第44隻
隣に居るケヴィンの存在に勇気をもらいながら、ナタリーは真っ直ぐ前を見た。
フィリップはその視線から逃れるように、ふいと視線をそらす。
けれどすぐ思い直したように、ナタリーの顔に視線を合わせる。
「ミゲルから全て聞きました。謝罪をさせてください。この度は私の父と、そして妻が、大変申し訳ありませんでした」
そう言って、フィリップは深く頭を下げる。
ナタリーは既視感に見舞われた。
最近は何かと頭を下げられてばかりいる。
「父は傲慢な人間ではありましたが、まさかここまで愚かなことをしているとは思いませんでした。皇宮内での父の評判は嫌でも耳に入ってきます。なので父が如何に周りに迷惑をかけているのか、重々承知しているつもりでした。けれど、領主としての父は尊敬出来る人だったのです。父親としても、家族のことを大切にしていた。いまだに何故こんなことを仕出かしたのか、理解に苦しみます」
そこで一度、フィリップは言葉を区切った。
下を向き、その表情は見えない。
けれどナタリーには、何故か痛みに耐えているように見えた。
「父は大臣の地位を失い、多くの批判に晒された。私自身も多くの誹謗中傷に晒されました。それで一度は、償ったものと思ったのです。だから私がやるべきことは、以前と変わらず仕事を全うすること。そう思いました。父も自分の罪を悔い、ただ領主としての仕事を誠実に行うのだろうと。けれど違った。父は私が思うよりも、ずっと愚かな人間だったようです。父は更なる罪を犯し、妻までも……それに加担していた……」
フィリップの頭がどんどんと下がっていく。
その姿は、俯いているというより、何か重たいものに押しつぶされているようだった。
「妻のミゲルへの想いは、結婚する前から知っていました。妻は私に一切の興味を持ちませんでしたが、私が『ミゲルの友人である』というその一点をもって、私に結婚を持ちかけたんです。最初はただ面白いと思いました。正直、私には恋愛感情というものがよく分からないんですよ。私にとって女性との関係は一時の欲を満たすためのものでしかない。そこまで大胆な行動に出るほどの想いとは、どんなものなのだろうと興味が湧きました。ミゲルはあなたへの不満をよく私に漏らしていましたし、彼にとっても良い気分転換になると、そういう軽い気持ちで二人の仲を取り持ちました。……ですが、私はあまりに無知だった。愛が如何に複雑なものであるのか、僕には分かっていなかった。先日ミゲルからもはっきり聞きました。彼はあなたのことを愛していた。それはそれは深く。僕に語った不満は全て見栄を張っただけの嘘なのだと言っていました。妻にしてもそうです。元々結ばれないことが分かっている関係だというのに、まさかあなたを害そうとするとは思いもしませんでした。そんなことをするのは、自分の立場を弁えていない愚か者だけがすることだ。妻はそうではないと思っていた。けれど、愛はどんな人間も愚かにする。それを僕は理解していなかった」
長い独白の後、フィリップは口を閉じ、沈黙した。
ナタリーは、途中から一人称が崩れていたことに気付いていた。
気持ちが昂っていたのだろう。
なんと声を掛けるべきか、迷う。
「それで、あなたは何も知らなかったから無罪だと、そう仰りたいのですか」
ナタリーの迷いを断ち切るように、ケヴィンが低い声で尋ねる。
腹を立てているように思える。
そう、フィリップの話を聞きながら、ナタリー自身どこかモヤモヤとしていたのは、それが原因だ。
フィリップの話はつまり、「自分は何も知らなかった」という話に終始している。
「いえ。決してそんなつもりは……! 申し訳ありません、つい自分のことばかり……。ですが、私は心から謝罪を伝えたいと思って参ったのです。父の所業に気付かなかったこと、妻の行動を止められなかったことを。それに、ファンネル嬢、あなたの幸せな未来を奪った。その全てに、私も責任があります。誠に申し訳ありませんでした……!」
そうやって再び頭を下げるフィリップは、なるほど、本当に心から悔いているのだろうと思えた。
彼はサラとミゲルを引き合わせたことに、欠片も罪悪感を抱いていなかった。
ここまでの悲劇になって初めて、自分の犯した罪を知ったのだ。
「一つ、訂正していただきたいわ」
しばしの沈黙の後、ナタリーはフィリップの後頭部に向かって声を掛けた。
「私、今でも幸せです。確かに、かつてはミゲルと歩む未来しか考えていなかったけれど、今でも……いいえ。今の方がずっと幸せだわ」
ゆるゆるとフィリップは顔を上げる。
幾分か驚きに目を開いている。
そんなフィリップに、ナタリーはにこりと笑顔を見せた。
「ケヴィン様とこうして出会えた。これは私にとって大きな幸運でした。それだけは、あなたにも感謝をしなければいけませんね」
「ナタリー……」
思わず漏れてしまったという声に目を向ければ、ケヴィンも驚きに目を開いている。
ベティの時といい、これでは告白をしているようなものだ。
ちらりと不安が過ぎる。
ナタリーからの愛情を、ケヴィンは迷惑に思うだろうか。
そう思うものの、口に出したことを後悔はしていなかった。
ナタリーの心からの言葉だから。
「そう、ですね。大変失礼いたしました。こう見ると、お二人は大変お似合いですね」
フィリップはナタリーとケヴィンを交互に見て眉を寄せて微笑んだ。
どこか眩しいものを見るような表情だった。
ナタリー自身も照れ臭い思いを抑えて、顔を引き締める。
「あなたの謝罪は受け取りました。けれど、これからは皇帝陛下の裁きに委ねることになる。私たちの方から、許す許さないという話はできません」
「ええ。それは分かっているつもりです」
ナタリーが諭すような口調でそう言うと、フィリップは既に諦めているかのように肩を落とす。
決して許してもらおうとここに来たわけではないようだ。
「あの……最後に一つだけよろしいでしょうか」
フィリップはおずおずとそう言った。
視線を彷徨わせ、どこか迷っているように見える。
「サラは……妻は、これからどうなるのでしょう」
言葉を口に出しながら、一体自分は何を言っているのか分からない。
フィリップからはそんな戸惑いを感じる。
「どう……と言われても。それこそ裁きに委ねるほかないでしょう」
ケヴィンは眉間に皺を寄せて答える。
そんな当然のことを何故フィリップが尋ねるのか、真意が見えない。
「そう……ですよね……」
フィリップは俯き、そのまま沈黙してしまった。
ナタリーとケヴィンは顔を見合わせ、どうしたものかと困惑する。
フィリップとサラはただの契約関係で、それ以上でもそれ以下でもない関係のはずだ。
現にこれまでフィリップは傍観者の立場を崩さず、今に至るまでサラを放置していたというのに、一体どうして今更そんなことを気にするのか。
仮にも妻である女性が何らかの刑罰を受けるだろうことで心配をしているのか、それとも自分も何らかの被害を被るのではとそちらを心配しているのか。
それなら、サラよりも父であるボラード伯爵の影響の方が大きいだろう。
ナタリーにはさっぱりフィリップのことが分からなかった。
「変なことを聞いてしまい失礼しました。お忙しいところ、お邪魔して大変申し訳ありませんでした。では、私はこれで失礼します」
結局、そう結んでフィリップは帰って行った。
何とももやもやと疑問に残る終わりだった。
「……私たちも帰りましょうか」
「そうだな」
「何だか、アンカー辺境伯領が恋しいです」
ナタリーがそう言うと、ケヴィンは少し目を細めて見せた。




