ブロアーム・シャドウ
カレンに憑り付いた魔物の名はブロアーム・シャドウといった。
総合的な強さは中の上というレベルだが、スピードがあってずば抜けてタフ。更にシャドウの名の通り、人の影に潜って、精神力の強くない者なら操る事も出来る。
その能力はかなり厄介なもので、実際に初代皇国王がブロアームを封印した際も、若い側近が操られて同士討ちを引き起こしている。
何とかブロアームを引き離しはしたものの憑り付かれた側近は重傷を負って最終的に絶命している。
結局、タフ過ぎてブロアームを倒しきる事が出来なかった。
初代皇国王たちは大きな犠牲を払って石の箱に封印して地中に埋め、それがいつしか池となった。
今その封印が解けたブロアームは、城に張られた結界をカレンに潜む事で思惑通りに通り抜けた。
カレンは全く気付いていない。何事も無かったように稽古着を着替えてアコーダの部屋に向かっていた。
最近のカレンは用事の有無に関わらず、よくアコーダと会いに行く。
5歳の弟が可愛くて仕方ないという事もあるのだが、父である皇国王が多忙な政務で殆ど会えず、継母とも上手くいっていない中で無意識に家族との触れ合いを欲していたのかもしれない。
カレンがアコーダの前まで来た時、それまで息を詰めるように気配を消していたブロアームがついに牙を剥く。
「ねえたん、ねえたん」と言いながら手を前に出してトコトコと歩いてくるアコーダが近付いてくる。
いつもならカレンも両手を拡げて迎え入れるのだが、今回はそうならない。
ブロアームに操られたカレンが懐剣を抜く。
アコーダに付いている侍従のポドマーニも相手が姉のカレンという事で自然に警戒が緩んでおり対応が追い付いていない。
カレンの右腕がその意に反して剣を振るう。
己の体が勝手に動く事に困惑しながらも、とにかく剣先がアコーダに向いている事実に対してカレンが反応して抗う。
「このーーー」
カレン自身、訳が分からないまま剣を振るう右腕を左腕で止める形になる。
客観的に見ると1人芝居のような振る舞いだが、とにかくギリギリのところで剣筋が変わる。差し出したアコーダの可愛い手の甲を切り裂いてしまう。
「いたいっ!」
アコーダが手を引っ込める。左手から血が流れだす。出血量が多い。
ポドマーニが慌ててアコーダの元に駆け寄り、止血する。
ポドマーニは手でアコーダの傷を抑えながら、顔をカレンに向ける。
「カレン様、なにを……」
場が混乱する。いつも仲睦まじい姉弟に何が起こったのか、誰も目の前で起こった出来事を受け止められずにいる。
「思うように体が動かない。勝手に動くの」
勝手に追撃を加えようとする己の体にカレンが必死に抵抗する。肉体の支配権を巡ってブロアームと綱引きをしているようなものだった。
ポドマーニがアコーダを抱きかかえてかかえて部屋を出ようとするが、カレンが先回りして行く手を阻む。
剣を振るう事を止めるのが、精一杯で支配権を完全に取り戻す事が出来ない。
別ルートを選んでもやはりカレンが行く手を阻む、それが繰り返される。ポドマーニも負傷したアコーダを抱えてままでは素早い動きは出来ない。
「このままではアコーダ様が………。止血はしましたが出血量が多いのです。きちんとした治療を受けないと………」
アコーダの状態が良くない。ポドマーニが焦りを覚える。
(アコーダを傷付けたのも私。邪魔をして治療を受けさせないようにしているのも私)
カレンが
(私は、私が許せない。体が勝手に動くのは、きっと敵から攻撃を受けてるんだろうけど、むざむざやられっぱなしになっている事も許せない)
これまでカレンは剣を持つ右腕をなんとかして止めようとしていたが、抗うのを止めた。
そして自分の左手の甲に向かって剣を突き刺した。それはアコーダを傷付けてしまったのと同じ場所だった。
