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【書籍化記念SS:1】ダリルとアルバートの学生時代

ついに本日、2026年1月5日に上下巻同時発売いたしました!

本日から3日間、書籍化記念SSを投稿しますのでどうぞよろしくお願いいたします!

 これは約三十年前。

 現在のボラード伯爵ことダリル・ボラードと、ドルフィン侯爵ことアルバート・ドルフィンが、共にアカデミーに在籍していた頃のこと――。


「ドルフィン様! 今度の討論会、応援してますわ!」

「きっとドルフィン様なら圧勝されることと思います! 今からその勇姿が楽しみですわ」


 アカデミーの二階に位置する廊下で、アルバートはいつも通り令嬢たちに囲まれていた。

 このアカデミーには十四から十七歳の王侯貴族の子女が通い、将来必要な知識と心得を学ぶ。

 もちろん、アカデミーに在籍せず自宅で家庭教師を付ける者もいるが、子女のアカデミー入学を希望する家の方が断然多い。何故なら、アカデミーは人脈作りや婚約者のいない者の相手選びの場でもあるからだ。

 この帝国の中で五つしかない侯爵家の一つである名門、ドルフィン家の嫡男で、いまだ婚約者の居ないアルバートは、令嬢たちにとって最も有力な婿候補と言える。

 少しでもアルバートの目に留まろうと、今日も多くの令嬢たちがひしめき合っていた。


「ははは。ありがとう。でもダリルはかなりのやり手だよ。一筋縄で勝てるとは思えないな。僕も準備を頑張らないと。じゃあね」


 そう言って令嬢たちの黄色い声をするりと躱し、アルバートは爽やかに笑って歩き出した。

 軽く振り返り手を振れば、令嬢たちは顔を赤らめぽおっとした表情で小さく振り返す。

 これがアルバートの日常であった。


(実際、今回はかなり難しいだろうな。ダリルほど優秀な男は、このアカデミーにいないだろうし)

 

 アルバートの同窓であるダリル・ボラードは、ボラード伯爵家という何人も大臣を輩出している名家の一人息子でありながら、人を寄せ付けない雰囲気がある。

 決して醜男(ぶおとこ)ということはないのだが、神経質そうな見た目と人と馴れ会う気はさらさらないといったその様子が、みなを一歩引かせているように思う。

 かと言って学友から嫌われている訳ではない。むしろダリルに憧れる生徒は少なくなく、それは、彼が孤高の気高さのようなものを纏っているからかもしれない。

 ダリルは非常に優秀だ。そしてアルバートも同様に優秀である。アルバートとダリルは、常に成績で一位を争っている。

 今のところ、勝敗は五分五分といったところ。アルバートとダリルは、自他ともに認めるこのアカデミーの二台巨頭であった。

 来週行われる討論会。ここで、アルバートとダリルは真正面から議論を戦わせることになっている。

 この討論会は、三学年になると必ず行われる恒例行事だ。特定のテーマを元に事前に決められた正反対の立場で討論を行う。より説得力のある主張をし、議論を有利に進めた者が勝ちとなる。

 これまでクラスごとの予選と学年全体での準決勝が行われ、ついに決勝はダリルとアルバートの一騎打ちとなった。

 討論会の審判は、アカデミーの優秀な教授陣だ。一般の生徒も観覧はできるが、如何に生徒から人気があったとしても、結果は全て討論会でどれだけ上手く立ち回れるかにかかっている。


(今回の討論会の議題……『貴族領における自治の範囲について』か。難しい議題だ。きっとダリルもかなり準備しているだろうな)


 アルバートは貴族の自治を最小限とし、国が一括管理すべきとの立場で討論を行うことになっている。ダリルは反対に、貴族の自治権を最大限として国の関与を最小限とすべきとの立場だ。

 討論会に向けては、法律や歴史、時事など様々な資料を頭に叩き込んでおかなければならず、今は時間がいくらあっても足りない。

 そして何より大切なのは、相手の論理展開がどの方向からくるのか想定し、シナリオを考えておくことだ。

 事前に想定した流れが来れば儲けもの。その後は自分のシナリオ通りに話を誘導していくだけだ。


(と考えるのは楽だけどな。ダリル相手じゃあ、そう簡単には行かないだろう)


