俺の下僕は凶暴です。
お待たせしました。貴礼センパイ視点のお話です。
では、どぞ。
俺は目の前の会話に目が引ん剥く程見開いて、その女を凝視した。
「三崎ぃ~、ごめんね? もう少しで反省文も終わるからっ」
「良いのよ。私の所為で叶ちゃんの手を煩わせてしまったんだし」
「ああんっもう!! 可愛いなぁっ、三崎。待ってて、ちょっぱやで書いちゃうからね」
特別補講室に入って来た見知らぬ女生徒は、俺の下僕である叶歌と親しげに話していた。叶歌はというと、気色悪くでれでれと顔を緩ませている。
「何だあれ……?」
俺の呟きに太田がのほほんとした声を返してきた。
「転校生の滝沢三崎ちゃんですよ。叶歌ちゃんの中学からの親友さんです。はぁ、やっぱり美人ですよねぇ」
「転校生……」
俺は滝沢をじろりと睨み付けた。確かに美人だが、俺の今迄の経験から言って、美人にまともな性格の女はいねぇ。会長の金子がいい例だ。まあ、あいつも顔は良いけどな顔は。
「……ねえ、叶ちゃん。何だか睨まれてるみたいなんだけど」
「ああーっ?! 貴礼センパイ、何睨んでるんですか! 目付き悪いんですから、まともな顔して下さいよ」
人の顔をまともじゃないとか言うんじゃねえ。俺は舌打ちしつつ、叶歌を睨んだ。
「ああん? てめえ、どさくさに紛れてなんて事言いやがるんだ! 誰だそいつ!」
叶歌が生意気な口を利くもんだから、俺は叶歌の額をベシリと叩く。
「あたっ。……って、さっき友子に名前聞いてたじゃないですかっ。態度悪いですよ」
叶歌うぜえ。知ってんだよそんな事は。俺が気に入らないのはそこじゃねえんだ。
「先輩に良い度胸じゃねえか……。大体自己紹介なら下のモンが先だろうが」
俺が居るってのに、丸無視で話をしているその女が気に入らねぇんだよ。
「……留年生のくせに」
叶歌がぼそりと呟いた言葉に、俺の眉間の皺は深くなる。てめぇも先輩を紹介するとかしろよっ!
「ごめんなさい、挨拶が遅れたわね。滝沢三崎です、叶ちゃんがお世話になってます」
そう言って俺に向かって頭を下げた滝沢を、神妙に眺めた。
「豊永貴礼だ。叶歌に何の用だ?」
警戒心を露わにする俺に、滝沢はにっこりと笑みを浮かべて顔を上げた。
「叶ちゃんが、部活に出るらしいので。見学に」
こいつかっ!! 俺の雑用を掻っ攫ってく奴はっ。そんな笑顔に騙される程伊達に歳は重ねてねえんだよ。……それにしてもこの女、美人だな。叶歌のダチじゃなきゃ無警戒で惚れてる所だったぜ。こいつのダチにまともなのは居ねえからな……。
「分かったら貴礼センパイは大人しく馬車馬のように働くがいいですよ。私にだって予定があるんですぅ」
叶歌は得意気にこちらに舌を出している。こ、こいつ、憎たらしいな……。
「ふん、お前知らねえぞ。玲二にお仕置きされても」
一応忠告はしといたからな。後はお前の勝手だ。
「あ。――――――ど、どうしよう忘れてた」
あわあわと動揺する叶歌に滝沢は首を傾げた。
「どうしたの、叶ちゃん?」
「どーしようぅぅぅっ!! 絶対後が怖い事になるよ……」
フハハ、俺が扱き使わなくても、お前に自由なんか無えんだよ。精々頑張るんだな。
「何なの?」
状況を理解していない滝沢は眉を寄せて訝しがっていた。
どんな表情でも美人ってのは、目の保養だな。俺の取り越し苦労だったか、別に普通の性格の女だな。ま、俺様の彼女にするには胸が足らねえが。
「あのね、叶歌ちゃんは王子のお気に入りだから。一日一回は顔を見せに行かないと、『お仕置き』されちゃうんだよね? 美味しい展開だよ、叶歌ちゃんっ!」
太田が薄い本を片手に目を輝かせて親指を立てているのを、叶歌は『どこがだっ!』と突っ込んでいる。
こうなりゃお前にも何か被害を被って貰わなきゃ、俺の今迄の時間が無駄になるからな。
「明日が楽しみだなぁ? 叶歌」
にやにやと笑みを浮かべて頭をぽんと叩いたら、叶歌は恨みがましそうな顔で俺を睨み付けて来る。
「くそう。貴礼センパイ殴りたい。でも、部長と約束したから、行かなくちゃいけないし……。三崎も見に来てくれるし。お仕置きは……回避不可能かぁ。ああもうっ! 貴礼センパイ殴って良いですかっ! 良いですよねっ?!」
にじり寄って来た叶歌は、腰溜めに拳を握り良い笑顔で正拳突きの構えを始めやがった。
「待て待て、構えるな。拳を溜めるな、何手首を捩じってる?!」
慌てて俺は後退り、距離を取った。
「確実に落とす」
「怖いわっ!」
真顔の叶歌に向かって俺が青褪めた顔で叫んでいる所に、気だるげな声が掛かる。
「木瀬~、お前反省文追加な」
先生の制止の声に叶歌は悲鳴を上げた。
「なんでっ!?」
「その構えを戻しなさいね。流石に目の前でやられたら停学ものだから」
それに滝沢が物騒な発言を呟いた。
「それって、見てなきゃ良いって事ですよね」
良い笑顔だなぁ、おい。心成しか俺の顔を見る表情が冷たい気がするのは、気の所為、だよな?
「豊永先輩は奇襲に気を付けなくちゃならないですねぇ」
太田も便乗するなぁぁっ。俺の生存率がどんどん下がるだろうがっ。
「そっか、三崎良い事言うね。貴礼センパイ、背後に気を付けて下さいね?」
小首を傾げて可愛らしく笑った叶歌に、俺は背筋が震えた。
「つーかお前ら、手が止まってるんだけど」
先生の欠伸と共に、授業時間の終りを告げる鐘が鳴る。
「じゃあ、行こっか」
「そうね」
「豊永先輩、さようなら~」
三人娘が、筆記用具を鞄に仕舞って教室を去っていくのを見送って、俺は溜息と共に汗を拭った。
「危機は去った」
「豊永、お前明日も補講な」
レポート用紙と原稿用紙を回収した先生の声がしたが、兎に角あれが腹にめり込まなくて良かったぜ。