私の親友は少しだけ遠いようです。
お待たせしました。今回はお昼を食べている所に、噂のドM先輩が特攻してきます。
では、どぞ。
中庭の奥にあるカフェテラスで、騒音が響き渡る。生徒は速やかに自分のトレーを掴むと、騒ぎに巻き込まれないように遠巻きに後退った。
「木瀬ちゃ~ん」
遠くから慌ただしい足音が聞こえて振り向けば、刈り上げたもみあげと刺々しい短髪姿の男子が、両手を振って私達の下に駆け寄って来ていた。
ネクタイのラインが青い事から分かる、当たり前だが私には見覚えの無い先輩は、緩んだ顔で叶ちゃんに抱き付こうと飛び掛かった。それに冷静に対処した叶ちゃんの膝蹴りが鳩尾にめり込んでいく。そのまま三メートル程後ろに飛ばされた先輩を周囲は呆れと青ざめた顔を混ぜたような複雑な表情で見守っていた。
「うぐごっ。………うう」
呻き声を上げて床に崩れ落ちた先輩に向けて、叶ちゃんは冷たい眼差しで見下ろしていた。クールな叶ちゃんも格好良いわ。
「気持ち悪いですよ、ヒラ部員」
「いやいやいや、めでたく部長に就任したからね? 木瀬ちゃんのおかげで」
がばりと顔を上げて否定の言葉を紡いだ先輩に、叶ちゃんは眉を寄せて溜息を吐いた。
「そうですか。こっちは残念です」
「キビシいなぁ~」
家庭内の害虫を見るような叶ちゃんの視線にものともせず、顔を赤らめた先輩は床に転がって身悶えていた。ぶっちゃけその有様に私はドン引きしていたのだけれども、昼食を共にする女生徒が無表情で溜息を吐いたので、私は引き攣る顔をなんとか隠す事に成功したのよ。
「多良木先輩、埃が出るんで暴れるのはよさないか?」
「二年二組委員長の東ちゃん、僕は別に暴れてないんだけれども……」
叶ちゃんのクラスメイトで友人の東さんは、少々格式張った喋り方で床に転がる先輩を侮蔑の表情で見下ろしていた。慣れた様子で淡々と話す口調に、床の害虫いや多良木先輩とやらも渋々身体を起こして口を尖らせていた。
うん、全然可愛くないから。むくつけき男子生徒がぶーぶー文句を言っても全く心に響かない。まあ、元々触れる要素がないけどね。
「叶歌は部員だろう。連帯責任だ」
「しょんなぁ~」
肩を落としてしょんぼりとした多良木先輩は叶ちゃんの足元に這いずって目を潤ましていた。それを叶ちゃんはまるっと無視して多良木先輩の尻を蹴飛ばして、円形のテーブルを囲む椅子を引いた。
「ほら、どいたどいた。そこは三崎の席ですよ、ヒラ部長」
「蹴らないでっ。せめて、拳で解らせてっ」
お尻を押さえながらの発言に、叶ちゃんと東さんは揃って吐き捨てた。
「「気持ち悪い」」
そんな三人の様子を傍から傍観していた私は、おずおずと声を掛けた。あくまで控えめにね。全く興味は無いけれども、どうやら叶ちゃんの先輩らしいし顔ぐらいは覚えて置いた方が良いでしょう。
「えっと、叶ちゃん?」
「あー三崎、コレは真に不本意ではありますが、我が空手部の部長の、ヒラ部長です」
私の方を振り向いた叶ちゃんはお弁当箱をテーブルに置きながら、未だ床に四つん這いになっている先輩を指差して、不服そうに紹介してくれた。
「お願いだからちゃんと、紹介してっ。木瀬ちゃん!」
多良木先輩の懇願に、叶ちゃんは本気で首を傾げていた。
「……たらこYK、だっけ?」
出て来た言葉も意味不明で、私は思わず口の端を上げていた。その隣で爆笑を始めたのは、既に椅子に座りランチセットを口にする、叶ちゃんのもう一人の友人だった。
「ぎゃははっ、それ何の略なのよ? 意味分かんない。たらこて……ぷぷ」
ひーひー腹を抑えて笑いを噛み締めている、叶ちゃんのクラスメイトの長谷川さんを余所に、むくりと起き上った先輩は、至極真面目に自己紹介をし始めた。
「多良木佑助です。木瀬ちゃんには日々その拳で愛を受けて……」
恍惚とした顔をしての発言は、どんどん気色悪いものになっていく。思わず身体を引いた私の反応と同時に、叶ちゃんは全速力で二の腕を擦っていた。
「止めて、ほんとっ止めてっ。さぶイボ立ったじゃんか」
成程、この先輩は叶ちゃんの苦手なタイプの人間みたい。慣れた様子で、近付いて来る頬っぺたを押し退ける叶ちゃんと、変態的な鼻息を出してそれを受け入れている先輩の姿に私は一先ず息を整えた。
「部活の先輩ですか。初めまして、宜しくお願いしますね」
「滝沢さんなんつうスルースキル……」
