第1話
2002年6月下旬、本間直斗はもうすぐ20歳の誕生日を迎えようとしていた。
夢にまで見ていた大学生活も、蓋を開けてみるとすぐにいわゆる5月病が発症。
なぜなら、大学生になったら“必ず彼女を作ろう”という意気込みも空回りしつつあるからだ。
2月に合格の栄冠を勝ち取って以来、“必ず彼女を連れてキャンパス内を闊歩して歩きたい”と信じて鹿児島からここ京都・北大路にあるワンルームに越してきたのであるが・・・
もうすぐ夏休みが始まる。
“それまでには必ず!”と焦りが日増しにヒートアップしてきたのである。
思えば去年の今頃は予備校通い、今日の日を信じて禁欲生活を送っていたのであるが、直斗にとって受験勉強以上にキャンパスライフは厳しいものとなっているのである。
もちろん、直斗なりに入学以来いろんな努力をしてきた。
“カムツゲザー”という名のテニス同好会というサークルに入り、週2回はラケットを手にして来た。
直斗の大学は共学であるが、近くの短大や女子大の子も参加しているので男女比率は4対6。
4月の入会時には正直“選び放題”だなという多少余裕を持っていた自分が今では嘘のようである。
決して外見的には他人より見劣っているわけではない。
九州男児のイメージ通りの掘りの深い顔をしている。
ただ、大きな欠点はやはりテニスが下手であると言う点である。
だから最近ではあんまり同好会には顔を出さない。
むしろいつやめても構わないと思っている。
そこで直斗は経済学部の同じゼミ仲間の紹介で合コンに1ヶ月ぐらい前から精を出しているのである。
いわゆる方向転換っていうやつだ。
昨日まで計3回コンパを実施した。
5月の末にH女学院、6月中旬にD女子大、そして昨日(6月25日)にK女子大。
1回1回の開催の間隔が縮まっているのは直斗の焦りを如実に表しているのである。
直斗のコンパ仲間は合計5人、名古屋出身の拓哉、地元京都の将年、岡山出身の浩介、高知出身の伸浩との5人である。
2回目までのコンパで拓弥と将年が彼女をゲット、直斗と浩介そして伸浩の3人は依然としてやもめ暮らしである。
前2回のコンパでは気に入った子がいたのであるが、拓弥や将年に先を越されて声をかけられていた。
「大学生活ってこんなはずじゃなかったのに!」と2回目までの教訓を踏まえ、なけなしの勇気を持って自らを奮い立たせ、昨晩K女子大の雪絵と京都の待ち合わせのメッカ、四条河原町の阪急前で会う約束を交わしたのである・・・