第11話
一目で質の良さが分かる革張りのソファに浅く腰を下ろしていた。周囲に視線を巡らせれば、壁際に壺などの調度品が品良く立ち並んでいる。しがないスタントマンである自分には、あまりにも場違いな雰囲気である。慣れない環境に背筋が伸び、いつも以上に肩肘が張ってしまっている。
「どうしてこんなことになったのか…」
自然と口から溜息が漏れ出てしまう。
本業である撮影用のスタントマンの仕事であれば問題はないのだが、今回の依頼は毛色が違った。有体に言ってしまえば影武者の依頼だった。本来であれば特殊な仕事は受けないのだが、事務所の社長から直々にお願いされたとこともあり、断ることが出来なかった。影武者なんてものが必要だというその依頼主は、誰でも知っているような大企業の社長だった。理由は、近頃世の中が物騒になりつつあるため、念のための護身でとのことだった。
立場から身の危険を感じて以降、方々で背格好が似ている人間を探したところ、俺が候補の1人となったらしい。丁度スタントマンという職業もあり、その身体能力にも一定の信頼が置けるだろうとの観点から実際に声がかけられた。この話を曲解してしまえば、緊急事態になった際お前なら自力で逃げられるだろうと考えられているのではないかとも思ってしまう。
社長から話があった翌日に、改めて依頼主から直接の説明があるということで、俺は身の丈に合わない部屋へと訪れていたのだった。
部屋へ通されてから10分ほど経った頃、社長室の扉が開いた。秘書の様な人物が扉を押さえ、自分と同じ年代であろう男性が部屋へ入ってくる。彼は私の方へと向かってきながら、右手を差し出した。
「初めまして。今回依頼をさせていただきました水戸 海人と申します」
「こちらこそ。太刀掛 旭と言います」
差し出された手へ握手を返しながら挨拶を返す。水戸は私に椅子へ座るよう促す。
「さて、概要はお聞きになっているかと思いますが、先ずはこのような突然のご依頼となってしまいましたこと、誠に申し訳ございません」
席に着き開口一番、水戸は謝罪の言葉を口にして頭を下げた。
「い、いや!頭を上げてください!」
遥か雲の上の存在だと思っていた人物が、簡単に頭を下げたことに俺は驚いてしまう。
「いいえ。ましてや、部下が心配するあまり早急にんでしまい、少々強引な話の持っていき方になってしまいましたので、申し訳なく思っております」
なおも深々と頭を下げる水戸の姿に、こちらの居心地が悪くなってしまっていた。
「本当に大丈夫ですから、顔を上げてください!」
「…ありがとうございます。ご負担をお掛けしてしまいました」
やっと頭を上げてくれた家主に、ほっと胸を撫で下ろす。
「水戸社長、ご依頼の件について詳細を教えていただけるとのことで今日お伺いしたのですが…」
気を取り直して、目の前の依頼人に問いかけようとしたが、
「太刀掛さん。社長ではなく“さん”とでもお呼びください。正直、社長と呼ばれるのが、あまり好きではないのです」
と、水戸さんは苦虫を噛み潰したような表情で言う。
「それでは、お言葉に甘えて水戸さん、で良いでしょうか?」
「えぇ、それでお願いします」
そんな話をしていたら丁度コーヒーが運ばれてきた。どうぞ、と再び勧められ私はカップに口を付ける。プラシーボ効果もあるのだろうが、なんだか上品な味の様な気がした。テーブル向かいに座る水戸も飲んでいるが、カップを置く仕草も品があるようであった。
「さて、それでは早速で恐縮なのですが、お仕事についてのお話です」
指を組み、そこに顎を乗せながら水戸は話始める。
「先ずはお耳に入っている通り、していただきたい仕事は飾らずに言えば“影武者”ですね」
「影武者…」
事前に聞いていた通りではあるが、普通に生活している上ではあまり聞かない言葉であったため、小さな声で復唱する。
「はい。影武者です。私と似た背格好をしている水戸さんには、私になり切ってもらい行動をしてもらう、ということです」
「何となく想像は出来ています。ちなみに期間はどのくらいをお考えでしょうか?」
「そうですね…先ずは一週間程かと思っています」
「一週間ですね、分かりました。あの、正直こう言うことを聞くのはどうかと思うのですが…」
「はい。お気になさらず何でも聞いてください」
「命を狙われるようなことを何かしてしまった、ということですか?」
一瞬、ニコニコ微笑んでいる水戸の表情が凍り付いたかのようになる。その裏では、何か得
体の知れない何かが渦巻いているような気がした。だが水戸はすぐに先程までのような調子に戻る。
「いいえ、そんなことはしませんよ。ただ近頃、物騒な事件があったじゃないですか。ほら、女子高生が犠牲となった」
「あー、山の中に遺体が遺棄されていたという、あの事件ですか」
水戸が言う事件を思い出し、胸にモヤモヤしたものが生まれる。それは女子高生が、四肢を切断された状態で山の中に埋められていた事件だ。
