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【書籍化記念SS:3】ナタリーの理想の人

 これは、ナタリーがケヴィンと初めて出会った夜会のちょうど二月前。

 まだミゲルと婚約していた頃の話――。

 

 その時、ナタリーは半ば慌てて扉を潜った。

 今年開店したばかりのカフェは大変人気なようで、店内には人々が楽しげに談笑する声が満ちている。

 見渡す限り全ての席が埋まっているが、その中でも窓辺に近いソファー席。およそこの店で一番の良席だろう場所に、約束の相手が座っているのをナタリーは見つけ、手を振った。


「遅くなってごめんなさい!」

「いいのよ。私も今来たところだもの」

 

 先に席に着いて待っていたのは、ナタリーの親友であり、法務大臣補佐を務める男爵令嬢のロレイン・ブリッジだ。

 今日の彼女はいつものシンプルな白いブラウスに紺色のスカートという官僚らしい装いではなく、淡いグリーンのドレスをすっきりと着こなしている。

 かくいうナタリーも、新しいライラック色のドレスをおろして着ていた。女同士で集まる時の方が、不思議と身なりに気合いを入れたくなるものだ。

 ナタリーは店までの早歩きで火照った頬を手で仰ぎながら、笑顔でロレインの前に座る。

 まだ何も注文していないというロレインと一緒にメニューを眺めて、ナタリーは今月のおすすめの紅茶とアーモンドのケーキをオーダーした。

 ロレインは店主自慢だというブレンドティーとチョコレートケーキだ。

 ナタリーは決して甘党ではないが、親友と食べるスイーツは格別である。

 注文の時点で既に気分が高揚し、自然と笑みがこぼれた。

 

「今日は本当にありがとうロレイン。仕事忙しいんでしょう?」

「それはお互い様じゃない。それに、この間のあなたの誕生日パーティーでは全然話せなかったんだもの。当然お誘いには乗らなくちゃ!」

「この間はごめんなさい。挨拶しなければいけない人が多くて」

「かのファンネル商会の商会長だもの、仕方ないわ。それにこんな素敵なお店も予約してくれたし! ここ、人気でなかなか予約できないって聞いたのに」

「ちょっと伝手があってね。喜んでくれてよかったわ。あ、それでね、この間……」


 ナタリーとロレインはすぐに話に花を咲かせ、会話は止まることがない。

 二人でいると、いつだって話題に事欠かない。むしろいつも最後は話し足りないと不満に思うくらいだ。

 しばらくお互いの近況について話していると、ケーキと紅茶が運ばれてきた。

 途端に紅茶の華やぐ香りが鼻腔をくすぐる。


「まあ美味しそう! その紅茶の香りは白葡萄かしら」

「だと思うわ! ナタリーのはフローラルな香りね。ケーキも美味しそう!」


 笑顔で談笑しながら、二人でケーキをつつく。

 フォークで小さく切り分けたケーキを一口頬張ると、程よい甘さが口の中に広がる。

 頼んだアーモンドのケーキは、とてもナタリー好みの味だった。


「もしかしてそれ、バース小子爵様にもらったもの?」


 ふと、ロレインがナタリーの耳元を指してそう言った。

 控えめなアクアマリンのイヤリングは、普段使いにちょうどいい。

 しかしアクアマリンはよくミゲルがナタリーへのプレゼントに選ぶ宝石だ。先日の誕生日でもアクアマリンの首飾りをもらった。

 それでロレインも気付いたのだろう。

 

「ええそうなの。昨年の建国祭の時に。最近のお気に入りなのよ」


 なんだか照れ臭くなり、笑って誤魔化す。

 婚約期間が長くなると相手を雑に扱う者も少なくないというのに、ミゲルは昔と変わらずに優しい。

 確かにここ数年は、すれ違うことも多い。

 しかしそれは、ナタリーの父が急逝して結婚の予定が延びてしまったからだ。

 ナタリーが商会長になったてからというもの、以前より一緒にいられる時間は減り、どことなくミゲルの態度が変わったように思う。

 それでも、ナタリーを大切にしてくれていると感じていた。


「いいなあナタリーには素敵な婚約者が居て。お互い想い合っているなんて最高じゃない」

「そんなこと言って、ロレインが結婚にさらさら興味がないことはお見通しよ」

「まあ、それはそうなんだけど。どうしても法務大臣閣下を見慣れていると、他の男性はあまりパッとしないように見えてしまうのよね。あっバース小子爵様は素敵だと思うわ!」