 そう考えながら、アルバートはふいに窓の外に目をやった。

 そこには中庭の美しい景色が広がっている。

 食堂、講堂、図書館に二棟の教室棟が円を描くように配置されたアカデミーの中央にある中庭は、どの建物からもよく見える。

 今アルバートがいる第二教室棟と図書館を繋ぐ渡り廊下から、一脚のベンチが見えた。

 ちょうど木立の影になり、他の場所からは見えにくい場所だろう。

 そこには、一人で読書に耽っているダリルが座っていた。


(あいつ、本当にいつも一人だな)


 大抵、ダリルはああやって一人で本を読んでいる。

 彼には既に婚約者が居り、その婚約者である伯爵令嬢も今年アカデミーに入学しているから、たまに二人で居るところを見ることはある。だが、それだってかなり珍しいことだ。

 余程一人で居ることが好きなのか、他人の存在が煩わしいのだろう。

 ダリルに私的に話しかけるのは、婚約者を除けばアルバートくらいのものだった。

 といっても、そんなアルバートに対してダリルはかなり素気無く、いつも鬱陶しそうにするだけなのだが。


(せっかく優秀なのに、振る舞い方が下手すぎるんだよな。まあ、あいつはそれでいいのかもしれないけれど)


 窓枠に肘をつき、ぼおっとダリルを眺める。

 正直に言って、アルバートはダリルのことを存外気に入っていた。

 家柄的に気軽に話せる人物があまりいないということや、アルバートの話に本当の意味で付いて来られる同年代の人間が他にいないということもあるだろう。

 しかしそれよりも、アルバートは一種の憧憬に似た感情をダリルに対して抱いているのだった。

 アルバートの人当たりの良さも、柔和な雰囲気も、これまでの人生経験で得た武器であり防具だ。相手の機嫌を出来る限り損ねず、好印象を持たれることこそ、アルバートの行動理念と言っても過言ではない。


(……私は、臆病なのだろうな)


 こと貴族にとって、印象と評判は、命に関わるほど重要なものだ。

 侯爵家の嫡男として常に評価の眼差しに晒されて、幼い頃から大人たちの顔色を窺って育ったアルバートは、その重要さを嫌というほどに知っている。

 頭の回転が速い故に、相手が望む言葉や行動を読み取って、その期待通りの振る舞いをしてしまう。

 ダリルのような「周りのことなど眼中にない」といった態度は、アルバートがやろうと思ってもで出来はしないだろう。


(本当に周りの目なんて気にならないんだろうか? それともそう見せているだけ? さっぱり分からない)

 

 ぼんやりとダリルを見つめながら、そんなことを考えていた時。


「……アルバート様、こちらにいらしたのですね。探しました」

 

 消え入りそうなほどの微かな声が、アルバートの耳に届いた。

 途端、アルバートは思わず眉を寄せた。漏れそうになったため息は、すんでの所で飲み込む。


「ああ、これはマルポール嬢。何か私にご用ですか?」


 陶器のように白い肌に、真っ直ぐで癖のないシルバーブロンドの髪。その姿は美しいはずなのに、醸し出す雰囲気は幽鬼もかくやというようなこの令嬢の名は、シンシア・マルポール男爵令嬢。

 父親は外務局の官僚で、それなりに優秀だと言われる男である。その娘であるシンシアも、成績は常に上位を維持しており、優秀だと言えるだろう。

 しかし問題は、彼女の素行だ。

 彼女の目はじっとアルバートを捉えて離さず、一瞬たりとも視線を外さない。


「いえ、アルバート様があの香水くさい女共に囲まれたかと思ったらいつの間にか居なくなってしまわれたので。どちらに行ったのかなと」

「おかしなことを言う。私はあなたの婚約者でもなんでもない。視界から消えることくらいあるだろう。それに、何度も言わせてもらうが、私はファーストネームで呼ぶ許可をした覚えはないのだが」