長谷川さんがそうやって突っ込んでいたけれど、私だって好きでスル―した訳じゃない。ただ、あんまりお近付きになりたくないだけで……。今の所恋愛的な意味で叶ちゃんを見ている訳じゃないし、保留にしただけよ。憧れというにはやや倒錯的な視線を送ってはいるけど、まあ……許容範囲内、よね? 気持ち悪いけど。
「いえいえ、こちらこそ。いつもおんぶにだっこさせて貰って」
ニコニコ笑って挨拶を平然と返す多良木先輩は、変な行動さえしなければ気の弱そうな男子生徒にしか見えない。う~ん、底が見えない。……要観察対象ね。
「ていうか、ヒラ部長は何の用ですか~。女の園に単騎特攻とは、中々の猛者ですね~」
叶ちゃんは相変わらず面倒臭そうな態度で先輩を追い払おうとしていた。
「わっくんと一緒に組手したんでしょ。なんで僕を避けるのさぁ~」
「避けられていると自覚してんなら、そのM発言引っ込めてからにしろよ。やだよ、あんたのトコの奴等、同類ばっかだもん」
うるうると目を潤ませるその姿には先輩の威厳が全面的に足りなくて、叶ちゃんはうっとおしそうに手で払っていた。
「敬語すら無くなったっ」
おいおいと泣き真似する多良木先輩を余所に、私達は平然と昼食を取っていた。私はサンドイッチセットを摘まみながら、可愛らしく首を傾げた。
「わっくんて、どなたですか?」
「ああ、涌井君だよ。木瀬ちゃんの幼馴染の。わっくんも良い筋肉のしなりしてるんだよね~。木瀬ちゃんの正拳突きに勝るものはないけどね」
うっとりと叶ちゃんの拳を眺めている先輩に、東さんが無表情で相槌を打った。
「変態だな」
「本当に活きの良い変態っぷりで~」
気の抜けた同意をしつつ、トレーを両手で持ちながら、遠巻きにされる私達の下に現れたのは太田さんで、若干青白い顔をした彼女を長谷川さんは心配して、自分の隣に座らせていた。
「太田ちゃん。鼻血は?」
「止まったよぉ。でも、ほらレバニラ」
鼻栓姿で満面の笑みを浮かべて皆に見せたトレーの上には、レバニラ炒めと炒飯のセットが湯気を立てていた。
「殊勝だな」
それに東さんは深く頷いて、僅かに笑みを浮かべていた。
「いい加減に、部活顔出しに来てよ~。木瀬ちゃんが入部してるって触れ込みで、一年結構集まったんだよ?」
そんな友人達の会話には加わらず、相変わらず多良木先輩が叶ちゃんの脇をウロウロしながら食い下がっていた。
「私は客寄せパンダかいっ。……めんどいです。気が乗りません」
「本当に、お願いだよ。優良株の子が、木瀬ちゃんと組手出来ないなら、入部しないって言ってるんだよ~」
「どうでもいいです。大体、私の役目は籍を置く事だけなんだから、後は好きにさせて下さいよ」
叶ちゃんは先輩を無視して弁当を口にする。
「後生だからっ」
「くどいっ!!」
思わずプチトマトを潰して先輩の目潰しをする叶ちゃんを眺めながら、私は他人事のように思い出していた。
(叶ちゃんの空手してるところ、格好良いのよね。道着着てる所なんて、もう一年近く見てないんだわ)
「……久々に、叶ちゃんが空手やってる所、見たいかも」
思わず呟いた私の言葉に、叶ちゃんは目を丸くすると照れたように笑ってそう言った。
「……じゃあ、殺ろうかな」
「ホントにっ?! ありがとう、滝沢ちゃん。鶴の一声だね~」
思いがけず同意を得られた事で、多良木先輩は舞い上がって私の手をぎゅっと握ってきた。ちょっ、男の分際で私に触れないでくれる?
「なんか、『ヤる』が意味違くない?」
「本人幸せそうだから良いんじゃないかなぁ」
「ほっとけ。どうせ末期だ」
私達を横目で見ながら長谷川さん、太田さん、東さんが揃ってそんな事を言い合っていた。
「東、辛辣~」
「て、いうか。――――この状態でよく、食事出来るね?」
「あ~……」
余りにも平常通りに食事をする三人に、私が先輩の手をさり気無く振り払って聞き返せば、お互いに顔を見合わせて、叶ちゃんも含めての異口同音が返ってくる。
「「「「慣れてるから」」」」
それに若干の羨望と嫉妬を感じつつも、私は叶ちゃんに笑い掛けた。
「仲良しね」
「でしょ?」
返ってきたのは、見慣れた快活に笑う親友の笑顔だった。あーあ、やっぱり女子高になんか行かずに、初めから同じ高校にしておけば良かったわ。
小さな溜息は、騒がしい会話に掻き消されて、幸いにも誰にも気づかれる事無く消えていった。




