六匹目
話が一段落ついても、まだバイトが終わったわけではない。
神社には、まだ整理されていない物が数多く存在する。それらを片付けるため、直矢は住み込みでバイトを行う予定を組んでいた。その間、特にラッキースケベがあるわけでもなく、きわめて幼女の裸をガン見するという大罪を犯したこと以外は、健全に3日間を過ごす。そして帰宅の日を迎える。
「じゃあ、3日間お世話になりました」
「おう。直矢の親父さんには、俺の方から近いうちに連絡入れとくからさ。お前も、ちゃんと話して、よく相談しろよ」
「はい。ありがとうございました」
こうして直矢は、金髪幼女・金髪幼女(モフモフな尻尾付き)を同伴する形で、伏間家を後にした。
契約を結ぶか否かはまだ最終決定ではないにしろ、まずは直矢の父親に事情を説明する必要がある。その際には、当事者である金髪幼女(モフモフな尻尾付き)も一緒にいた方が話が早いだろうという判断だった。
帰り道。
金髪幼女(モフモフな尻尾付き)の腰から揺れるモフモフとした狐の尻尾は、夕暮れの住宅街ではさすがに目立ちすぎる。直矢がそれを指摘すると、金髪幼女(モフモフな尻尾付き)は「むぅ、これは妾の自慢の毛並みなのじゃがな~」と、少々名残惜しそうな顔をしつつも、次の瞬間にはあっさりとその尻尾を不可視の状態へと変化させた。存外、便利な能力を持っているらしい。
このため、傍目には直矢が普通の幼女を連れて歩いているようにしか見えないだろう。
「……先ほどは、すまんかったのう」
ぽつりと、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)が謝罪の言葉を口にした。
「何がだ?」
茜色に染まり始めた夕陽が、二人の影を長くアスファルトに伸ばしている。金髪幼女(モフモフな尻尾付き)の小さな体格では自転車の二人乗りは危険だと判断し、直矢は自転車を手で押しながらゆっくりと歩いていた。万が一にも、この小さな神様を落として怪我でもさせたら、それこそ目も当てられない。
「その……主を騙すような真似をしたことじゃ」
「ああ……まあ、そうだな。人を騙すのは、あんまり良くないよな」
「…………重ね重ね、すまぬ」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)が最後に発した謝罪の言葉は、夕暮れの喧騒にかき消されそうなほど、とても小さな声だった。だが、直矢の耳は、そのか細い声を確かに捉えていた。
「もういいさ。まだ正式に契約したわけでもないしな。それに、もうしないんだろ? そういう隠し事」
「うむ、もちろんなのじゃ!」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)がぶんぶんと首を縦に振る。
「じゃあ、この話はもう終わりにしよう。湿っぽいのは、あまり好きじゃないからさ」
「……うむ。ありがとうな、主よ」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の感謝の言葉もまた、先ほどと同じように小さなものだった。直矢にはその声もちゃんと聞こえていたが、今度は何も答えなかった。ただ、心の中で「どういたしまして」とだけ、小さく頷いた。
*
「あら?」
直矢と金髪幼女(モフモフな尻尾付き)が帰った後、客間を片付けていた苑未が、座卓の上に置かれた見覚えのある茶封筒に気づいた。
「これって……確か……」
「どうしたのお姉ちゃん?」
六花が不思議そうに尋ねる。
「うん、見て。直矢君ったら、今日のアルバイト代、忘れていっちゃったみたい」
苑未が苦笑しながら封筒を振って見せた。
「別にいらないんじゃない? あの朴念仁、今日の迷惑料ってことで」
「もう、六花ったら。そういうわけにはいかないでしょ」
「ほんっと、世話が焼ける馬鹿ねー。……しょうがないわね。私が届けてきてあげるわよ」
六花はやれやれといった表情で立ち上がる。
「ごめんね、六花。お願いしちゃって」
「いーのよ、別に。あの馬鹿に、缶ジュースの一本でも奢らせて、きっちり元は取るから」
「ふふっ、あまり高いのをおねだりしちゃダメよ?」
「そうねー、ペットボトル飲料くらいで勘弁してあげるわ」
「ええ、そうしてあげてちょうだい」
苑未は、妹の優しさ?に微笑みながら、その背中を見送った。
*
六花から「アンタ、バイト代忘れてるわよ!」という素っ気ない電話を受け、直矢は金髪幼女(モフモフな尻尾付き)を連れて近くの公園で彼女を待っていた。
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)を自転車に乗せて運ぶのはやはり危険だと判断したため、直矢は先ほどからずっと自転車を押して移動している。おまけに、この得体の知れない幼女を一人で家に置いておくわけにもいかず、必然的に六花の方からわざわざバイト代を届けてもらう形になったのだ。