 ぐっと眉間に皺を寄せたまま、怒気を孕ませた声でアルバートは言う。

 彼女には、ある程度はっきり伝えなければならないと、身をもって知っているからだ。

 

「というか、いい加減にしてくれないか。君のしていることは付き纏いだよ」

「何故そんなことをおっしゃるのです? 私が一番、あなたのことを愛しているのに」


 シンシアが口角を上げて、ニタッと笑う。

 アルバートは思わず一歩足を引き、顔が引き攣るのを感じた。


「君の気持ちは有難いよ。けれど、私にはその気持ちに応えられない。何度愛を告げられても、それは変わらないよ。悪いけれど、他のひとを探してくれないか」


 きっぱりとアルバートは告げた。

 シンシアの言動には、ほとほと辟易しているところだ。

 まだ何の実害も出ていないが、いつもひっそり跡を付けられては、いくら温厚なアルバートといってもうんざりするというものだ。


「……そんなこと言って……後悔しますよ?」


 徐々に俯きながら言うシンシアの表情は、アルバートから見えない。

 しかしうっそりとした気味悪さを感じ、背中に冷たいものが流れる。

 一体何をするのかと身構えたアルバートだったが、シンシアはそれ以上何も言わず、静かにその場を後にした。


(何だったんだ……)


 肩透かしを食らったような気分になり、頬を掻いてアルバートは再び歩き出す。

 これから図書館に行って、討論会の資料を探しに行こうと思っていたのだ。

 しかしどうにも拭えない悪寒が背中にへばりついて、嫌な予感がして仕方なかった。



 それからあっという間に時は流れ、ついに討論会当日を迎えた。

 元々アルバートはあまり緊張するたちではないが、今は心地よい緊張感で身が引き締まる思いだった。

 討論会はアカデミーの講堂で行うことになっている。

 相変わらず黄色い声援を送る令嬢たちの波を抜けて、アルバートは講堂へと足を踏み入れる。

 まるで劇場のようになだらかな傾斜になっている観覧席には、既に人が集まり始めていた。

 登壇者は舞台の両端に設けられた演台に立つことになる。

 登壇者の控えとなる席は、その演台に最も近い最前列の両端に用意されていた。アルバートの席は講堂の最奥。ダリルは入り口に最も近い席である。

 まだダリルは来ていないようだ。

 アルバートは自身の席に腰を下ろす。

 ふと観覧席の上の方を見上げれば、今年入学したばかりの第一皇子の姿が見えた。この討論会が、それほど注目を浴びていることの証拠だろう。

 緊張をほぐすようにふうと小さく息を吐き出し、最後にもう一度資料を見返そうと、アルバートは本を開く。

 その瞬間、本のページに影が落ちた。


「アルバート様」


 アルバートが顔を上げると、声を掛けてきたのはシンシアだった。

 本番前、控えの席に着いた登壇者に配慮し、もはや誰も声をかけていない。

 しかし彼女は、そんなこと全く気にしていないかのような態度だ。


「……シンシア嬢。もうすぐ討論会が始まる。いい加減に」

「私、ボラード様にあなたのシナリオを教えてさしあげたの」

「は……?」


 一体何を言われたのかと、アルバートは固まる。

 ダリルの論理展開を予想し、アルバートはいくつかのシナリオを書き出していた。

 シナリオは、この討論会の要。それが相手に渡るということは、こちらの手の内が相手に丸見えだということだ。

 それが本当だとしたら、どう考えても、アルバートに勝ち目はない。


「アルバート様が悪いと思います。不用心に図書館でメモを作っていらっしゃるんだもの」

「……つまり、私が少し席を外した時にでも、勝手に盗み見たということか」


 アルバートは低い声でそう言うと、キッとシンシアを睨みつけた。

 これだけ人がたくさん人がいる中で、こんな険しい表情をするのは初めてかもしれない。

 一瞬、その剣幕にシンシアが動揺する。しかしすぐに、口元を歪ませた歪な笑顔を作った。


「噂をすれば、ボラード様がいらっしゃいましたね。あなたの負けは確実です。私を、手酷く傷つけたんですもの。ざまあみろ」


 そう言い捨てて、シンシアは踵を返して去っていった。

 ちらりと講堂の反対側に目をやると、ちょうどダリルが席に着いたところだった。

 静かに表情を変えずに座るダリルを、じっと見つめる。

 ふとダリルが顔を上げ、目が合った。

 途端、ダリルは眉間に皺を寄せ、険しい表情で見つめ返す。


(おや……?)


