第2章 禁忌
魔界には入口がない。悪魔の出入りは自由にできる。なぜなら、魔界すべて魔羅の手中にあるからだ。闇すべてが魔羅であり、魔界にいる間は魔羅の手のひらにいるようなものである。誰がいつ出て行って、誰がいつ戻ったのか魔羅にはすべてわかるのだ。
魔界の真っ暗な中には、悪魔それぞれの部屋がある。この部屋は人を闇に染めた分だけ大きくなる。部屋が大きければ大きいほど、その悪魔が強いとされ皆から尊敬されるのだ。
悪魔が人に対する残忍さは他に例えようがないほど強い。人が苦しみ悶えている姿を見れば見るほど悦び、これほど幸せな満足感を与えてくれるものは他にない。しかし、悪魔同士の間にはその残忍さは皆無だ。もちろん、仲間同士ぶつかることもあるが、基本的には仲間に興味をもっていない。誰がどうなろうとどうでもいいのだ。悪魔がもっている感情は、人に対する強い執着と魔羅に対する忠誠だ。魔羅の号令があれば悪魔は一致団結し命令されたことをなんでもするだろう。
しかし、極夜は皆と少し違った。魔羅には忠誠を誓っているが、皆のように自分を抑えることができない。逆らおうと思えばいつでも逆らえる気にもなる。この反抗的な態度をこころよく思わない者も多数いるのだ。
極夜は百鬼に言われたことを考え、苛立ちながら自分の部屋に戻るところだった。
----せっかく気分よく帰ってきたのに。
すると前に音波がいるのを見つけた。身長は極夜よりも少し高いくらいだが、悪魔の中では珍しく優しい顔つきをしている。髪は青く、見た目は極夜と同じくらいだが歳は60を越えていた。音波は極夜が唯一自分の事を話せる悪魔で、今日の殺した人間の話をしてやろうと声をかけた。
「音波!」
「おぉ、極夜、帰ってたのか。今回はどうだった?」
極夜はこれ以上ない満ち足りた表情をし目が異常に光っていた。
「最高だった。」
音波はこの時の極夜の顔を見てすぐに事がわかり、顔を曇らせた。
「また殺したのか?」
「あぁ。」
音波はため息をつき言葉を続けた。
「お前はどうしてそうなんだ。どうして魔羅様に忠誠を誓えない。」
極夜は百鬼に言われた事を思い出しまた苛立ち始めた。
「今、百鬼にも同じことを言われたよ。音波までそう言うのか。」
「お前は言葉遣いにも気をつけろ。百鬼様だ。魔羅様の直属、魔界四魔のお一人だぞ。まぁ、百鬼様にもう言われているのなら私はこれ以上言うまい。」
音波にも責められ極夜は少し落ち込んだ。
「なんで人間を殺したら駄目なんだろうな。」
極夜がため息交じりにつぶやいた。
「それは、落ちた人間の闇が魔界の力、魔羅様の力になるからだ。それはわかっているだろう?」
「わかってるけど、だいたいの人間は心が闇に染まったら俺たちが離れたって勝手に自分で死ぬじゃねぇか。絶望の中でよ。だったら、俺たちが自分の手でとどめを刺したっていいじゃねぇか。」
極夜は納得がいかない顔をしていたが、音波はこれ以上言っても仕方ないと思い、話を変えた。
「で、今回はどうだったって?」
音波は、にやりとしながら聞いた。極夜が人を殺すということは魔羅に逆らうことと一緒だということはわかってはいるが、やはり人がどう苦しみ死んだのか聞くのは楽しかった。
極夜もそんな音波の気持ちがわかり、目を輝かせて話し始めた。
「あぁ。本当に最高だった。今回はじっくり時間をかけてじわじわ落としてやった・・。時間をかけた分、もうどうしてもやってみたくなってよ、頭の中になにかいるって気づかせたんだ。」
音波は驚きの表情で極夜を見た。
「気づかせた!?それじゃあ、おもしろくないだろう。少しずつ闇に染めながら苦しむ姿を見るのが楽しいのに。気づかれたら人間は悪魔のせいでこうなったと恐怖に支配されて、それ以上闇に落とせなくなるじゃないか。悪魔の力になるのは恐怖じゃない、憎しみや嫉妬の深い負の闇なんだから。」
極夜は胸を張り答えた。
「それが違うんだって!」
音波はわけがわからず聞き返した。
「どういう意味だ?」
「人間に気づかれるのはほとんど最初の段階でだろ?まぁ、俺にとっての最初の段階は心を染めきったところなんだけどさ。だから俺も今まで気づかれたら、もうめんどくさくなって次の獲物を探しに行ってたんだよ。だけど、今回初めて、心を染めきって、さらに狂わすまで追い詰めた奴に気づかせてみたんだ。時間をかけた分、闇の力も結構もらってたし、どうなってもいいと思ってさ。」
「まぁ、そこまで追い詰められるのは、極夜の力があってこそで、他の悪魔はマネできないだろうな。」
「それでさ、そこまでイった人間が悪魔の存在に気付くと恐怖を通り越して、絶望するんだ。その絶望は誰かに対してじゃない!俺に対しての絶望だ!!その時に出る人間の闇の力の大きさといったら!いつもの力の10倍はあったなぁ。あいつが俺の存在に気づいてからのあの恐怖に引きつった顔!声!絶望の淵にいる人間ほど面白いものはないよ。まぁ、そいつはそのまま自殺しちまったけど、楽しかったなぁ。あの快感は1度経験したらもうやめられねぇ。」
極夜はまたその時の感覚を思い出し、体が震えだした。しかし、音波は違った。それこそ、恐怖・絶望し顔は真っ白になっていた。目は見開かれ、じっと極夜を見据えていた。
「お、お前、なんてことを・・・。なんで!!どうしてそんなに笑ってられる!!!」
極夜は驚き、笑いながら言い返した。
「なにをそんなに怒ってる。こんなに楽しい話はないじゃないか。」
「お前は何もわかっていない・・・。悪魔は人に気づかれてはいけない。これは私たち悪魔が人間の苦しむ姿を眺めるのが好きだからっていうのはもちろんある。恐怖で人を翻弄させるのはなにも楽しくないしな。でも、人間が悪魔に対して憎しみや絶望の負の闇を感じるということだけは絶対に許されないことなんだ!それは、魔羅様がなによりも一番私たちにきつく命じられている事じゃないか!!!」
極夜は、はっとした。興奮のあまり忘れていた。そうだ、それだけは犯してはいけない禁忌だった。2人は呆然と立ち尽くした。
口を開いたのは音波だった。
「この禁忌を犯した者には、死魔様がくる・・。お前、消されるぞ・・・・。」
これ以上、極夜は言葉を発することができなかった。極夜は口をつぐんだまま、青白い顔で自分の部屋に入っていった。