第1話「縄」
シャワーからあがった田原真知は、携帯を手に取った。
メールが着信していた。彼氏から、もう少しで到着するという内容だった。
真知は髪の毛を包んでいたタオルを放り出し、別のタオルで包み込んだ。充分に水気を取ってからドライヤーを使う。髪を伸ばすようにしてからは、特に気をつけていることだった。ドライヤーを使う時間は短くしないと、痛みやすいのだ。
英二は長い髪が好きだった。付き合い始めてまだ一年だったが、髪もだいぶ伸びてきた。髪の長さの分だけ、二人の関係は深まったと言える。
化粧水を肌に染みこませてから、ストレッチを始めた。真知の悩みは、身体の固さだった。運動は好きな方ではないし、学生時代に部活をやったこともなかった。
風呂上がりのストレッチ運動は苦痛だった。それでも、彼氏のために日課にしていた。そのせいか、少しだけ体力もついてきた気がする。彼の求めにも、長く付き合えるようになっていた。
ひととおりストレッチを終え、髪を乾かしたところで、玄関のチャイムが鳴った。
真知はガウンを羽織り、足を早めた。
「はーい」
ドアスコープを覗くと、彼氏の帽子が目に入った。マンモスの絵柄が可愛いキャップだ。先週の誕生日に、真知がプレゼントしたものだった。
「ちょっと待ってね」
ドアのチェーンを外してから、鍵を開けた。見上げる形でキャップが目に飛び込んでくる。
「え」
彼の口には、透明テープが貼りついていた。
「やあ」
腰あたりから声がした。
「え」
突き飛ばされた。素早く覆い被さってくる人の姿が、非現実的なもののようだった。彼のために緩めていたガウンがはだける。
ドアのところで、彼がくずおれた。マンモスのキャップが転がって脚にあたった。真知はようやく恐怖というものを感じはじめていた。
頬を叩かれた。
吉田英二は痛む頭を押さえようとして、手が動かないことを知った。
「起きたかい」
若い男の声だった。どこかで聞いたことのある。
目を開いた途端に、そんなことは吹き飛んでしまった。恋人が肌も露わな姿で、ぐったりと座り込んでいたのだ。
「真知!」
口にした恋人の名前は、耳に届かない。口にテープが貼りついていた。
起きあがろうとして、男の存在に気づいた。
「お前が!」
どうにかしたのか、と言おうにも言葉は出なかった。体ごとぶつかる。大学時代は柔道をやっていた。体格も大きい方だ。並の男など吹き飛ばす自信があった。
「待てよ」
動けなかった。肩を押さえられていた。しかも片手である。振り払おうとして気づいた。手が後ろ手に縛られていた。
思い切り力を込めても、縄が手首に食い込んだだけだった。
「痛いだろ?」
冷静になれ。英二は自分に言い聞かせた。柔道の試合と同じだ。がむしゃらに向かっていっては倒される。相手の隙を窺え。
「大人しくなったね」
笑い顔が憎らしい。男が手を放す。その瞬間を待っていた。
英二の身体は柔らかい。彼女相手の寝技にも応用が利いている。
腰を落として、腿を回転させる。膝から先を伸ばし、男の脚を刈り取った。
「!」
足首に痛みが走った。
「ごめん。そっちも縛っておいたから」
縄が両足に絡んでいた。
冷静になれていなかった。普通なら気がつきそうなものだ。悔しい。
「彼女が心配?」
英二はかみつきそうな勢いで這い進もうとする。だが、縄は前進を許してくれなかった。
「大丈夫だよ。ほんの少し、痛かったかもしれないけど、今はすごく気持ちよくなっているから」
男ははだけた真知の胸を手のひらに乗せた。
英二は言葉にならないうなり声を上げた。




