第33章 暴走
極夜はもう頭の中から、音波も縁も消えていた。縁がどうやって人を殺したのかはわからない。しかし、極夜の目の前で、悪魔が人を殺した。悪魔が人を・・・。もうその事実しか極夜の頭にはなかった。死んだ人間を見つめ、今まで必死に抑え込んでいたすべてが吹き出し、もう自分の理性は音もなく崩れ落ちていた。自分も人間を殺したい、自分の思うままに、人間を殺したい。そして極夜は考えるより先に体が動いていた。今すぐに殺せる人間の場所は考えずともわかっている。いる。いるのだ。近くにその人間がいる。
極夜は音波が叫んでいる声などまったく聞こえていなかった。叫んでいるのはわかっていたが、極夜の心には届かなかった。ただただ、人間を殺したい欲望しか極夜の中にはなかった。
極夜がその人間のところに着いたとき、まだその人間は包丁を見つめたまま身動きせず佇んでいた。極夜が魔空を使い、その人間の耳に入ると、極夜の心の中に声が聞こえてきた。
(殺してやりたい。あいつを殺してやりたい。)
これを聞き、極夜はもう悦びを隠せず、笑い出した。久々の人間の闇が心地よく、そしてその闇に触れた快感が極夜の全身に沁みわたっていく。人間が人間を憎んでいる快感。その憎しみを増長させる悦び。
(殺せ。今すぐ殺すんだ。)
極夜は心に入り込み、囁いた。
(いや、でも、だけど・・・・)
人間の心が揺らいだ。
(何を言っている。殺したいんだろう?憎いんだろう?殺してしまえばいいんだ。)
人は自分の心で思っていることは、すべて自分で考えていると思っている。悪魔はそこにつけ入る。人間が自分で自問自答していると思わせながら、ゆっくりと人間の中に入り込む。
(でも、できない。いつも殺そうと思っているけど、実行できない。)
(しかし、憎しみは日に日に強くなってもう止まらない。止まらないだろう?憎い相手を殺さない限り、ずっと苦しみ続けることになる。)
(そうか、苦しみ続けることになるのか。でも、どうしたらいいのかわからない。殺したいとは思うけど、殺す勇気もない。)
(今までの憎しみを思い出せ。自分を抑えることなんてない。憎め。憎め。)
(だけど、相手が憎いだけじゃない。人を憎んでいる自分も憎い。もう相手を憎みたくない。憎しみ続けるのは疲れる・・・。)
(じゃあ、楽になるしかない。自分の手で、楽になるしか道はない。)
(楽に。楽にか。)
極夜は自分の力を最大限に人間にそそぎ、人間が考えられなくなるまで追い詰めていった。もう自分の中に自分の考えが一切ないなど思いもせず、人間はただただ極夜の声しか聞いてはいなかった。
(死ね。死ぬんだ。憎しみを抱え、憎しみの中で死んでいけ。)
極夜は興奮で全身を震わせ、目は快感で狂っていた。
その頃音波は、縁を自分の部屋に放り投げるように置き、人間界に向かっていた。極夜、早まるな、早まるんじゃないと願いながら人間界に飛んだ。人間界に着くとすぐに極夜につけた小悪魔の位置を探したが、どこにもなかった。すかさず、まだ人間界に自分の小悪魔がいるのを願いなら自分のもとへこいと魔笛を吹いた。すると、5匹が自分のもとへ戻ってきた。ほっとした音波は小悪魔に極夜の場所を探させた。小悪魔たちが飛んでいく姿を見ながら、ずっと願い続けていた。
極夜、どうか力を暴走させず、自分を保っていてくれ。ダメだ。ダメなんだ。お前は魔羅様の命令に背いてはいけない。死魔様がきてしまう。極夜に死魔様が。私が悪いんだ。すべて私が悪い。極夜、お願いだ。無事でいてくれ。
《見つけた。》
小悪魔の声が頭の中に聞こえると同時に、音波はその場所に向かった。ただただ、極夜の無事を願い、その場所に向かった。
小悪魔は極夜がいると思われる家の真上を飛んでいた。音波はその家に突っ込むように入った。するとそこには、首を切り血にまみれた人間と、それを見て狂ったように笑い続けている極夜がいた。音波は間に合わなかった。間に合わなかったことにショックを受けつつも、すぐに極夜の周りを見回した。死魔が現れないか目を皿にして辺りを見た。しかし、しばらくたっても死魔は現れなかった。音波はまだ自分に気づかず笑い続けている極夜の前に立ち、極夜の肩を激しく揺さぶりながら言った。
「極夜!しっかりしろ!しっかりするんだ!」
極夜は自分の欲求が満たされたこともあり、今度は音波の言葉が耳に入った。音波が自分の前に立ち、怒っている様な、心配している様な顔をして立っていた。
「あ、あれ、おと、は?俺、俺は・・・」
極夜はやっと我に返り、足元に血まみれで死んでいる人間を見た。そして、暴走していた自分を思い返した。
「俺、なんか、遠くから自分を見ているみたいだった。自分のことを抑えられなかった。」
極夜は音波の顔をまともに見ることができなかった。
「お前は悪くない。すべて私が悪かったんだ。縁のことにしても、極夜のことにしても、私の考えが甘かったんだ。でも、今回も死魔様は現れなかった。とにかく、早く魔界に帰ろう。縁が心配だ。」
音波は極夜の目を見つめて言った。
「音波、俺、その・・・」
極夜はやはり音波の目を見ることができず、どう言えばいいのか、どうしたらいいのかわからなかった。
「いいんだ。とにかく、魔界に帰ろう。話はそれからだ。」
音波はそう言うと、突然動きを止め、凍りついたように固まった。音波の顔が一気に青ざめ、血の気が引いた。極夜はそれを見て、まさかと思った。音波が見つめている先を見ようと極夜がゆっくりと振り返ると、そこには、死魔が立っていた。




