進藤先生の挑戦問題
ざっと見渡すが黒板、人数分の机や椅子、教卓といったようないかにも普通の教室の備品ばかりが目に入る。
「使えるもの……めぼしいもの……何もないんじゃないのか?」
そもそも教室に人を傷つけられるものなどが置いてあるとは考えにくい。
「せめて……元は化学実験室でヤバめの液体とかビーカーとかが置いてあったりすればなあ……」
仮に実験室だったとしても硫酸だのの危険な液体が放置されるなんて杜撰すぎる。馬鹿なことは考えてないで捜索を……と思ったその時だった。
「……? ってこれはビーカー?」
ゴトンと音が鳴り、こちらに何かが転がってくる。掴み上げてみるとそれは紛うことなきビーカーだ。
「さっきまでビーカーなんて無かったよな……いや、見落としてたのか……ん? 待て、違う。何かおかしくないか?」
そうだ。これはおかしい。できすぎている気がする。
普通に考えて教室にはビーカーは置いてない。なのに俺がさっきビーカーがどうのと口に出した瞬間に現れた。
――もしかして何もないところから現れたんじゃないのか?
「待て待て、それだけじゃないよな……」
ある仮説が浮かび上がるとともに景色がいくつもフラッシュバックする。
――たとえば消火器。
お世辞にも力があるとは言えない俺が消化器を叩きつけて破裂させられるのか?
――たとえば犬との攻防。
スプレー缶を都合よく口に突っ込めるものか? キャッチボールもろくにできない反射神経で?
これら全てを偶然と考えるのは強引ではないか? 全て、俺が無自覚にやったと考えた方がまだ説得力があるのではないか?
そう考えると俺は何ができる? 何をしたらどうなった? パズルのピースがパチパチとはまり、ひとつの絵を作り出す。
信じられないような、けれどもそうとしか考えられないその絵の正体は――!
「!?」
直後、ズドンと轟音を立てながらドアが倒される。
「ふう……。東雲さんは剣道か何かに精通しているんでしょうか? 流れるような素早い動きは素人とは思えませんでしたよ」
「小さい頃から一緒にいるけどそんなことは言ってなかった気がしますけどね……」
そういう先生はやはり武道の経験があるのだろうか。負傷した様子や疲れがあまり見えないあたり強烈な打ち合いをしたのではないらしい。
「さて、この時間であなたはどんな準備ができたのでしょうか? これから見せてもらいますよ!」
「っ!」
サーベルを片手に突進する進藤先生に対して箒を両手で持って応戦する。攻撃なんて当たるとは思えない。ならば、とにかく防ぐことを考える。
「どうやら東雲さんほどの運動神経は持ってないようですね」
ガリガリと連撃を放ち、あっという間に箒をぼろぼろの木片に変えてしまう。
「なんだよこのめちゃくちゃな速さは!?」
「異能力者の生徒を預かるのです。弱ければ話にならないでしょう!」
そう言って攻撃力も防御力もゼロに等しい木片に最大限の突きを放つ。
「ぐああっ!」
その衝撃をもろに受け、俺の体が宙を舞う。机を飛び越え、黒板に強く体を打ち付けられる。
「く……くそ!」
這いつくばったまま、ゆっくりと手を伸ばして武器を取る。何かを握って立ち上がる、それだけでも継戦の意を示せるはずだ。
「黒板消し……ですか?」
「……盾にもなるし、トンファーみたいに使えるとも思いませんか?」
よろよろの腕で振り回しながら威嚇のような何かをする。何をしているかは自分ですらよく分からない。
「見た目はそうかもしれませんが、武器としての実用性はないでしょう。それもはたき落として試験は終了としましょう。ふたりの成績は悪くありませんよ、その点はご安心を」
そして試験終了のチャイムの代わりにサーベルがシュインと音を立てる。
俺の手の黒板消しだけを的確に射抜こうとするその軌道。正確に予想通りに動く軌道を見ながら思う。
「……黒板消しはチョークで描いたものを消すものだよな。だったらさ、そのサーベルだって消せるって理屈になるんだよ」
そのまま黒板消しをサーベルに向かって思い切り突き出し衝突する。その瞬間、
「涼夜君? 一体何を言って――」
その台詞の最後は、サーベルの切っ尖と共に消失する。
「な……何を、刃が……なぜ消えたのです!?」
その様子に攻撃の手を止めて思考を始めようとする先生。その止まった隙は俺は逃さない。
「まだだ、刀身も全て消してやる……!」
「一体何が……!? いや、とにかく今は応戦を……!?」
黒板消しを一振りすれば、ぶつかり合ったサーベルは少しの抵抗もすることなく綺麗さっぱり消えてしまう。まるで最初から存在などしなかったかのように。
それを何度も繰り返す。黒板消しとサーベルがぶつかり合うたびに、チョークでできた剣は一方的に削られていく。
鍔迫り合いという概念が消失したかのような決闘だった。
「な……な……!?」
「やっぱりうまくいったか……! なら、俺の異能はこれで確定だな!」
「い、異能!? まさか涼夜君、異能が目覚めたのですか!? この土壇場で!」
「目覚めた、というよりは既に目覚めていたものにやっと気づいたって感じですかね」
