第34章 涙
極夜の後ろに死魔が現れた。それに最初に気づいたのは音波だった。音波の表情で異変を感じた極夜が振り返り死魔を見たとき、死魔はもうゆっくりと極夜に近づいてきていた。
極夜はもう消されると覚悟した。しかし、その覚悟と同時に心に浮かんだのは、音波と縁のことだった。極夜の中には、死魔に消される恐怖も後悔もなかった。ただ、自分がいなくなったことを知った縁は何と言うだろう。音波はきっと悲しむだろうな。そんなことが頭に浮かび、心の中で、ごめんな、とつぶやいた。
その間も死魔は極夜に少しずつ近づいていた。極夜は死魔を見つめ、自分の最後を待った。しかし、急に音波が極夜の腕を掴み、上空へ逃げるように飛んだのだ。
極夜は訳がわからなかった。音波は、魔羅に絶対の忠誠を誓っている。魔羅が極夜を消すと判断した以上、それを邪魔するなんて絶対にありえない事だった。
「おい!音波!どうしたんだ!」
極夜は音波に掴まれたまま叫んだ。
音波の顔は苦痛を感じているかように歪み、極夜を掴んでいる手は震えていた。
「おい!わかっているのか!お前、魔羅様に逆らうことをしてるんだぞ!」
それでも音波は何も言わず、死魔からだいぶ離れたところでようやく止まった。
「音波!おい!どうしたんだ!」
極夜は音波の前に立つように飛びながら、音波の顔を見ると、苦痛と後悔の入り混じった表情をしていた。
「おい、音波・・・」
極夜はそれを見て、何も言えず黙ってしまった。
「わからないんだ。死魔様が現れた時、極夜が消されてしまうと思った。頭の中では、しょうがない事だとわかっていた。魔羅様がそう判断した以上、極夜が消されるのはしょうがないことだと思った。だけど、極夜が消されると思うともう体が動いていたんだ。お前が目の前で消されてしまうのをただ黙って見ていられなかった・・・。」
「音波、でも、お前は魔羅様のすることを邪魔したんだぞ。」
「魔羅様に逆らうことだというのはわかっている。わかっているが、お前を消されたくはない。極夜、お願いだ。逃げてくれ。」
音波は極夜に訴えかけるように言った。それを聞いた極夜は、音波の言葉が信じられず、とまどった。
「逃げろって言ったって、死魔からは絶対に逃げられないじゃないか!お前もわかっているだろう?」
「しかし、やってみなければわからない。私が死魔様に直接話をするから、その間にお前は逃げろ。」
「何言ってる!そんなことをしたらお前だってどうなるかわからないじゃないか!これは俺が悪いんだ。音波の言うことを聞かず、俺が自分の感情のままに走った結果がこれなんだ!俺には恐怖も後悔もない!だから、音波はこれ以上何もするな!」
「しかし、前に広場で私が魔羅様を侮辱するようなことを言ったときだって、死魔様は私に何もしなかった。今回も話を聞いてくれるかもしれない。」
「だから、やめろ!お前が危険を冒すことはないんだ!逃げるのは音波、お前だ!いいから、お前は俺から離れていろ!」
その時、ゆっくりと近づいてくる死魔の姿が極夜と音波の目に入った。それを見た音波はすぐに極夜を自分の後ろに突き飛ばすように押した。
「逃げろ!逃げるんだ、極夜!!私の為だと思って逃げてくれ!」
「いや、だから・・・」
音波の今まで見たこともない剣幕に極夜はひるんでしまった。
「早く!早く行くんだ!お願いだ!人間界では私のいう事を聞くと言っただろう!極夜、言うことを聞いてくれ!」
極夜は音波の気迫と剣幕の前で、どうしていいかわからなかった。極夜は音波の気迫に押されるように、少しずつ後ろに下がることしかできなかった。音波を置いて逃げることなんてできず、かといって、音波の前にでることもできず、どうしていいのか考えることができなかった。
「行け!逃げろ!私のためにも、縁のためにも、生きてくれ!!行けーーーーー!!!」
