第7話
犬も歩けば棒に当たる、河童の川流れ。今の状況を言い表す言葉は、これが適切だろう。あるいは、“探偵は落とし穴に落ちる”という新しい諺が誕生した瞬間なのかもしれない。正直なところ、気が散漫になっていたと言わざるを得なかった。
暗闇の中で上着の内ポケットを探り、スマホを取り出す。画面の明るさに一瞬目が眩むが、すぐに慣れる。電波を確認するも案の定そこに希望はなかった。畳みかけるようにバッテリーも残り僅かであることを告げている。
「これじゃあライトも長々と使えないな」
ふーっと息を吐き出し、スマホの光を消した。そして土の上に座り込み、ぽっかり空いた“入り口”を見上げる。月と枝の影が浮かんだ夜空には星の海が広がっていた。
パソコンやスマホを主体にデジタル技術が発達した現代では、そのテクノロジーに合わせた犯罪手法が使われる。
俺も端くれとはいえ探偵を名乗っている手前、現代技術を利用した犯罪の事例にはよく目を通していた。そもそも、様々な技術が日進月歩で開発され続け、それが世の中へ浸透していく速度は尋常ではない。ほぼ全ての人が所有しているスマホですらも、数年前までは不便を感じさせるところもあったが、今では進化し続けたその機能を十分に使いきれる人は少ない。
基本的に俺はストーカー対策や人探し、ペット探しなどを請け負うことが多い。ほとんど興信所と同じようなものである。喜ぶべきか悲しむべきか分からないが、ドラマの様に死傷者が絡む事件へ最初に関与することは稀だ。そこは公であり、プロである警察が捜査を行うからだ。関わったとしても、警察の捜査が終了した後の個人的な“二次捜査”となる形が多い。これは、被害者が捜査の結果に納得がいかなかった場合に依頼が来る。
何故突然このような話をし始めたのかというと、今回のこの体たらくに関係があった。少し前に話題となった行方不明事件の捜査依頼が舞い込んできたのだ。
寒くなり始めた頃、とある女子高生が下校中に行方不明となった。途中まで友人と帰っていたが、一人になった後に忽然と姿を消した。テレビや新聞、SNSで世間を騒がせ、警察も必死の捜索を続けたが発見には至らなかった。毎日あちこちで発生する新しいニュースに埋もれ、世の中が行方不明事件を忘れかけたある日の夜、被害者家族の下にとある連絡が届く。
それは一通のショートメッセージだった。送り主は、被害者の女子高生。もちろん警察は捜査を開始した段階で、スマホの位置情報を使い被害者の居場所を特定しようとした。だが、電源も切られているようで、思うように効果が出ていなかった。
メッセージを確認すると、それは何処かの位置情報だった。開いてみると、被害者の住んでいた家から車で1時間ほどの山の名前が出た。そして地図アプリが指し示すのは山の二合目辺り。その位置は道路から少し奥に入ったところで、道幅も狭ければ、もちろん街灯も無い。夜間は野生の動物も闊歩しており、殆ど人が通ることはなかった。
家族はすぐさま警察へと連絡すると、その日の内に先遣隊が山入りをし、指定地周辺を捜索したが何も見つからなかった。そして、翌朝から本格的な捜索が始まった。人海戦術を基に、金属探知機や警察犬も使用しながら広範囲で捜索を続けていく。すると若い警察官の探知機が周囲と色の違う土に反応を示した。複数人で丁寧に土を掘り起こしていくと、そこには無残な姿となった女子高生が発見された。
死因は窒息死。首には細長い物の跡が浮かんでいた。そして運ぶことを考慮したのか、彼女の四肢は全て切断され、一緒に埋められていた。そして、世間により恐怖を与えたのは、メッセージを送ったスマホが、被害者自宅のポストに投函されていたことだった。
犯人はどのような人物か?被害者とどのような関係があったのか?殺害に至った動機は?等々、再びこの事件は世間の注目を集めた。だが、そのある種の熱狂に反して、捜査は難航を極めた。犯人が全くといっていいほど痕跡を残していなかったのである。そして一定期間続いた現場検証もある程度終わりを迎え、警察も殆ど足を踏み入れなくなっていった。そして、捜査は未だ続いているが、他の事件にも人員が割かれていくため、騒がしさは鳴りを潜めていた。残された家族は、その不安と恐怖、そして怒り行き先の方向を見失ってしまった。