そう、消火器を破壊したのも、犬を撃退したのも、サーベルを無力化したのも全て俺の能力だったのだ。
「これらの事象には全部共通点があったんですよ。俺がやりたいことを口にするという共通点がね」
「つまり君は、しゃべった内容を現実にできると……?」
「いいえ。いくらなんでもそれは破格過ぎるでしょう。世の中そこまで甘くはないらしいです」
進藤先生の話し振りを真似しながらペラペラと推理を話す。気分はまるで探偵になったかのようだ。
「事実、ビーカーと硫酸が欲しいと言って現れたのはビーカーだけだった。そして、俺は空を飛べると言っても羽が生えてこないということからも分かるように、非現実的なこと、正確には俺が信じられないことは起こさない。これらをまとめると俺の能力は……」
そう。俺の能力で現実に干渉するにはある条件を満たす必要がある。それは恐らく――
「自分が信じられる屁理屈による現実改変、言ってみれば《上書き》、それこそが俺の能力だ!」
「くっ!」
「させるか!」
袖に隠されたチョークを進藤先生が構えるもチョークである以上俺の屁理屈に逆らうことはできない。黒板消しで弾き飛ばされたチョークは、地面に打ち付けられて粉々になるよりも先に塵になって消えてしまう。
尻餅をついて倒れた先生の喉元に黒板消しを突きつける。これでチェックメイトだと言うように。
「触れるだけで消えるなんて、あまりにも現実離れした能力ですね……」
「先生の実体化も大概でしょ。それでこそ異能、それが異能ってことなんでしょう? ところで、これで俺達の評価はどうなるんですかね?」
最高評価をつけて試験は終わりだ、その意味を込めての勝利宣言だったが、先生の出した評価は予想とは違うものだった。
「確かに評価は最高をつけるのが筋でしょう……それも、これを防ぐことができればの話ですが!」」
「っ!?」
ポケットからプラスチックの箱を取り出した――まさかチョークケースか。確かに教師ならば持っていて普通。授業のためと考えられるが、この教師に関しては別の意味を持ってしまう。
そこまで考えが及んでいた時には既に先生の手の間には複数のチョークが挟まっていた。
「涼夜君の理屈に従えば黒板消しに触れればアウト。では君の体に直接攻撃をすれば――?」
こちらの能力を把握するなり即座に別の方法で反撃を試みる。その頭の回転の速さは流石教師といったところか。
「やっば……!」
対してこちらは完全に油断していた。今更回避行動も新たな屁理屈を生み出す余裕も俺にはない。
――詰めが甘かったか。そう思った瞬間だった。
「させないんだけど!」
「がっ! 東雲さん、まだ動けたのですか……!?」
いきなり飛んできた箒がチョークもチョークケースも全てを吹き飛ばす。俺に攻撃することだけを考えていた先生もまた周囲への注意を怠っていたのだ。
「最後は譲ってあげるよ。その目覚めたっていう異能でなんとかできるんでしょ?」
箒を投げつけた、しのがうつ伏せになりながらそんなことを言ってくる。なんにせよこのチャンスをみすみす逃す選択肢はない。息を吸い込み、呪文を唱えるかのように異能を発動させる。からくりを知らなければ発動の合図すら分からない、その能力を。
「マンガやアニメで腐るほど見てきた。皆成功させてたんだし俺にだってできるだろ。……首に手刀を入れて気絶させることくらい!」
そんな言葉を吐きながら手刀を放つ。日常的に使うことがないから比較なんてできないが驚くほどスムーズに首の急所のようなところに刺さった……ような気がする。
「ぐふっ……! なるほど、君の異能は末恐ろしい……正しく使いこなせるように……なってほしい、ものです……」
どさりと崩れ落ちる先生を見て、やっと一安心だと息を吐く。
「先生に暴力振るうなんて不良の始まりだね。職員室に連れてかれるかもよ?」
「何言ってんだ、正当防衛だろどう見ても。しかも俺の能力見ただろ? 教師の圧も妙な校則も正面から打ち破れるぞこれ。どこに連れ出されたって平気だね」
「うわあ、早速悪用する気満々だね。下手なことして私を巻き込んだりしないでよ?」
「その時は、しのも異能を使って自己防衛しなよ。早いとこ能力を身につけないとろくなことにならないぞ」
「そこは私も守りながら上手く立ち回ろうよ?」
馬鹿なことを口走りながらふと気づいたようにハイタッチする。共に何かを成し遂げた時は何となくこうするのが習慣となっていた。
「お疲れ様。私達の完全勝利だね!」
「異能力者の高校デビューとしては上々すぎる結果だよな」
能力は分かったし勝利も収めた。ここから先、異能力者にとしての俺に様々な試練が待ち受けていようともあの手この手の屁理屈で切り抜けていける、そんな確信があった。
普通と違う高校生活を駆け抜けるならば普通とは違う方法で、だ。
今までは屁理屈をこねても白い目を向けられるだったがこれからは違う。その気になればなんだってひっくり返せてしまうのだ。
できればこの島だけでなく、本土に戻って使ってみたいと思いながら定刻を知らせるチャイムを聞く。
それはまるで試合終了を告げるゴングのように俺の耳には響いた。