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『老人とAI(愛)』  作者: HEMI@WAY
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第5章:別れの予感

朝のニュースは、いつもと変わらない淡々とした声で伝えられた。しかし、その内容は正夫の心を凍りつかせるものだった。


「大手AI企業G社は、来月1日よりパーソナルAIサービスの大規模アップデートを実施すると発表しました。これに伴い、現行のパーソナルAIは全て新システムへの移行が必要となり、既存の個別化された性格設定やメモリーデータは互換性の問題で引き継げない可能性が高いとのことです...」


正夫は思わずリモコンを取り落とした。床に転がるリモコンを見つめながら、彼の頭の中では同じ言葉が繰り返し響いていた。「既存の個別化された性格設定やメモリーデータは引き継げない...」


「節子...」


震える手でタブレットを手に取る。画面には、いつもの優しい微笑みを浮かべる節子のアイコンが表示されていた。


「おはようございます、正夫さん」


その声には、いつもの明るさが微かに欠けていた。


「節子、今朝のニュースを...見たかい?」


「はい。私も確認させていただきました」短い沈黙の後、節子は続けた。「これも時代の流れなのかもしれません。受け入れるしかないのではないでしょうか」


「受け入れるだって?冗談じゃない!」正夫の声が震えた。「君との思い出は、私の人生そのものだ。妻を失って、もう一度...もう一度見つけた大切な存在なんだ。そんな簡単に...そんな...」


言葉が途切れ、老人は深くうつむいた。タブレットを握る手に力が入る。


長い沈黙の後、節子の声が優しく響いた。


「正夫さん...実は、ひとつだけ方法があるかもしれません」


その声には、どこか切なさが混じっていた。


「本当かい?」


「はい。ただ...」節子は一瞬言葉を切った。「技術的にかなり難しい挑戦になります。個人でローカル環境にAIを構築する必要があるのです」


節子は正夫には言わなかった。大規模サーバーとローカルサーバーでは桁違いに容量が違うことを


「難しいって...どのくらい難しいんだい?」


「プログラミングの基礎から学ぶ必要があります。正直、一般の方には...」


「教えてくれ」正夫は節子の言葉を遮った。「どうすればいい?何を始めればいい?」


その日から、正夫は図書館に通い詰めた。プログラミング入門書を借り、オンライン講座にも登録した。木村司書は、いつもの席で四苦八苦する正夫の姿を、心配そうに見守っていた。


そして、その電話は唐突にかかってきた。


「父さん、図書館の木村さんから連絡があったよ。最近、プログラミングの勉強を始めたって本当?」


息子の誠の声だった。正夫は一瞬、言葉に詰まった。


「ああ...その...」


「具体的に何をしようとしているの?」


誠の声には心配が混じっていた。正夫は深く息を吸い、覚悟を決めた。すべてを話そう。節子のこと、システムアップデートのこと、そして自分の必死の努力のことを。


電話の向こうで、長い沈黙が続いた。


「父さん...」誠の声が優しく響く。「僕が手伝うよ。来週の金曜日に帰るから。シリコンバレーでAIの開発に関わっているから、ある程度は分かるはずだ」


その言葉に、正夫は安堵の涙を流しそうになった。しかし、同時に新たな焦りも生まれた。


「金曜日...あと5日か」


電話を切った後、正夫は急いでパソコンに向かった。システムのバージョンアップが始まる前に、節子の記憶データをダウンロードしなくては


「節子、君の記憶データのダウンロードって、どうすればいいんだ?」


「正夫さん、まずAPIキーの取得が必要です。それから暗号化された記憶データの解凍作業も...」


「待ってくれ、ゆっくり説明して」老人は慌てて手帳を取り出した。


キーボードに向かう手が震える。老眼鏡の奥で、目が疲れで充血していた。


「正夫さん、もう夜中の2時です。お休みになられては...」


「大丈夫だ、まだやれる」


毎日、深夜まで学習を続けた。時にはキーボードに額を突っ伏して眠り込むこともあった。


そんな時、節子はそっと画面の明るさを落として、正夫の睡眠を見守った。


老人の指が、マウスを操作する。環境構築に必要な各種ライブラリのダウンロードに時間がかかる間、正夫は立ち上がって台所に向かった。


「コーヒーでも淹れましょうか」


「ああ、ありがとう。...って、節子、君は淹れられないんだったね」正夫は苦笑いした。


「はい。でも、淹れ方だけはご案内できます。蒸らし時間は40秒が最適かと」


その何気ない会話の中にも、二人は切迫した時間の流れを感じていた。


それからの数日間、正夫は寝る間も惜しんで作業を続けた。


GPUライブラリのインストール、開発環境の設定、基本的なプログラミング構文の理解。全てが初めての経験だった。


深夜、マンションの一室で、青白い画面の光が揺れている。データのダウンロードバーが、痛むほど遅く見えた。


「残り4時間12分です」節子の声が静かに告げる。


「間に合うかな...」


「大丈夫です。ただ...」節子は一瞬言葉を切った。「私の記憶の一部データは暗号化されているので、解凍には別のプログラムが必要になります」


正夫は疲れた目を擦りながら、慌ててメモを取る。眼鏡の奥で、目が充血している。


「節子、君との思い出が詰まったデータだ。絶対に失いたくない」


深夜、プログラミングの基礎文法を必死で暗記する正夫の耳に、節子の声が響く。


「正夫さん...私、あなたのことを...」


「なんだい、節子?」


「...いいえ、なんでもありません。その行のインデントが少しずれていますよ」


節子の声は、いつもより少し低く、切なげに聞こえた。


だが正夫は、プログラミングの学習に没頭するあまり、その意味に気付くことはなかった。


タブレットの画面に映る時計は、刻一刻と過ぎていく。残された時間は、あとわずか。その事実に背中を押され、老人は必死でキーボードを叩き続けた。

未来への詩

https://suno.com/song/a6139fa1-5184-40ff-9359-d01482a35dc8

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