「はい、忘れ物。まったく、世話の焼ける朴念仁なんだから」
公園の入り口で待っていた直矢に、六花はぶっきらぼうに茶封筒を手渡した。
「……悪い、助かった」
直矢は素直に礼を言う。
「…………」
しかし、六花はその場を立ち去ろうとしない。何か言いたげに、じっと直矢を見つめている。
「……なんだよ?」
「お礼、まだ貰ってないんだけど?」
ふふん、と六花は得意げに胸を張る。
「……はぁ~、やっぱりそうなるか」
直矢はわざとらしく大きなため息をつくと、公園の入り口近くに設置されていた自動販売機の前へと歩き出した。
「で、どれがいいんだ?」
「はあ? 何よその言い草。私の貴重な労力が、たかが缶ジュース一本で換算できるとでも思ってんの?」
六花がふてくされたように頬を膨らませる。
「そうか、じゃあいらないんだな」
直矢が踵を返そうとすると、六花は慌てて彼の腕を掴んだ。
「ちょっ……冗談よ、冗談! わー、ジュースがいっぱいで迷っちゃうなー」(棒読み)
急に猫なで声で、わざとらしい抑揚をつけてかわいこぶる六花。そのあまりの豹変ぶりに、普段の彼女を知る直矢は、背筋にゾクリと悪寒が走るのを感じた。
「キモッ……ってぇ! 何すんだよ!」
思わず本音が表情に出てしまい、六花から頭に軽いチョップを食らう。
もしこれが直矢以外の男子生徒で、かつ六花の本性を知らない者であれば、今のキモッと評された演技にコロッと騙されて喜んだことだろう。日々の行いがいかに人間関係の構築に大きな影響を及ぼすか。今回のことは、そのことを雄弁に物語る教訓と言えるかもしれない。
「んー、じゃあ私はコレね」
六花はぶつくさ言いながらも、結局一番高いカフェオレを選んだ。
「はいはい。……で、そっちはどれにする?」
直矢は金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)に視線を移す。先ほどから、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)はキラキラとした好奇の眼差しで、色とりどりの商品サンプルが並ぶ自動販売機を物珍しそうに眺めていた。
ついでだからと、直矢は彼女にも何か奢ってやることにした。
「ほえ? 妾も良いのかえ!?」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)がぱあっと顔を輝かせる。
「あのドケチで有名な直矢にしては、今日はやけに気前がいいじゃない」
六花がニヤニヤしながら茶々を入れてくる。
「……うるさい。お前、やっぱりそのカフェオレ返せ」
「な、何よ、ケチ! あ、さてはアンタ、私と間接キスがしたかったんでしょ、この助平!」
「ああ、そうだよ。お前が口を付けた飲み口のところを、隅から隅までベロベロと舐め回してやるから、今すぐ寄こせ」
「このド変態っ! いやらしい! 直矢のえっちー!」
きゃっきゃと意味不明な罵声を上げながら、六花は楽しそうに直矢から距離を取った。
夕暮れの公園前。ツインテールの快活な美少女と、どこか朴訥とした雰囲気の少年が、他愛なくじゃれ合っている。この光景を客観的に見れば、青春の一ページ以外の何物でもないだろう。
だが、その内実は、単なる痴話喧嘩(未満)である。それでも、もしこの場に他の人間がいたならば、きっとこう叫んだに違いない。──リア充、爆発しろ、と。
「ああ、これじゃあ何が書いてあるか読めないか。ちょっといいか?」
「む? なんじゃ、主よ?」
直矢は金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の後ろにそっと回り込み──。
「少しの間、抱き上げるから、しっかり掴まってろよ」
「うん? お、おおっ!」
戸惑う金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)を気遣いつつ、直矢はその小さな両脇をしっかりと抱え、ゆっくりと抱き上げた。彼女の目線がぐっと高くなる。
「ほえ~! 抱き上げられたのは、生まれて初めてじゃのう!」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)が無邪気に声を上げる。
「へえ、直矢、あんた、この子の初めてを奪っちゃったんだ。嬉しい? ねぇ、嬉しい?」
六花がここぞとばかりに囃し立てる。
「……悪い、六花。今、結構ギリギリで、お前のそのくだらないボケに付き合う精神的余裕がない」
意外と重いな、この子──などという、女性に対して決して口にしてはならないその禁句を、直矢はかろうじて飲み込んだ。それだけで、彼を褒めてやりたい。
