に作業が完了した状態を見て、また全て埋められたチェックシートを見て、圭太が代わりに作業をやってくれたことを理解したのだろう。
「ありがとう」
不意に聞こえた声に、圭太は身体を硬直させた。
白石の言葉は、驚くほどすっと心に入ってくる。
「どうして」とか「私がやるって言ったのに」とかいった台詞を想定していたので、思いがけないストレートなお礼の言葉に戸惑った。
「次は、私がするから」
「あ、いや……その、いいよ。別に、大したことじゃないし」
やっとそれだけ言うと、圭太は「はは」と誤魔化し笑いをした。
「けど、一体何があったんだ? グラウンドの方に行ってたみたいだけど」
圭太の疑問に、白石はゆっくり瞬きをした。
それから顎に軽く握った右手を持っていき、考えるポーズ。
そんなに悩むことなのか、と圭太が思っていると、「サッカー部が……」という小さな声が聞こえた。
「サッカー部が、何かしてたのか?」
「練習、してた」
「…………そ、そか」
放課後なのだから練習くらいするだろう。というか、毎日やっているはずだが。なんとも反応に困る。
圭太が「まさか触れてはいけない話題に触れてしまったのだろうか」とびくびくするなか、白石は淡々とした口調で続ける。
「見てみたかったから」
「練習を?」
「たぶん」
「…………そか」
やはり反応に困る。そして会話を成立させている自信がない。
内心頭を抱える圭太だったが、そこで運よくチャイムという救いの手が差し伸べられた。
(助かった……)
席に戻る白石を目で追いながら、圭太は安堵の息を吐く。
(ほんと変わってるよなぁ)
少なくとも、彼がこれまで出会ってきた人物の、いずれのタイプにも該当しない。伸が以前に言っていたこと――「別の意味で目立ってる」というのは、こういうことだったのだ。これでは確かに目立つだろう。
(けど……)
まだ教師の到着していない教室では、相変わらずざわつきに包まれている。進学校らしく全員が着席しているものの、前後左右では私語が止まない。特に女子は、休憩時間から続いているらしい話題で盛り上がっていた。
そんななかでも、白石だけは教科書を眺めていた。彼女の周囲で繰り広げられる会話には、全く興味を示さないかのように。
しかしそれは、白石に限ったことではない。他にも、予習をしている者もいれば、本を読んでいる者もいる。彼らと同じだといえば、それまでのことだ。
けれど――。
圭太は再び白石の方へ目をやる。この先、クラスで孤立するようなことにでもならなければいいなと、他人事ながらに思った。