進藤先生の基本問題
「うわ、ユウ! どうしようこれ!?」
「どうもこうも逃げる一択だろこんなの!」
いきなり異能を測るとか言われたところで何かできるわけでもない。
まずは一旦落ち着かなくてはならない。そのためには襲い掛かって来る教師からとにかく身を隠す必要がある。
「そんなこと言っても地の利なんてないでしょ私達!」
その通りだ。入学したばかりで、ろくに散策もしていない学校だ。逃走方向から推測して先回りされる可能性が非常に高い。
なら――!
「消火器を叩き割って目くらましにしてやる! 思い切り叩きつければ破裂くらいするだろ!」
そう言って横に立てかけてあった消火器を両手で掴みながら一気に硬い床へと打ち捨てる。
「なっ!? 備品になんてことをするんですか!」
「仕様の分からない異能よりも手近なものに頼って何が悪い! しの!」
「任せて! とりあえずこっちに行くよ!」
ホワイトアウトする視界の中、手を引っ張られながらふたりしてその場を離脱する。俺もそうだが進藤先生もしばらくは消火器の泡に目をやられて動けないはずだ。
「まずはなんとか、時間は稼げたな……!」
「くっ、そう易々と逃げられるとは思わないことです!」
一目散に駆け出した俺達は、先生が異能を発動させたその瞬間を見ていない。ただ、一部始終を見ていたクラスメイト達が面白くなってきたとばかりにその様子を眺めていた。
*
「とにかく、異能についての情報を整理しないとな」
階段を上ったり下りたりしながら違う校舎へと渡り歩き、人気のない廊下へ腰かける。長い廊下の中央で陣取れば、見つかっても反対方向に逃げることができる。いつ先生の靴音が聞こえても対応できるよう集中しながら口を開く。
「異能を測るとか言ってたよね。やっぱりもう私達も異能が使えるのかな?」
「自覚がないだけで、もう能力が目覚めてる……ってのはありそうな話だよな」
いくら異能力者向けの教育機関とはいえ、能力が目覚めても無いのにリンチじみた真似はしないだろう。いや、もしかしたら土壇場での覚醒を促すとかそういう目的があるかもしれないが……。
「……島に拉致した時点である程度は能力が目覚めてるって考えた方がいいかもしれないよな」
「だね。こんなところに一般人を連れてきても意味ないもんね」
恐らく拉致すると決めた段階で能力が使える可能性が極めて高い、くらいまでのことはあっちも分かっているのだろう。だったら、
「私達も、もう能力が使えるかもしれないってことだよね」
「そうなるよな。ただ、異能の片鱗があるかっていうと正直心当たりがないんだよなあ」
朝食を食べてたらスプーンが180°曲がった、みたいな目に見えるような兆候は少なくとも経験がない。
だから自分の能力をこれまでの生活から推測するのは率直に言ってかなりキツい。稼いだ時間で答えが出せるものかどうか……。
「せめて先生の能力が分かれば近くのもので応戦できるかもしれないんだけどね」
「チョークが光ってたのは見たよな? 少なくともあのチョークを奪い取れれば先生は能力を使えなくなるかもしれない……」
「今のところ、それくらいが有効打だよね。ただ、チョークからビームが飛んでくるなんて能力だったらそれもかなり難しくなるね……」
「だよなあ……。かといってチョークがサーベルみたいに変形してもそれはそれで厄介だしな……」
「ふふ。発想は面白いですが、私の能力はそんなに単純なものではありませんよ」
間違えた生徒の答えを訂正しつつ、そのうえでフォローする。その教師然としたコメントが俺達を発見した第一声だった。いや、発見したのは恐らく進藤先生本人ではないだろう。
先生の足元に付き添っている白いものを見て確信する。そう、
「犬に後をつけさせたのか……!」
白い体の大型犬。そう聞くとサモエドのようなものを想像するが目の前の犬はそれとは違う。体が透けているのだ。輪郭が白線で構成された犬型の何か。
昨日までの俺達ならその何かを言語化することはできなかっただろう。だが、今ならできる。
「つまり、それが先生の能力なんだね。これは多分、チョークで描いたものを実体化させる能力……!」
「東雲さん、正解です。私が知っているものは描けば何でも実体化されるのですよ。私の知識を生徒に身をもって教える。そう、《教育》という能力です」
「くそ、そんなのに付き合ってられるか! 手筈通り一旦退くぞ! 能力が分かったんなら後は武器さえあれば……!」
「涼夜君の判断能力は中々いいですね。ただ逃げるのではなく、反撃についても考えている点も好感が持てます。私は好きですよ、そういうのは。しかしそう上手く事は運ばせませんがね」
「ユウ! その先!」
「っ、読まれてたのかよ!」
「グルルルルッ……!」
逃げようと背を向けたその先、廊下の奥の曲がり角から顔を出したのは二頭の白い大型犬。この先は通さないとばかりに不可視の歯をむき出しにして威嚇する様子が目に入る。
「前門も後門も犬に挟まれたんならもう戦うしかないってわけか……!」
「さて、いよいよ実践編ですがどう出ますか?」
進藤先生の合図とともにチョーク製の忠犬が一斉に走り出す。まともに走って振り切れるはずがない。となるとどうにかして無力化するしかない。
だが警察犬を考えてみろ。犯罪者をぶっ倒すほどのポテンシャルを犬は秘めている。素手でどうこうできる相手じゃない。どうする。どうやって凌ぐ?
