02 瞼の裏の光
空には鈍色の雲が垂れ込めている。今朝も小雨が降って、冷えた空気が水を含んでいる。この間まで黄金色に染まっていた木立がすっかりと葉を落としているのを視界に収めつつ、ミヌーシュは侯爵邸の庭を歩いていた。
レンガ造りの温室に入り、南方の果樹が青々と葉を茂らせる小径を進んでいくと、男女の笑い合う声が耳に届く。
「……」
つい足を止めそうになり、それでも体は前に進んで、連れ立った侍女らと突き当たりのその空間に踏み入れた。大きな窓から入る冬の薄い光。二人の蜜色と白金の髪が、明るく輝いている。何かを思いそうになったことは瞬きで散り、ミヌーシュは普段通りに声を掛けた。
「お待たせいたしました」
ティーテーブルに着いて話していたらしいパトリックとアンヌがぱっと笑顔で振り向く。
「ミヌーシュ、会いたかった」
「お姉さま!」
温室の端にあるここは、日差しがよく入るので明るく、火を焚いていて暖かく、庭の風景も室内の緑も楽しめる、寒い季節の侯爵邸の憩いの場だ。背丈のある植物を出し入れするために天井が高く造られている。今日は彼と約束をしていて、先に従僕に案内させていたのだった。
「アンヌ、パトリック様をもてなしてくれていたのね。ありがとう」
妹は機嫌良く椅子から立ち上がり、おどけるように礼をした。
「うふふ。お任せ下さいませ。それでは、お邪魔になりたくありませんので私はここで失礼いたしますわ。パトリック様も、ご機嫌よう」
「ああ、アンヌ嬢ありがとう。また頼むよ」
アンヌは緩く波打つ髪を揺らして去って行った。メイドがアンヌの前にあったカップを下げて従僕が椅子を引き、ミヌーシュが席に着くとパトリックが頭を掻きながら切り出した。
「いや、つい話し込んでしまって。君の話をしていたんだ」
「わたくしの?」
予想はしていたものの、先を促す。
「ああ。先日ドレスの試着があっただろう、結婚式の。当日の楽しみに取っておくのは勿論だけど、どうしても気になってしまって。あ、詳しく聞いたわけではないよ。感想というか印象というか、こう……綺麗だった、雪の妖精みたいだった、それくらいの感じで」
ばつが悪そうに萎んでいくのに、そうなのねと頷き返す。
パトリックは好きなものを分かち合うことに喜びを感じる人間だ。ミヌーシュ自身はそうではないが、そういう人がいることは理解している。何しろ、学園で出来た仲の良い友人だって、こっそりと隠れて読んでいるつもりだった恋愛小説がきっかけだったのだし。
目の前にカップが置かれ、茶が注がれたので話題を変えることにする。
「そうだわ、パトリック様。お見せしたいものがありまして。こちらをご覧いただけますか?」
「おや、なんだろう」
視線を泳がせていたパトリックがぱっと身を乗り出す。メイドが持ってきた小さな陶器の壺から、砂糖のまぶさった青紫の粒を摘まんでカップの中に落とすと、丸まっていたのがゆっくりと浮き上がって茶の水面に花開き、甘い香りが立ちのぼった。
「ああ、これは……ふわっと広がって、いいね」
「花を砂糖漬けにしたものなのです」
「茶葉はいつもの? 僕も次はそれにしようかな」
そう言って彼がミルク入りの茶を飲み干したのを見やる。
ここに来た時からテーブルの上に置かれていた砂糖壺とミルク入れ。両方をたっぷり入れて飲むのはアンヌの好みだ。パトリックが甘いものを好むのは昔からで、茶や菓子を出す際には留意していたけれど、ミルクを求められたことはなかった。
「ミルクに合う茶葉も他にいくつかございましてよ? お花はそのまま召し上がっていただいても」
ゆるりと小首を傾げた。この国の人は茶の色や香りを楽しみ、ミルクを入れることを邪道とする向きもある。もし普段、外聞を気にして控えているなら、この私的な席は良い機会のはずだ。砂糖漬けを試したいなら、そのまま口に入れてもいいし、好みの茶に添えてもいい。
「君と同じものを飲みたいんだ」
彼の目は真っ直ぐだった。それをただ受け止める。これが好意の表れであることは分かる。ミヌーシュは彼の在り方を否定したいわけではない。それに、結婚して侯爵邸に来たら好きに飲めるようになるだろう。だから、それ以上深追いするようなことはせず、話を続けた。
「ご興味をお持ちいただいて嬉しいですわ。この屋敷の庭で摘まれたものなのですが、閃きを得たとかで、当家の菓子職人が張り切っておりますのよ。わたくしの誕生日や、式にも出されるかもしれません」
「やあ、それは楽しみだね。もうすぐ年も明けるし、お祝い事続きだ。その分やる事も多いけれど、こうやって君と会えるし」
新しく茶の注がれたパトリックのカップに、ふわり、とまた一つ青紫の花が咲く。一口飲んだ彼は、一瞬何とも言えない顔をして、それにしても、と目を細めた。
「あとふた月と少ししたら、君と毎日会えるようになるんだな。夢みたいだ」
「そうですわね。そのための準備をしなければ。招待状のお返事が揃いましたので、席次から決めましょうか」
控えていた侍女から受け取った招待客の一覧を、パトリックに渡す。
「皆様、出席されるようですわ」
「そうか、それは良かった。ちょうど皆王都にいるシーズンだから、道が閉ざされて来られないなんてこともないだろうし」
「ええ」
「そうそう、うちの親族のことを改めて母に確認して来たけれど。やっぱり特に揉め事なんかは無いようだから、誰を隣り合わせても問題ないよ。知っての通り、一族皆似たもの同士で、厳格が服を着て歩いているような人たちだからね」
彼は眉根を寄せて堅苦しい顔を作ってから、大仰に肩を竦めた。モロー伯爵家は領地を持たず、官職を世襲する家だ。建国以来の史書を管理していて、古いものを古いままに、そして権威や格式を重んじる。
「この家の一員になるのが本当に楽しみだよ。お義父上とお義母上みたいになれると良いな」
てらいのない笑顔を向けるパトリックの蜜色の髪はきらきらと輝いている。ミヌーシュが瞬きすると、目の中に光が残る。
「そうですわね」
頷いて、それからミヌーシュはカップを口に運んだ。色褪せた花がらがあとに残った。