「いいのよ無理しなくて。ドルフィン侯爵閣下は確かに素敵だもの」


 ナタリーはくすくすと笑う。

 ロレインの上司で法務大臣であるアルバート・ドルフィン侯爵は、確かに素晴らしい人物だ。

 背が高くがっしりと引き締まった体躯に整った顔立ちで、もう何年かしたら五十路を迎えるという年齢にもかかわらず、見惚れるほどの美丈夫である。

 頭も切れて優秀であるし、人格も素晴らしいという。

 それだけの人物であるから、当然彼には伴侶がいたが、もう七年ほど前に死別しているのは有名な話。

 亡き妻の忘れ形見である息子が一人おり、現在はアカデミーに通っているはずだ。

 独り身になって七年。既に後継者もおり、もう結婚はしないと侯爵は公言しているが、今でも後妻の座に収まろうと擦り寄る女性が後を絶たないという。

 そんなドルフィン侯爵のことを、ロレインは敬愛している。

 ナタリーはそこに恋愛的な感情があるのではと疑っているのだが、彼女はいつも断固否定する。

 話を聞く限り、ドルフィン侯爵もロレインに対し満更でもないのではと思うものの、こればかりは本人たちの問題だ。

 とはいえ、年齢差がかなりあることを加味しても、ナタリーから見れば二人はお似合いだと思っていた。


「本当に侯爵閣下のことは何とも思っていないの? 恋愛的な意味で」 

「もう! またそんなこと! あの閣下よ? 私みたいな小娘とどうのこうのなんて、考えるだけで不敬だわ」

「そうじゃなくて、ロレインの気持ちの話よ。あなた、元々かなり年上がタイプじゃない」

「ないない! あり得ないわ! 私のことはいいのよ! それより、ナタリーはどうなの?」


 ナタリーはロレインの質問の意図が分からず、首を傾げる。

 そんなナタリーの仕草に、ロレインはにやっとした笑いを見せた。

 

「あなたの好きな男性のタイプはどうなのってこと。バース小子爵様と相思相愛なことはもちろん分かっているけれど、もう子どもの頃からの付き合いでしょう? 正直、結婚相手と理想のタイプが違うなんてことはよくあることじゃない」


 理想の男性のタイプ。

 そう言われて、ナタリーは自分がそんなことを考えたこともなかったと気が付いた。

 子どもの頃からミゲルと婚約し、彼以外の男性を異性として見たことがなかったからに違いない。


「そんなこと言われても……きっと、ミゲルそのものになると思うわ」

「やだ惚気⁉︎ いいわ、じゃあ確かめましょう。そうね、まず身長はどう? 自分より高い方がいい?」

「そうね……あまりこだわりはないと思うわ。でも私が背が高いから……高い人の方がいいかも?」


 街中で見かけるカップルは、大抵男性の方が背が高い。

 そんな身長差に憧れがない訳ではなかった。


「バース小子爵様とは同じぐらい?」

「そうね。でもミゲルの方が高いわよ。ヒールを履くと、追い越してしまうこともあるけど」

「なるほどなるほど……」


 ロレインがまるで探偵か何かのように顎に手を当てて頷いてみせる。

 完全にこの尋問を楽しんでいるようだ。


「じゃあ男らしく筋骨隆々なタイプと、中性的で細いタイプではどちらの方が好き?」


 そう問われ、ナタリーは頭を捻る。


「お父様や商会の人たちはかなり男らしいタイプだから、そういう人の方が安心するというか、慣れているかも。あっ、でもだからこそタイプの違うミゲルを好きになったとも考えられるのかしら」


 ミゲルは細身で、決して筋肉がない訳ではないが、どちらかと言えば中性的な方だ。

 少年の頃など、壁画の天使と見紛うほどの可憐さだった。

 貴族なだけあって物腰も柔らかく上品であり、だからこそ惹かれたのではないかとも思えた。


「港の男たちは粗野な人が多いから。男らしさと上品さを兼ね備えているような人がいたら、一番理想かなあ」

「まあそれは欲張りというものよ! それこそ法務大臣閣下のような方でないと!」

「それはそうよね」


 くすくすとお互いに笑って、乾いた喉を紅茶で潤す。

 そしてナタリーは残ったケーキの最後の一切れを口に運んだ。

 

「じゃあ内面は? どんな人が理想?」

「そうね……」


 口元を手で隠しながらごくんとケーキを飲み込んで、ナタリーは考える。

 ミゲル以外視界に入れたことのないナタリーにとっては、とても難しい質問だ。


「やっぱり優しい人がいいわ」

「もう! ありきたりじゃない! 何かもっとないの? こう、嘘を付かないとか頼り甲斐があるとか、浮気をしないとか?」

「浮気は……やっぱりしないでほしいわね。誠実な人がいいもの。あ! あとそう、見栄を張らない人の方がいいかしら」

「まあ、男性ならみんな見栄を張るものじゃないの?」


 そう言って、ロレインもケーキの最後の一切れを頬張り、もぐもぐと口を動かす。

 紅茶をこくりと飲みながら、ナタリーはうーんと唸り声を上げた。


「それはそうだけど、なんというか、見栄を張るために嘘をついたり、自分を必要以上に大きく見せたりするのって、正直滑稽だわ。そういう人って、男性でも女性でもいるじゃない? ましてやその見栄のために人を傷付けるようなことって、最低な行為だと思うの」