そこで敵を討つ為に白羽の矢が立てられたのが俺だった。興信所チックではなく、珍しい探偵としての依頼が、その事件になるとは不思議な縁を感じたものだった。少し浮足立っていた私は、依頼を受けたその日から早速動き出した。
陽も高いうちにと思い、件の山に向けて車に乗り山道を進んでいた。人影も疎らになった頃、一台のパトカーが対向車線に現れた。あちらも私の車を確認したのかパトランプを点灯させ、停車を促す声が拡声器から流れた。
「はーい、停まってください。ここから先は…ってアリス先輩!?」
「お、加地じゃねーか。お勤めご苦労さん」
アリスとは元同僚の間で呼ばれている俺のあだ名だった。本当の名前は卯佐美だが、卯佐美、ウサギ、そしてここから謎だが、白うさぎから不思議の国のアリスへと飛び、しまいには原型が一切残っていないアリスと呼ばれるようになった。
「先輩!数年振りの再会ですよ!もう少し驚きませんか!?」
「そうか数年振りか。久しぶりー」
「本当に先輩は変わらないですね…」
「いや、それほどでも」
加地の言葉に俺は照れくさそうに頭を掻いた。
「もしかして褒められてると思っています?」
「え?そうじゃないの?」
加地はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「先輩に対して失礼じゃない?」
「元先輩です」
「お前も言うようになったねぇ」
間を置いて互いに同時に吹き出して笑い合う。
「ところで先輩は本当になんでこんな所にいるんですか?」
ひとしきり笑い終えると、真剣な面持ちとなった加地は俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「あぁ、大方、君と同じ理由じゃないかな」
「え?まさか行方不明事件ですか?」
「そうそう。本来なら依頼者の情報は流さないのだけど状況も状況だし、協力者も居た方が楽だからってことで、君にはこっそり教えておくよ」
加地は腕を組み、右手で顎を触り始める。昔から変わらない加地が何か考えるときの癖だ。
「やっぱりご家族は納得されていない感じで?」
「娘を殺されたんだ。ご家族はどうしても犯人を捕まえたいみたいだよ」
「そしてアリス先輩まで話が行ったと…」
「正解。もう警察のみんなも撤収したかと思って、一人寂しく現場の確認に向かっていたのさ」
「そうだったんですね。野次馬であればここで突き返しましたけど、先輩なら弁えているでしょうし、僕の方では特に止める理由もありませんね。既に現場検証もある程度終わっていますので」
「やっぱり持つべきものは物分かりの良い優秀な後輩だよなぁ!」
「全く、そうやってすぐに調子に乗って。あ、でも、今日行くなら出来るなら夜の方が良いと思いますよ」
「え?どうしてだい?」
「撤収作業が完全に済んでいないので、人が残ってるんですよ。今行くときっと面倒臭いことになります」
「それはそうだね。じゃあ、今のところは引いておこうかな」
「それ、なんか悪役っぽいですよ」
「ふっふっふ。加地君、君は勘が鋭いねぇ」
「ほらほら変な事言ってないで、さっさと戻って下さい」
俺は後輩に急かされるようにして、進んできた道をえんやこら引き返すのであった。
まぁ、その結果が“探偵は落とし穴に落ちる”になったという。
しばし休憩をした後、俺はゆっくりと立ち上がる。そして、念のためと鞄に入れていた細長いロープを取り出す。このロープの耐久性には自信があった。人一人の重さに余裕で耐えられることは既に実証済みである。
「犯人は現場に戻る」意図せずしてこの言葉通りになった私は、口元に笑みを浮かべながらロープを放り投げた。
今回のお題:博識な探偵が、落とし穴のなかにいる。でした!
(博識とは…?)