第8話「突入」
銀色のSIG SAUER P230を握る藤堂は、引き金と指の間に隙間が少ないことに苛立った。
降下用の手袋は若干厚みがある。なかなかしっくりこない。できれば、素手で扱いたいところだった。だが、手袋を脱ぐ余裕はなかった。
窓の向こう側に、犯人はいるはずだ。歩みは止まっている。窓越しに約三メートルの距離を置いて、見えない対峙が続いた。
向こうは気づいていない。こちらが主導権を握っているということだ。この距離ならば、窓ガラスが間に入っていても、外れることはない。銃口を下に向けて数発撃てば、脚を打ち抜くことも可能だろう。
できはしない。
警告の発砲なしに、撃つことはできなかった。たとえそれが、凶悪な殺人犯でも、薬物中毒の異常者でもだ。こちらが一発撃っている間に、向こうは自由に行動できる。
藤堂は左手をシグを添え、動けないでいた。
落ち着け。
自分に言い聞かせる。
向こう側の人間が、犯人である保証はないのだ。カーテンの向こうは見えず、正体がわからない。
早見の耳が聞いた「音」しか、根拠がない。自分はまだ、見ていない。
『犯人は動かない』
囁き声だった。藤堂のイヤホンから漏れた音声が、犯人の耳に入ることを憂慮してのことだろう。
早見は、犯人と断定していた。藤堂はそれを信じたかった。しかし、絶対というものはない。犯人の顔を知らず、カーテン越しの向こうも見えない。この状況で行動するのは、危険な賭けだった。警察官が賭けを行うことは、ない。
『藤堂主任』
早見も、膠着した状況で、迷いを感じたようだ。行動を起こさない藤堂を責めるでもなく、ただ名を呼んだだけだった。
『――戻る』
部屋の中の空気が動いた。
早見は冷え切った地面から頬を浮かせた。
コンクリートの床に頭をこすりつけ、汚れたドアから、わずかに離れた位置で盗聴していた。髪の毛に綿埃が絡まった。
早見は必死に音を拾った。少しでも音が聞きやすい位置を探したら、ドアとドア枠の間の埃に気づいた。
空気の流れがあった。内と外の空気の行き来で、汚れが色濃かった。
早見は汚れが付くのも構わず、指先で慎重に埃をぬぐい取った。コンクリートマイクの先に装着した針を差し込んだ。隙間があれば、それが生きる。振動で音を拾うよりも、正確だったのだ。
部屋の中の動きが緩やかなものになった。
早見はそっと後退した。集中力の限界に来ていた。いったん、退く必要があった。
唇に髪の毛の塊が付着した。取らない。四つん這いで下がり、階段まで到達した。
それからはじめてゴミを取った。
早見をサポートする重森が息を潜めていた。彼は意外そうな顔で早見を眺めた。潔癖性と言ってもいい早見の顔が砂に汚れ、頬に擦り傷ができていたからだ。
「早見さん」
制止された。今度はコンクリートマイクを地面に当てていた。
「また、椅子に座った」
無線機のマイクに向かって囁いた。
早見はいつもより集中していた。
訓練でも、早見と行動することが多い重森には、それがよくわかった。
「待て」
早見は目を見開いた。
「人質が動いた! 犯人に向かって走ったぞ!」
早見の無線と時を同じくして、藤堂も部屋の音に気づいた。
声を荒げた男。
足音。
そして、嫌な音が重なった。
藤堂は意を決して、ベストから小さな円筒を抜き取った。ピンを引き抜いた。閃光弾だ。
待機していた諸星へと合図を送った。諸星はそれを受けて、屋上に中継する。
『突入する!』
無線機が大声でわめいていた。
藤堂は左手に閃光弾を持ったまま、右手のシグの引き金を引いた。銃弾が窓ガラスを破った。
蜘蛛の巣状になった窓を蹴り砕いた。
閃光弾を転がした。障害物がなければ、窓から二メートルの位置で止まる。つまり、犯人とおぼしき者の足下だ。
二秒。
一秒。
炸裂。
大音響と、激しい光がはじけた。
強烈な風がガラスの破片を撒き散らしていた。
藤堂は転がるように、部屋に躍り込んだ。