 商売をしていると、そういう人間を見ることは少なくない。

 もちろん交渉の中ではある程度のはったりは必要で、商売人として当然ではある。

 だがそれを置いてもなお、ただ単に承認欲求や自己顕示欲だけで見栄を張る人間のことを、ナタリーは好ましく思っていなかった。


「こと恋愛においては、そういうことってよくあるみたいだものね。自分の資産力以上のプレゼントを相手に贈ったり、ほんの顔見知り程度の高位貴族を親友かのように言って気を引いたり」

「それくらいは可愛いものよ。私が許せないのは、自分の婚約者を外で悪く言うような人たちだわ。見ていてとても気分が悪いもの。生涯のパートナーとも言える婚約者を下げることで自分を優位に見せようとするなんて、最低だわ」


 ナタリーは鼻息荒くそう言うと、ふうと息を吐き出してまた紅茶に口を付ける。

 その一口で、ついにカップは空になった。


「でも、バース小子爵様はそんなことしない?」

「そう信じてるわ」

「結局、ナタリーは一番最初に運命の人と出会ったってわけね」

「ふふふ、だといいけど」


 ナタリーがロレインの方を見ると、彼女も紅茶を飲み終わったようだ。

 ちらりと店の壁掛け時計を見ると、もうかれこれ二時間近く話に花を咲かせていたらしい。

 ナタリーもロレインも忙しい身だ。これ以上長く時間は取れない。


「もうこんな時間! そろそろ出ましょうか」

「まあ本当に! そうね、出ましょう。……あら? ナタリーのカップ、茶葉が(アンカー)の形になっていない?」


 ロレインの言葉でカップの中を覗きこむ。

 一瞬首を傾げるも、くるりとカップを左右に反転させると、確かにはっきりと錨の形に茶葉が残っている。

 飲んでいた紅茶の茶葉が細かいものだったため、茶漉しから溢れてカップに溜まったのだろう。


「本当だわ! こんな偶然もあるのね」

「知ってる? 紅茶占いっていうのがあるのよ。昔貴族の間で流行ったの」

「そうなの? 聞いたことないわ」

「無理もないわ。私たちが生まれる前の流行だもの。母が昔かなりはまったらしいのよ。わざと茶漉しなしで紅茶を飲んで、カップに残った茶葉の形で未来を占うの。まあ、占いというより、おまじないみたいなものね」


 貴族はとにかく紅茶を飲む。

 特に女性たちの社交の場には紅茶が欠かせず、そこに女性の好きな占いやまじないとくれば、それは確かに流行るだろう。


「この錨の模様は、仕事や恋愛が良くなるっていう兆し。あなたにぴったりじゃない!」

「まあ、嬉しいわ!」


 ロレインはまるで自分のことのようにはしゃいでおり、ナタリーはそれにつられて笑顔になる。

 ナタリーはあまり占いの類は信じないたちだが、それでも幸運の兆しと言われれば悪い気はしない。

 視線を落として、再びカップの中を覗き込む。

 そこにある、くっきりと浮かび上がった錨の模様。これにそんな意味があるとは、不思議なものだ。


(……アンカーといえば、あの北の辺境伯もそんな名前だったわね)


 ふと、ナタリーはこの帝国の最北地を守るアンカー辺境伯のことを思い出す。

 魔獣蠢く大地に隣接する北の険しい領地を治めるかの人は、「北の怪物」の二つ名に違わず、顔には恐ろしい傷があり、性格も残忍だという。


(実際そんな方なのかしら? ……まあ、私とは関わりのない人だものね)

 

「どうしたのナタリー?」

「あ、ごめんなさい。何でもないわ。行きましょう?」


 ロレインの声掛けに、ナタリーはカップから視線を外して店を後にする。

 しかし不思議なことに、それからもなかなか、あの錨の模様が頭から離れなかった。



 まさかこの二月後、かのアンカー辺境伯ケヴィンに自ら結婚を迫ることになろうとは、ナタリーはこの時、露ほども思っていなかった。

これにて書籍化記念SSは終了です。

もしもご興味ありましたら、ぜひお手に取ってみてくださいね。

ありがとうございました!

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