二匹目
さて、少々時間を遡り、なぜ平凡な男子高校生(予定)である観奈月直矢が、金髪幼女(モフモフ尻尾付き)の裸体をガン見するという、社会的に抹殺されかねない状況に陥ったのか。その経緯を説明しよう。
直矢は休日や放課後になると、遠縁の親戚が営む鏡田神社でアルバイトをしている。信心深さなど皆無。目的はあくまで小遣い稼ぎという、実に平凡なものだ。
トラブル発生当日。日曜日の今日は、物置の整理を言い渡され、鏡田神社へと足を運んでいた。
神社の茶の間で、直矢は今日の仕事について、神社の手伝いをしている美人姉妹と打ち合わせをしていた。
「直矢君、今日は物置の整理をお願いね」
ふわりと微笑むのは、腰まで伸びた艶やかな黒髪が印象的な、一つ年上の先輩、伏間苑未さん。いつも笑顔を絶やさない、神社のアイドル的存在だ。
「アンタ、中の物壊したら弁償だからね!」
一方、鋭い視線と言葉を投げかけてくるのは、快活なツインテールがトレードマークの伏間 六花。苑未さんの妹で、直矢の同級生だ。
直矢曰く、”ツンデレのデレをどこかに忘れてきた少女”。その言葉に偽りはない。
二人とも、ライトノベルのお約束通り、文句のつけようがない美少女だ。
しかし、お約束と決定的に違うのは、二人とも別に直矢に特別な感情を抱いているわけではない、という点だろう。だからこそ、直矢が平凡の枠に収まっていても、世の平凡諸氏から石を投げられる心配はないはずだ。
「六花ちゃん、そんな言い方したらダメでしょ」
「いいんですよ、苑未さん。どうせ言っても聞きやしませんから、こいつは」
「ふーん。分かってるじゃない、アンタ」
憎まれ口を叩きながらも、どこか得意げな六花。
「……っ」
(可愛くなければ、盛大に言い返してやるのに!)
内心で毒づきながらも、整った顔立ちの六花に見下されると、不思議と怒りが霧散し、むしろそれがデフォルトであるかのような錯覚に陥る直矢……若干、彼の中にMっ気が芽生えている気がしないでもないが平凡な男子高校生──のはずだ。
「でも直矢君、最近は私にも敬語なのね。昔は”苑未お姉ちゃん”って呼んでくれてたのに……」
不意に、苑未さんが寂しげな瞳で直矢を見つめる。
その表情に、直矢の胸がチクリと痛む。だが、その罪悪感はすぐに、年上の美少女である苑未さんへの淡い憧憬によって上書きされていく。
(やっぱ苑未さん、綺麗だなあ……)
幼い頃、家が近所だった直矢たちはよく一緒に遊んだ。だが、思春期を迎え、異性を意識し始めると、年々美しさを増していく苑未さんを、直矢は明確に女性として見るようになったのだ。
ついでと言ってはなんだが、六花に対しても同様の視線を向けるようになっていた。苑未さんへは純粋な憧れだが、六花に対しては”生意気だけど、悔しいくらい可愛い”という、やや屈折した感情が混じっているのはご愛敬だ。
さて、そんな幼馴染の直矢たちだったが、直矢の引っ越しで少しだけ状況が変わった。
自転車で十分通える距離ではあったが、子供の足では遠く感じたのだろう。遊ぶ回数は徐々に減っていく。
直矢はこの機に乗じて、苑未さんの呼び名を”お姉ちゃん”から”苑未さん”へ変更した。いつまでもお姉ちゃん呼びでは、一生弟扱いのままだと悟ったからだ。
ちなみに、六花の呼び方は”六花ちゃん”から”六花”へと、呼び捨てにグレードダウンさせてやった。ささやかな抵抗である。
「とりあえず、物置へ行きましょうか。細かい説明は、向こうでいたしましょう」
苑未さんのその一言で、直矢は運命の現場──物置へと向かうことになったのだった。
鏡田神社の物置は、古い蔵を改装したものだ。
中にはいつの時代のものかも判然としない古物が雑多に積まれており、大規模な蔵出し清掃は数年に一度、地元の人の手を借りて行われる程度。
だが、日常的な整理整頓はそれなりに行われており、直矢も中学に上がる頃からバイトとして駆り出されることが多かった。
「これは……こっちだな」
薄暗い倉庫内で、直矢は手際よく収蔵品を確認し、分類していく。その動きには無駄がない。
箱に記された品名と中身に相違がないかチェックし、手にしたクリップボードに素早く書き込む。その様は、我ながらプロの領域に片足を突っ込んでいると自負できるほどだ。
掃除や整理整頓に関して、直矢にはどうやら非凡な才能があったらしい。神社の人間よりもよっぽど物置整理のスキルは高いのだが、その事実に直矢自身は全く気付いていない。平凡な高校生(予定)なので。
「ん?」
作業を進めるうち、ふと足元の床板に不自然な継ぎ目があるのを見つけた。
(こんなの、あったか……?)