 アルバートは不思議に思った。何せ、ダリルはアルバートが話しかけた時、いつもあの表情をするからだ。

 もしも彼がシナリオを手に入れているのだとすれば、もっと勝ち誇ったような表情をしそうなものだが。


(案外顔に出やすいはずなんだがな、あいつは)


 もしや、さっきのはシンシアの単なるはったりで、ダリルは何も知らないのだろうか。

 しかし観覧席の端の方に座ったシンシアの表情を見れば、明らかにアルバートの負けを確信しいているように見える。

 何を信じていいか分からず、アルバートは混乱した。


(いけない、本番前に……。平常心を取り戻さなければ……)

 

 密かに深呼吸を繰り返していると、ゾロゾロと教授陣が講堂に現れる。

 ざわざわとしていた講堂内は一瞬にして静まり返り、ピシリと緊張が走ったように思えた。


「では、これから討論会を始めよう。登壇者の二人は前へ。今回の討論会へと挑む、アルバート・ドルフィンくんとダリル・ボラードくんだ」


 この討論会を仕切る政治学の教授の声掛けで、アルバートとダリルは舞台に上がる。

 会場に向かって二人揃って頭を下げた後、向きを変える瞬間、ダリルと視線が絡む。

 その眼差しは相変わらず鋭く、何を考えているのか分からなかった。

 教授の持つくじを引き、先攻と後攻を決める。結果は、アルバートの方が先攻となった。


「それでは二人とも位置に着いて。今回のテーマは『貴族領における自治の範囲について』だ。両者最善を尽くすように。では、はじめ!」


 教授の声かけに、それぞれ演台に着いた後再びお辞儀をしてから、アルバートは口を開いた。

 

「さて、今回の討論で、私は貴族の自治は最小限とした上で、国の管理権を強めるべきとの立場で主張します。この議論をする上で重要になるのは、まず第一に帝国法第一条の理念だと考えるべきでしょう。歴史的に見て……」


 事前に準備していた通り、滔々と持論を展開する。

 観覧席や教授陣へのパフォーマンスを意識しながらも、あくまでも討論相手はダリルだ。

 都度ダリルに視線を向けながら、その反応を観察する。


(やはり展開を知っているようには見えない、か……) 


 ダリルは真剣にアルバートの話を聞き、自分の次の手に何を持ってくるかを考えているように見える。

 ひとしきりアルバートが話し終わると、ダリルは鷹揚とうんうんと頷いてみせ、笑顔で口を開いた。


「アルバート・ドルフィンくんの主張、これもよく分かります。みなさんも、きっとご納得されたでしょう。ですが一方で、貴族側の立場に立ちますと、こうも言うことができるでしょう」


 普段の静かな様子からは想像ができないほど、はっきりと力強くダリルは語り出す。

 この最終対決まで勝ち上がってくるのだから、当然と言えば当然ではあるが、ダリルは本当に演説が上手い。

 観覧席の生徒たちも、教授陣でさえ、思わずダリルの言葉に引き込まれている様子が窺える。

 彼は自分の魅せ方を知っている。将来彼は、相当に優秀な官僚になることだろう。


「……と私は考えます。ドルフィンくん、いかがですか?」

「ええ、そうですね。ボラードくんの主張は一定程度理解できます。しかし、約二十年前に起きたある事件を考えれば、その理論が如何に脆弱であるか理解できるでしょう。それは……」


 アルバートとダリルは、互いに澱みなく議論を交わしていく。

 途中、アルバートは自分自身が笑っていることに気が付いた。


(ああ、私は楽しいのだな。今、この時間が)