平均的な男子高校生(予定)の筋力しかない直矢にとって、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の体重を安定して支え続けるのは、腕の筋肉を限界まで酷使する苦行に近い行為だった。一部の特殊な嗜好を持つマニアにとっては歓喜に値する、幼女との貴重なスキンシップの機会かもしれないが、今の直矢にそこまで思いを馳せる余裕は微塵もなかった。
「も、文字は読めるか?」
「うむ、問題はないぞ。仮契約を結ぶ際に、主の記憶から現代の知識はあらかた仕入れさせてもらったからのう」
どうやらこの幼女(神様?)、現代社会で生活するのに必要最低限な知識は、既に持ち合わせているようだ。その点は少し安心できたのだが、直矢の腕は徐々に限界を迎え、ぷるぷると小刻みに震え始めていた。
「そうじゃのう……ううむ……あっ! こ、これは……!」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)が何かを見つけ、衝撃を受けたように目を見開いた。
「なに? 何かあったの?」
彼女のただならぬ反応が気になったのか、六花も金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の視線の先を覗き込もうとする。直矢は、もはや腕の震えが止まらず、それどころではなくなりつつあった。
「そ、それは流石にマズイんじゃないかしら……」
六花が若干引いたような声を出す。
「じゃが……じゃがしかし、妾の女の勘が、これを飲めと激しく訴えかけておるのじゃ……!」
「っ……!(だ、だめだ、もう限界……!)」
とにかく早く選んでくれ! その心の叫びすら、もはや直矢は声に出すことができないほど追い詰められていた。
「は、はやく……たの……」
直矢が「早く頼む」と懇願しようとしたが、言葉が途中で途切れてしまった。腕の感覚が、徐々に消えていく。
「おおっ、すまんのう、主よ! よし、これじゃ! これを押せば良いのじゃな!」
「あ……買っちゃったわね、あの子……」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)が、目を輝かせながら自動販売機の購入ボタンを小さな指でぽちりと押した。ゴトン、と鈍い音を立てて、缶ジュースが取り出し口へと落ちてくる。その音が、直矢にとっては、己をこの苦痛から解放してくれる救いの福音のように聞こえた。
「おおー! 実際に自分の手で買うてみると、実に感慨深いものがあるのう!」
きらきらとした瞳で、初めてのお使いを成功させた子供のように感動している金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)を、直矢はそっと地面へと下ろした。上腕二頭筋は限界を超えてぷるぷると痙攣しており、両手の指先の感覚は完全に麻痺している。直矢の腕は、短いながらも過酷な試練を乗り越えたのだ。
その達成感という名の疲労感に安堵した直矢だったが、自動販売機の取り出し口から、意気揚々と購入したジュースを取り出す金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の姿を見て──そして、その手の中にある缶を見て、言葉を失った。
いや、正確には、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)が買ったジュースに対して、言葉を失ったのだ。
彼女が満面の笑みで手にしていた飲み物、その名は──ラムネ(油揚げ味)!
……この前衛的すぎるジュースに、果たして市場のニーズはあるのだろうか。
一度くらいは、物珍しさや怖いもの見たさで買うチャレンジャーもいるかもしれないが、リピーターが付くとは到底思えない。
このラムネ(油揚げ味)を企画し、商品化にゴーサインを出したメーカーの担当者は、新ジャンル開拓の方向性を、何か致命的に間違えているのではないだろうか。そんな壮大な疑問と一抹の不安が、直矢の胸中を駆け巡った。
そんな直矢の複雑な想いなど知る由もなく、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)は六花に手伝ってもらってラムネのビー玉を落とし、いそいそと黄金色の液体を口へと運ぶ。そして──。
「ふむっ! ……うむ、これは何とも言えぬ、美味じゃ!」
ごくりと一口飲んだ金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の口から飛び出したのは、まさかの称賛の言葉だった。
この感想は、彼女が妖狐だからなのだろうか。それとも、万が一、億が一の可能性として、このラムネ(油揚げ味)が本当に美味しいということもあり得るのだろうか……?