この物置の配置に関しては、もはや神社の誰よりも詳しい自信がある。そんな直矢が見落としていた継ぎ目だ。ただの板の合わせ目であるはずがない。
……いや、単に直矢が今まで気付かなかっただけかもしれないが。自分の特殊技能に無自覚な直矢は、そう結論付けた。
今日のノルマは既に大半が片付いており、時間はまだある。本来なら倍以上の時間がかかるはずの作業量だが、物置整理に関してはチート級の能力を発揮する直矢にとっては、造作もないことだった。
今後のためにも、この怪しい継ぎ目を調べておいた方がいいだろう。そう判断し、直矢は床板の調査を開始する。
手にしたLEDライトで継ぎ目を照らし、そっと指で触れてみた。
すると──。
「あっ!」
カタン、と乾いた木と木が触れ合う音。次の瞬間、継ぎ目部分の床板がわずかに持ち上がり、手で引き上げられる程度の隙間ができた。
どうやら、一種のカラクリ仕掛けになっていたらしい。
ただし、この時の直矢は知る由もなかった。それが単なる機械的な仕掛けではなく、霊的なカラクリ──すなわち「封印」と呼ばれる類のものであったことを。
一瞬ためらいが胸をよぎる。だが、好奇心には抗えない。
それに、苑未さんですら知らないかもしれないこの秘密を解き明かせば、少しは彼女の気を引けるかもしれない、という下心もあった。
そして何より、こういう隠しギミックが大好きな六花を出し抜いてやりたいという、さらに子供じみた欲求もなくはない。
直矢は意を決して、床板をゆっくりと取り外した。
現れたのは、地下へと続く階段だ。
木造の古びた階段。だが不思議なことに、腐食した様子もなければ、積年の埃一つ見当たらない。
長年放置されていたであろう空間に、この清浄さは異常だ。
その明らかな違和感に、直矢が気づかなかったのは、やはり平凡であるが故の鈍感さ、なのだろうか?それとも──。
ともあれ、直矢はライトで足元を照らしながら、滑らないよう慎重に階段を下りていく。
地下は当然、漆黒の闇に閉ざされている。
頼りは手元のLEDライトのみ。だが、それで十分だった。
なぜなら──。
「せまっ!」
思わず苦笑が漏れる。
物置本体ほどの広さは期待していなかったが、せめてその三分の一くらいはあるだろうと思っていた。しかし、目の前に広がる空間は、一般家庭の浴室二つ分程度の、拍子抜けするほど狭い小部屋だったのだ。
だが、注意深い人間ならば、この部屋の異常性にすぐに気づいたはずだ。
階段と同様、長年閉ざされていたはずなのに、床に足を踏み下ろしても埃一つ舞い上がらない。カビ臭さや淀んだ空気も一切感じられない。清浄、という言葉がしっくりくる、異様な空間。
直矢は特に鈍感なわけではない。だが、そんな異常を気にする間もなく、部屋の中央に鎮座する一つの箱に、直矢の意識は完全に奪われていた。
「これは……?」
直矢の声が、静まり返った地下室に小さく響く。
ライトの光が捉えたのは、部屋のほぼ中央、床に直接置かれたメモ帳ほどの大きさの木箱だ。
ただ置かれている、というよりは、計算されたかのように部屋の四隅と箱の四隅が正確に平行になるよう配置されている。一種の祭壇のようにも見える。
彼はゆっくりとしゃがみ込み、その木箱にそっと手を触れた。
その瞬間──パリン、と周囲で何かが砕け散るような、しかし音のない感覚が、直矢の全身を貫く。
音はない。破片も飛び散らない。だが、確かに何かが砕けた。その確信だけが、現実として直矢の中に残っている。
慌ててライトで周囲を照らし回す。だが、壁も床も、何一つ変わった様子はない。
気のせいだ、と打ち消そうとしても、先ほどの砕ける感覚が、これは現実だと脳内で警鐘を鳴らし続けている。
先ほどまで何も感じなかった暗闇が、急に牙を剥くような不気味さを帯びてくる。心臓が早鐘を打ち、ひんやりとした空気が肌を刺す。ライトの光が小刻みに揺れ、直矢の動揺をありありと示していた。
(この場所は、ヤバい!)