完璧犯罪と言い切ってもいいくらいに、犯人に関する情報が全く見つからず、その特定と逮捕は難航していると今朝のニュースで言っていたような気がした。
「そうです。私もそこまで不用心ではないのですが立場がある手前、部下たちから念には念を入れておけと言われまして」
子どもじゃないですのに、と頭を掻きながら水戸は苦笑いをする。
「そんなに社員の皆さんに思われる水戸さんは凄いですね」
「まぁ、直属の部下を始め社員も皆、家族のように思っていますからね。それが上手く伝播してくれたのかもしれません」
そう言いながら水戸は温かな笑みを浮かべた。そんな彼を見て、この人の下で働ける人たちは幸せなんだろうな、と思う。
「実際周りには心強い警備員も居ますが、全てをカバーできる訳ではありません。そのため、嫌な仕事ではありますが今回あなたに依頼をさせていただきました」
「…事情は分かりました。改めてお伺いしますが、本当に危険はないんですよね?」
水戸が部下たちからも信頼され、性格も丁寧で謙虚であることが分かった。だが、“もしかすると”自分の命に危険が及ぶ可能性があることは別の話であった。
「正直に言えば、私も企業を経営している身です。大小関わらず市場の争いで恨みを持っている人はいるかと思います。ですが、それはあくまで経済での争い。これまでと変わらず直接的な暴力に訴えてくることは無いでしょう。それに、後継者のいない私が今倒れてしまえば、私の身を案じてくれる部下達の生活も立ち行かなくなってしまいます。それは何としてでも防がなければなりません!」
固く握り拳を作りながら、水戸は力強く言い切る。そして彼は立ち上がり、再び自らの頭を深く下げた。
「ですから、どうかご依頼を受けていただけないでしょうか?」
頭を下げたまま動かない水戸を見て、俺は腕を組み天井へと視線を動かした。品の良さそうなシャンデリアが柔らかな光を灯している。暫しの逡巡の後、俺は息を吐き出す。昨日からずっと息が詰まったような感覚でいたが、ようやく肺に新鮮な空気が入り込んだ気がした。
「分かりました、お引き受けいたします」
俺の言葉が彼の脳で咀嚼され終えると、笑みの浮かんだ顔を上げた。
「ありがとうございます!このご恩への御礼は最大限させていただきます!」
「いえ、報酬はあまり気にしておりません。互いに心配し合う水戸さんと社員の皆さんのためと思ってもらえれば」
「太刀掛さんには本当に頭が上がりません。ただ、水戸家の家訓として、受け恩讐は何倍にもして返せというものがあります。報酬に関しては私が勝手にするだけですから太刀掛さんはお気になさらないで下さいね」
と、水戸は悪戯をしかける子どものような笑顔を浮かべた。相手が好意でしてくれることを、嫌だと突き返すほど俺の人間性は落ちぶれてはいない。
「無理しない程度に報酬を頂ければ構いません。一先ず、仕事はいつから開始しますか?」
「そうですね、私共の方でも色々準備をしなければならないため、それに太刀掛さんとの契約書も作らなければならないので、再来週からで如何でしょうか?」
「分かりました。事務手続きなど必要な時は、いつでもご連絡下さい。水戸さんのご依頼が終わるまで、社長から事務所の仕事は休んで良いとの事になっていますので」
「ありがとうございます。後日、担当者の方から連絡をさせていただきます。太刀掛さん、どうかよろしくお願い致します」
水戸は最初と同じように右手を差し出す。上手く肩の力が抜けた俺も立ち上がり、右手を差し出した。
「坊ちゃま、案山子は如何でしたか?」
「久世か」
騒がしい街並みを眼下に眺めていた私に、後ろから声がかけられ振り返る。そこには長身で体格の良い老執事が静かに立っていた。
「あんなゴミと私が背格好だけとはいえ似ていると言われることは、この上なく腹立たしいな」
「非常にお心苦しいところではありますが、何卒耐えていただければと思います」
「分かっている、分かっている。現物を目に出来たからな、全く同じに姿形になる気はサラサラ無いが、ここは私が恥に耐え忍んでやろう」
クックック、と声を嚙み殺して水戸は笑う。だが、その目は恐ろしいほどに冷えていた。
「しかし、本当に余計なことをしてくれた雑種がいたものだ。お陰で我々が小細工を労せねばならなくなってしまった。久世、雑種の処理は?」
「既に済んでおります」
「よろしい。私の手を煩わせる者は要らぬ。大人しくしていればいいものを、調子に乗り狩り過ぎるから奴らに目を付けられるのだ。本当に雑種は知能がなく動物と一緒だな、なあ久世?」
「仰る通りかと」
肯定の返事に、水戸は愉快そうに笑った。
「ま、人間の生は我々と比べて短い。当分は大人しく過ごすとするか」
蟻のように動く人々を見下ろしながら、水戸は息をゆっくりと吸い込んだ。
今回のお題:正義感の強いスタントマンが、大企業の社長室にいる。でした!