 ここまで本気で頭を捻って言葉を発するのは、もしかすると生まれて初めてではないだろうか。

 アルバートとダリルの討論は、完全にお互いを高め合っている。

 ダリルはやはりアルバートの手の内など知らない様子で、けれどアルバートの予想を超えた主張を繰り返す。

 やがて、教授による「止め」の制止が入るその時まで、二人の討論は、一度も止まることなく続いたのだった。


「大変有意義な討論だった。両名とも、本当に素晴らしい。ここまで甲乙付け難い討論会は、このアカデミー始まって以来だろう。よって、此度の討論会は、両名同点とし、二人に勝利の栄誉を授けようではないか」


 しばしの協議の結果、教授陣は満場一致で引き分けとすることを決めたようだ。

 割れんばかりの拍手が会場に巻き起こる。

 アルバートとダリルは両者揃って会場に頭を下げた。

 どこかすっきりとはしないが、客観的に見ればそれが妥当だろう。アルバートは自分でも、どちらの方が優れていたと言えない討論だと思った。


「ダリル!」

 

 未だ興奮冷めやらぬといった講堂からすぐ様出ていこうとするダリルを、アルバートは引き留めた。

 振り返ったダリルの顔は相変わらずのしかめ面で、しかし鬱陶しいというよりも、どこか不服そうに見えた。


「……なんだ。お互いの健闘を讃えようとでも?」

「もちろんそれもある。だが……その、シンシア・マルポール嬢から聞いたんだ。彼女が私のシナリオを、君に渡したと。けれど先ほどの討論では、そんな風に見えなかった。だから、実際はどうだったのかと思って」


 じっとこちらを見つめてくるダリルの視線に、何故かアルバートの方がばつが悪くなってくる。

 ダリルが不正をしたのではないかと疑っているのだから、当然と言えば当然だ。

 しかしダリルは意外にも不快そうな様子は見せず、「ああ」とさらりと何かを思い出すような仕草を見せた。


「確かに受け取った」

「え⁉︎」

「でもすぐに捨てた。そんなことをしてお前に勝っても、嬉しくないからな」


 そう言ってダリルはふいとアルバートから視線を外した。

 どこか照れているよな、面映いよな、そんな感情がダリルから覗いて見える気がする。


「ダリル……お前……」

「言っておくが、実力でお前に勝てると思っただけだからな。私は絶対に法務大臣になって、やがて宰相になるつもりだ。そのためには、このアカデミーを首席で卒業する。お前には負けない」


 元々鋭い目を更に鋭くさせて、ダリルはアルバートを睨む。

 そこで初めて、アルバートはダリルが自分に対抗心を抱いていたのだと気付いた。


(てっきり私など眼中にないものかと思っていたが……。好敵手(ライバル)、といったところかな)


 それなら受けてたとう。

 アルバートは生まれて初めて、相手に負けたくないという強い感情を覚えた。


「それを言うなら、私も同じだ。今回は引き分けだったけどな。法務大臣も宰相も、椅子は一つ。今度は絶対に負けない」

 

 にやりと、アルバートはこれまでにしたことのない不遜な表情で、ダリルに宣言する。

 すると予想通り、ダリルは眉間に深い皺を刻んで、またアルバートを睨みつけた。


「……お前の場合、気をつけなければいけないことは他にもありそうだがな」


 ふんと鼻で笑って、ダリルはちらりと観覧席に視線を移す。

 アルバートがその視線の先を追うと、そこには悔しげに顔を歪めたシンシアが座っていた。


「令嬢たちに無闇矢鱈に愛想を振り撒くからこうなるんだろう。優しくするだけでは、かえって彼女の為にならないと何故分からない。政治は時に冷淡にならざるを得ない。お前にそれが出来るのか? やはりお前のような優男に、私が負ける訳はないな」


 ダリルはどこか勝ち誇ったような表情で、話は終わったとばかりに、さっさと講堂を出て行った。

 一人取り残されたアルバートは、思わず立ちすくむ。

 正直、痛いところを突かれたと思った。

 本来なら早いところマルポール家に苦言を呈すべきであるし、もっと言えば、こうなる前にシンシアのことをきっぱり突き放すべきだった。

 自分の優柔不断な態度が、彼女を助長させてしまったのではないかと思える。


(政治は時に冷淡にならざるを得ない、か。確かに、ダリルの言う通りだ)