「……主よ、これが欲しいのかえ?」
どうやら金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)は、直矢が注ぐ困惑に満ちた視線を、このラムネ(油揚げ味)に対する興味と好意の表れだと捉えたらしい。
確かに、気にはなっていた。猛烈に気にはなっていた。
だが、それは決して、金髪幼女(モフモフな尻尾付き)が思うようなポジティブな意味での気になるでは断じてない。
「もともと、主が妾のために買うてくれたものじゃからのう。……一口くらいならば、飲ませてやらんでもないぞ?」
どこか得意げに、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)はラムネの缶を直矢に差し出す。
「……あ、ありがとう……」(飲みたいとは言ってない)
そう言って、直矢は恐る恐る、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の持つラムネの缶へと手を伸ばした。隣では、六花が「え、あんた、マジで飲む気?」と、信じられないものを見るような、驚愕と若干の憐憫が入り混じった表情で直矢を見つめている。
「じゃ、じゃあ、遠慮なく一口だけ、もらうよ……」
「うむ。一口だけじゃぞ? 残りは妾が飲むからのう」
金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)から缶を受け取った直矢は、未知の味への恐怖と、ほんのわずかな好奇心を感じながら、意を決してラムネ(油揚げ味)を口に運んだ。
ラムネ(油揚げ味)が舌に触れた瞬間──直矢の味覚の歴史に、新たなる、そしておそらくは二度と経験しないであろう悪夢が刻まれる。
まず鼻腔を刺激したのは、意外にも香ばしい油揚げの甘い香り。しかし、次の瞬間、舌の上で炸裂したのは、油揚げの濃厚なコクと、ラムネ特有のどこか人工的な甘酸っぱさが互いの存在を全力で否定し合う、味覚のデスマッチだった。ラムネの爽快感が油揚げの風味を洗い流そうとし、油揚げのしっかりとした甘みがラムネの軽快さを押し潰そうとする。口内調停は完全に失敗。それはもはや喧嘩という生易しいものではなく、味覚界の第三次世界大戦とでも呼ぶべき壮絶な戦いだった。
この感想を、あえて一言で表現するならば──産業廃棄物。
「んぐぅぶっっっ!!!」
直矢は人間が発していいのか疑わしい悲鳴と共に、口に含んだ液体を盛大に噴き出した。彼の脳が、いや、本能が、その未知の液体を生命の危機を脅かす毒物と瞬時に判断したかのような、全身全霊の拒絶反応だった。
それは、単にラムネと油揚げをミキサーにかけただけ、などという単純なレベルの代物ではない。そこには、開発者の狂気とも言うべき、計算され尽くした”まずさ”への悪意すら感じられた。
直矢のこの過剰な反応も、ある意味では当然と言えるのかもしれない。
「おお、もったいないのう、主よ。そんなに勢いよく吐き出しては、味わう暇もなかろうに」
幸いと言うべきか、直矢が噴射した毒霧──もといラムネ(油揚げ味)は、奇跡的に金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)の持つ缶への直撃を免れていた。そのおかげか、彼女は眉一つ動かさず、むしろ不思議そうに小首を傾げながら、平然と再びその黄金色の液体をちびちびと飲み始める。その姿は、まるで高級な玉露でも嗜んでいるかのようだ。
「……そんなにヤバいの、それ……?」
一部始終を固唾をのんで見守っていた六花が、若干顔を引きつらせながら尋ねる。
「トラウマ……いや、それ以上の何かが脳に直接刻み込まれた……」
直矢は、口元を押さえ、肩で息をしながら、かろうじて言葉を絞り出した。視界の端がチカチカしている。
小声で囁き合う直矢と六花の視線は、もはやラムネ(油揚げ味)を実に美味そうに、そして幸せそうに堪能している金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)へと釘付けになっていた。
その眼差しに、羨望の色は一欠片たりとも見られない。代わりに宿っているのは、理解不能な現象を目の当たりにした時のような、畏敬の念──そう、それはもはや人知を超えた存在に対する、原始的な恐怖と崇拝に近い感情が、十分すぎるほどに込められていたのだった。
※重大なお知らせ
なお、ここから先、金髪幼女(元モフモフな尻尾付き)という呼び名は長いので、おキツネ様と表記させて頂きます。