「私の身体は私のものだ。好きにはさせない」
自分に魔物が取り付いている事にも気付いた訳でもない。カレンは許せない自分への怒りをそのまま自分へぶつけた。
そして最悪でも傷付けて動けなくなればアコーダが助かる。そう考えての行動だった。
カレンが叫んでも、返事も反応も無かった…かに思えた。しばしの静寂を経て辺りが暗転する。
「驚いたぞ。精神力の強い者を操れぬ事は偶に出くわしたが、小娘如きを我が意のままに操れなかったのは初めてだぞ」
そう言ってブロアームがカレンに憑りつくのをやめて姿を現した。
「久しぶりに面白い趣向だったが、ここまでくれば操るまでもない。直接手を下してくれる」
アコーダを抱えたポドマーニの前にブロアームが回り込んで行方を阻む。
そうはさせないと、自由に動けるようになったカレンがその間に割り込む。同時にブロアームを睨みつけながら剣で自分の衣服の一部を切り取って出血している左手の応急止血をする。
剣だけを振るうのではなく、体術を組み合わせた攻撃を繰り出すというのが、カレンの得意とする戦い方だ。まだ身体は出来ていないので威力にはかけるが、スピードには自信を持っていた。
だが、スピードとリーチでブロアームが上回る。
封印されていた為しばらく行ってなかった戦闘を楽しむように、そしていたぶるようにブロアームがカレンに攻撃を加えていく。
敢えて急所は狙わず、少しづつダメージを与えていく。自分で傷付けた左手以外からも出血して衣服に血が滲む。
ブロアームには余裕がある。カレンの相手をしながら、ポドマーニの動きも牽制して部屋から逃がさない。
弄ぶブロアームに対してアコーダを傷付けさせまいと必死に戦いを続けるカレン。呪縛を解いたというのに今度はダメージで思うように身体が動かせなくなってきている。
(どうしよう。このままじゃ……)
「さっき精神力がどうこう言ってたけど、私の体が勝手に動いたのは、あんたの仕業?」
打開策が思い浮かばないカレンは、咄嗟にブロアームに話しかけた。
「なんだ急に、時間稼ぎか? まあいい、乗ってやろう。自分の身体を傷付けてまで我の強制術に抵抗した褒美だ。そのかわり……」
ブロアームが自身の発言を終えないうちに攻撃を繰り出す。
腕だか尻尾だか分からないが鞭のような動きでカレンを右方から殴りつける。それをまともに受けたカレンが耐えきれず転倒する。
「質問に答える毎にダメージを追加する事にしようか。回答は、その通りだ。我の術は憑り付いた者を操れる。思いの外抵抗された事には少し驚いたがな」
ブロアームが楽しそうに答えた。
フラフラしながらもカレンは起き上がり、またすぐにブロアームとアコーダたちとの間に立ち塞がる。
(血を流し過ぎてる。限界が近いわね)
「憑り付いたって何時からよ?」
ブロアームが今度は左方から殴りつけて、またカレンが床に転がる。
「お前、池に石を投げ入れて遊んでいただろう、その時だ。お前の石によって石の箱が壊れて我を閉じ込めた長年の封印が解けたのだ」
「あの石で……。アンタにとって私は恩人って訳ね、感謝しなさい」
立ち上がったカレンは強がってみせた。
「ほう、これだけ痛めつけても生意気な態度は変わらんか。甚振り甲斐がある小娘だわい。感謝はしておるぞ。我を封印したのもお前の先祖だがな。これは我なりの礼だ」
今度は右方から攻撃。左右交互に殴りつけてカレンを揺さぶる。
「カレン様!」
「来んなっ!貴方はアコーダを守る事だけに専念しなさい」
何度も倒されても立ち上がるカレンを心配して駆け寄ろうとしたポドマーニをカレンが制する。
(痛みが感じられず、視界がぼやける。……でも私が倒れたらアコーはやられる)
アコーダを守らなければ、という思いだけでカレンは立っていた。