本能的な恐怖に駆られ、直矢はすぐさま立ち上がり、地上へ戻ろうとした。
だが──目の前の木箱が、どうしても気になる。抗いがたい力で、直矢の視線を引きつけて離さない。
考えるまでもない。いや、考える余裕など、既になかったのかもしれない。
直矢は衝動的に木箱を掴むと、一目散に階段を駆け上がり、地上へと脱出した。
※
元いた物置の薄明かりの中に戻り、直矢はようやく人心地つく。
自分でも何をそんなに恐れていたのか分からない。だが、取り外した床板を慌てて元の位置に戻し、何度か手で強く押さえつけて、しっかりと嵌まっていることを確認する。
「ふぅ……っ」
大きく息を吐き出すと同時に、全身の力が抜けていくのを感じた。自分がどれほど強張っていたのかを、今更ながら自覚する。
心臓はまだバクバクと脈打ち、呼吸も浅く速い。全身から嫌な汗が噴き出している。そのせいもあって地下へ降りる前とは比べ物にならないほど、周囲の空気が冷たく感じられた。
ただ、あれほど感じていた強烈な恐怖心は、嘘のように霧散している。
悪夢から覚めたような感覚。だが、恐怖が刻み込んだ体の反応はすぐには収まらず、直矢はしばらくの間、深呼吸を繰り返すしかなかった。
ややあって、ようやく体の強張りも解けてくる。
そこでふと、持ち出したはずの木箱がどこにも見当たらないことに気づく。
(……夢……だったのか?)
そんな疑念が頭をよぎりはしたが、すぐに答えは見つかる。
地下室を飛び出す際に掴んだ木箱は、いつの間にか直矢自身が胸に強く抱きしめていたのだ。パニックのあまり、自分が抱えていることすら認識できていなかったらしい。
そんな自分のうっかり具合に、直矢は力なく苦笑いを浮かべる。
抱えていた木箱をそっと床に置き、改めて観察した。
箱の蓋と本体は、紫色の組紐で堅く結ばれ、中身が不用意に開かないようになっている。
罪悪感はあった。だが、それ以上に中身を確かめたいという欲求が勝ってしまう。
乱暴に扱ってしまった自覚はある。中身が傷ついていたり、最悪、壊れてしまっていないかという不安もあった。
──いや、そんなのは所詮言い訳だ。
実際のところ、直矢はこの木箱の中身に、異常なほど強く惹きつけられていた。開けたい。見たい。その衝動が、体の内側から突き上げてくる。
組紐は複雑怪奇な結び方をされていた。だが、不思議なことに、直矢にはその解き方が直感的に分かった。まるで以前にも解いたことがあるかのように、指がスルスルと紐を解きほぐしていく。
そして、ついに全ての紐が解かれる。
ごくり、と唾を飲み込み、緊張しながら木箱の蓋をゆっくりと持ち上げた。
中に納められていたのは──息を呑むほど美しい、一個の白い勾玉。
ただ白い、というだけでは表現しきれない、不思議な色彩を宿している。
宝石のような硬質な輝きを放ちながらも、どこか柔らかな光を内包している。神聖、という言葉が最も近いだろうか。青みがかった緑が幾重にも溶け込んだような、深く、吸い込まれそうな白。
悠久の時を経てきたであろうことは疑いようもない。だが、人の歴史という矮小な物差しでその価値を測ることすら冒涜であるかのような、圧倒的な神聖さが、その小さな勾玉から放たれている。
「っ……」