 シンシアは完全に一線を超えた。もう、容赦する必要はない。

 自分の振る舞いのせいではないかという一抹の罪悪感を押し留め、これから自分がすべきことを、一つ一つ考える。


「ドルフィン先輩」


 考え事をしながら講堂を出た途端、後ろから声を掛けられた。

 振り返ってみれば、そこには第一皇子が立っている。

 令嬢たちから麗しいと言われる(かんばせ)に、少年らしいまだあどけない表情。

 だが、この皇子の本性は見た目通りではないのではないかと、内心アルバートは思っていた。


「先ほどの討論会、見事でした。実に素晴らしかった」

「殿下にそう言っていただけるとは、大変光栄です」


 アカデミーに在籍する間は、身分に関係なく先輩後輩の上下関係が絶対だ。

 とは言っても、流石に皇子相手に先輩風を吹かせるのは気が引ける。

 皇子の方も、それが当然だと思っている様子だ。


「ボラード先輩も素晴らしかったです。ぜひ二人には、将来大臣になって私を支えてもらいたい」

「それは……」


 第一皇子以外にも、皇子はあと二人居る。

 誰が立太子するのかと噂されているところだが、今の口ぶりは、自分が立太子することを確信しているようだ。

 そんな際どい発言を、こんな不特定多数の目がある場で不用意に口にするのは、それだけ自信と根拠があるということだろうか。


「これからも応援してますよ。ぜひ、どんどん力を付けてください」


 みなが噂するような麗しい皇子とは似ても似つかない、傲慢な言葉と笑顔。

 一方的に言い捨てて、第一皇子は満足そうにアルバートを追い越して行ってしまった。


(彼が皇帝に……。何だか、嫌な予感がするな)


 この時のアルバートの予感は見事に当たることになるのだが、当時の彼にはまだ、そこまでの確信はなかった。


 それから一月後、正式にドルフィン家から抗議を受けたシンシアは、学園から姿を消した。

 今後アルバートに一切近付かないという誓約の元に、アルバートはこの件を公表せず、対外的には、シンシアの体調不良による自主退学という扱いになった。

 これがアルバートに出来る、最大限の寛大な処置だっただろう。

 それからというもの、アルバートは確実にこれまでの彼とは何かが変わった。

 誰に対しても気さくであることは変わらない。しかし他人との距離をほんの少し取るようになり、いざという時には苦言を呈すことも躊躇わず、反論も辞さなくなった。

 シンシアの件はアルバート深い後悔と反省をもたらし、ダリルの言葉によって、アルバートの行動指針は大きく変わったのだ。

 そんな言動の変化が、かえって彼のカリスマ性を高めていくことになる。


 やがて迎えた、アカデミーの卒業式。

 首席として講堂の舞台に立つダリルを、アルバートは最前列で見上げることになった。

 僅差ではあるもののアルバートは次席に甘んじ、流石の彼も激しい悔しさを覚えたのを、その後忘れることはなかった。

 しかし、アルバートとダリルの縁は、アカデミーを卒業した後も続いていくことになる。

 卒業の翌年、二人は同時に官僚試験に合格。

 同期で共に優秀な二人は、必然、官僚の中でも比較され続けた。

 二人はいくつかの局を異動しながらキャリアを築き、官僚となってから二十年余りの時を経て、二人とも大臣の職を得る。

 しかし、二人が目指した法務大臣の席は一つしかない。当然、夢を叶えたのは一人だけ。

 皇帝となったかつての第一皇子の采配で、結果的に、法務大臣の座を射止めたのは、アルバートであった。

 ダリルは本来の希望とは異なり、軍務大臣の席に座ることとなったのだ。


 それがダリルにとって初めての大きな挫折と屈辱であったことを、アルバートは知らない。

 ましてや、ダリルにとってアルバートに負けるという事実が、どれほど強い負の感情を巻き起こす出来事だったのかも、知る由もなかった。

 

 かつて学友として肩を並べた二人の、運命はどう転がるのか。

 それは、ナタリー・ファンネルの物語として、語られることになる。

明日はナミルの生い立ちですー!

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