音波が力の限りに叫んだ。極夜はこの声を聞き、とうとう頭が真っ白になった。音波に背を向けて飛んだ。しかし、100mも離れず、やはり音波を置いていけないと我に返り、振り返った。だが、その時にはもう、音波の前に死魔が立っていた。
「死魔!違うんだ!俺は逃げない!音波に何もするな!!」
極夜は焦り、叫んだ。そして、急いで音波のもとへ戻ろうとした時、ボソッと死魔の声が聞こえた。その声が聞こえた次の瞬間、音波がこの世のものとも思えない叫び声を上げた。そして、音波は一瞬にして、跡形もなく、消えてしまった・・・。
「・・・・・おと・・は?」
極夜は目の前で何が起こったのかわからなかった。音波が目の前で消えたのに、それを理解することができない。極夜はただ茫然と立ち尽くした。
「お、とは・・・?おとは・・・・。音波ーーーーーーー!!!」
極夜は何も理解できないまま叫んだ。影も形も闇のかけらさえ残さず、消えてしまった音波を探すように叫んだ。しかし、その声は、ただこだまするように夜の闇に消えていった。
極夜は死魔を見た。まだ何も理解できない頭で死魔を見ると、死魔がゆっくりと自分に近づいてきていた。極夜は放心したまま、近づいてくる死魔を見つめた。今の極夜の中に、憎しみも恐怖も悲しみもなかった。音波が消えてしまったことがまだ受け入れられない。しかし、その時、音波の言葉が頭の中に聞こえてきた。音波は逃げてくれと、生きてくれと、極夜に言った。極夜の頭の中には、音波の言葉だけがこだました。とにかく逃げなければと、とっさに極夜は死魔に背を向け、自分の力の限り、飛んだ。極夜の中に、死魔に消される恐怖など微塵もなかった。ただ、音波の言葉だけが頭の中で響いていた。極夜はまだ何も考えることができず、ただただ無心に飛んだ。
しかし、その様子を見ていた死魔は極夜を追いかけなかった。一切動こうとせず、逃げる極夜を見ているだけだった。ただ遠ざかっていく極夜の後姿をじっと見つめているだけだった・・・。
そんなことを極夜が知るはずもなく、ただただ無心に飛び続けた。丸一日も飛んだだろうか。ひとけのない森の中に小高い丘の原っぱがあるのが目に入り、極夜はそこに降り立った。
降り立つと、極夜の頭に今までのことが走馬灯のように駆け巡った。極夜はまだ音波が消えたことが受け入れられなかった。受け入れたくなかった。しかし、自分の目の前で音波が消えた瞬間の映像が嫌でも頭に浮かんでくる。極夜はひざの力が抜けたように原に四つん這いになった。
わかっている。わかっているんだ。音波は俺の前で消えてしまった。そこには何もなかったかのように音波は消えた。俺のことを思い、俺のために消えたんだ・・・。
極夜の目から涙がこぼれた。しかし、極夜は自分の目から涙がこぼれているのにも気づかず、ただただ音波の事を考えていた。
俺が自分を抑えられなかったから、俺が人間を殺したから、俺を守って音波は消えた。音波が逃げろと言った時、なぜ俺は音波を止めなかった。なぜ音波の前に立ち、音波を守らなかった!
「俺が、音波を殺した・・・。俺が音波を・・殺したんだ・・・。俺が・・・・。俺が、音波を・・・・。」
極夜は自分の目から涙がこぼれているのにも気づかぬまま、声を上げた。後悔と絶望と音波が消えた悲しみ。今まで感じたこともない感情が極夜の心にせまってくる。極夜は、泣き、叫び、そして闇の魔獣のように吠えた。そんな中、音波の顔が頭に次々に浮かんでくる。自分を心配している顔、怒っている顔、そして、笑っている顔。音波のことを思い、極夜は後悔と懺悔の中で泣き叫び、吠えることしかできなかった。
いつまでも、いつまでも、涙は止まることはなく、極夜は叫び続けることしかできなかった。