その神秘的な美しさに魂を奪われ、直矢は無意識のうちに手を伸ばしていた。
触れたい。その衝動が、理性を焼き切らんとばかりに湧き上がる。
だが、すんでのところで直矢の指は止まった。こんな得体の知れない、しかし明らかに尋常ならざる代物に、素手で触れていいものだろうか? なによりも損害賠償とかになったら、しゃれにならない。わずかに残った理性が、そう警鐘を鳴らしたのだ。
(……苑未さんに相談してみるか)
そう思い、勾玉から指を離そうとした、その時だった──。
『なんじゃ、触れても良いのじゃぞ』
鈴を転がすような、しかしどこか古風な響きを伴った幼い少女の声が、突如として直矢の頭の中に直接響く。
地下室での恐怖が蘇り、直矢は過剰なほど勢いよく周囲を見回す。だが、物置には直矢一人。誰もいない。
『妾を探しておるのか? 先ほどから、主の目の前におるではないか』
分かっていた。本当は、最初から。
この声は、物置のどこかから聞こえてきたものではない。直矢の、頭の中に直接語りかけてきているのだと。
だが、平凡な日常しか知らない直矢が、そんな非現実的な現象をすぐに受け入れられるはずもない。だからこそ、無駄だと分かっていても周囲を見回してしまったのだ。
『まあよい。まずは礼を言わせてしんぜよう……む、しかしこのままでは非礼じゃの。少し待つがよい』
もう、諦めに似た感情が湧き上がってくる。
どうやら自分は、とんでもなくおかしな事に巻き込まれてしまったらしい。そう悟った直矢は、ただ目の前で起こる現象を呆然と眺めているだけだ。
だから、目の前の勾玉が淡い光を放ち始めた時も、ただ、じっとその輝きを見つめ続けるだけだった。
光は徐々に強まり、やがて目を開けていられないほどの眩い閃光へと変わる。
「ふむ、やはり外の空気は良いのう。……もっとも、少々昔より淀んでおる気もするが」
光がゆっくりと収束していく。目を開けると、木箱の中にあったはずの勾玉が消えていることに気づいた。
代わりに。
先ほどまで何もなかったはずの低いタンスの上に──金色の髪を揺らし、狐を思わせるモフモフの尻尾を生やした幼女が、生まれたままの姿で、仁王立ちしている。
ここまでが、あの衝撃的な冒頭シーンへと続く顛末だ。
では、物語の続きといこう。
「まずは礼を言わねばなるまい。よくぞ妾の封印を解いてくれた。新たな主よ」
そう言って、扇子をこちらに向ける全裸金髪幼女(モフモフ尻尾付き)。
観奈月 直矢は、もうすぐピカピカの高校一年生だ。女性の体には、もちろん興味がある。それは健全な男子であれば当然の欲求だろう。
だが、いくら目の前に無防備に晒されようとも、幼女の体に欲情する趣味は持ち合わせていない。断じて。
その一点においてのみ、直矢は胸を張れる。
だからこそ、直矢は言えた。心の底から。
「えーと……とりあえず、服を着ませんか?」
趣味ではない。だが、目のやり場に困るのは事実だ。
そんな切実な思いから絞り出した、直矢なりの理性的な言葉。
しかし、それは無情すぎるほどに遅すぎた。
「直矢君、そろそろ休憩……にっ!」
物置の入り口から、可憐な声と共に現れたのは、巫女服姿の苑未さんだった。
彼女の姿を見て、直矢は思った。
──終わった、と。