「ユウ! 一か八かこれを使うのは!?」
そばのロッカーへとしのが走り、何かを投げつけてくる。スプレー缶にほうき。学校なら常備してある掃除用具だ。切れる手札がこれしかない以上戦うならこれしかない。
「小さいころはほうきを振り回して遊んでたっけか。そうだ、見えない敵に戦ってたあれとやることはなんら変わらないはず……後ろは任せるぞ!」
「任せてよ! 下手に倒されたりしないでよ!」
「それはこっちの台詞だっての!」
吐き捨てるように言ってから目の前の犬に集中する。まずは先行した一頭。こいつが飛び掛かりながら俺に喰らいつこうとする。
「大丈夫。アクションゲームで見た戦闘に比べればたいしたことの無い動きのはずだ……!」
バックステップでまずは牙をやり過ごす。しかし野性的、なんて言葉が生まれるのも納得の俊敏な動きで追撃に出る白い獣。
だが、しっかりと動きの見えている今なら――!
「喰らうなら俺じゃなくて、これにでもしてろっ!」
「ガ、ガウアアッ!?」
手に握られたスプレー缶を上あごと下あごのつっかえ棒になるように押し込んでやる。これは力任せに砕けるようなものではない。しばらくはこれで何もできなくなるはずだ。
「実際の犬じゃないから罪悪感がなくて助かるな……!」
「ガアアアアゥアア!」
動きを封じた犬の背後からさらに別の犬が間髪入れずに飛び掛かろうとする。
このチームワークは犬本来の特性として実体化した時から持ち合わせていたのか、それとも先生が裏で制御をしているのだろうか。いや、今はそんなことはどうでもいい。
「すぐ突っ込んでくるのは予測済みなんだよ!」
箒を小学生のように槍に見立てて構えてみる。ならば犬の開けた大口は破壊すべき的になる。
「華麗な槍捌きはともかく、真っ直ぐ突くだけなら俺でもできるだろ……!」
槍と右足を引いて突きの構えを取る。それを前に突き出すというシンプルな動作を全身全霊で行う。
「ら……あああっ!」
「ギャアウッ!?」
飛びかかるということは頭上から一直線に落ちてくるとも考えられる。単調な動きのその的は見事箒で貫かれ、文字通りチョークの怪物を負け犬にへと格下げされた。
「小さい頃に箒振り回してて良かったね」
見ると、しのも箒を握り締めながら倒れ伏す犬を眺めていた。
「戦果だけみると否定できなくなるからやめなよ」
「……それでどうする? このまま先生とこれで戦う?」
箒を軽く振りながらしのが言う。ふたりがかりで武器もあるというのはかなり優位なように見える。
「これで武術の異能でも持ってれば躊躇う必要はなかったんだけどな……」
ただの箒で何でも実体化できる能力に勝ち目があるのか? 人数差など問題にしないチートこそが異能ではないのか?
そんな迷いをよそに進藤先生がチョークを振るう。
「ただの箒でここまで善戦するとは驚きました。上出来ですよ。ならば、ここからは挑戦問題といきましょう」
チョークを縦横無尽に動かしながら、できた軌跡は通路の奥や窓に張り巡らされていく。窓から飛び降りることも、後ろに逃げることも許さない袋小路が組み上がっていく。
「びくともしない……まるで牢屋だよ!」
握られた武器で破壊を試みるも、チョークでできているとは思い難い硬度に圧倒される。
「これでもう逃げられないって言いたいのか……!」
「先程私の能力をサーベルだと予測していましたが、いいですね。それも採用しましょう」
続け様に棒状の軌跡を描きながら先生は言う。程なくして実体化されたのはまさにサーベルと呼ぶべき一振りだ。
「……サーベルと箒での決闘、面白いね! 乗ったよ!」
「しの!?」
用意された戦場に飛び込むように踊り出るしの。命が取られることはないだろうが考えなしに突っ込んでどうにかなると思っているのか。
「ユウ、私がどうにか食い止めるからその間に勝ち筋を作ってよ。私より頭の回転は速いでしょ? そこの教室には入れそうだし」
「……!」
見るとチョークの金網で作られた牢屋は教室にまではその力が及んでいない。頼みの綱は確かにここにしかなさそうだ。
「異能でも違法なものでも何でもいいから先生を倒すの、任せていい?」
「違法って……まあ、どうなるかは保証できないけど善処はする」
「オッケー。じゃあ……行って!」
扉を開けて飛び込むと同時にサーベルや箒の衝突音がそこかしこに反響する。
「しのならきっと時間を稼いでくれる。だから早いとこ、何か見つけないとな……!」
教室の備品から勝ち筋を作り出す。詳細不明の異能力の把握という無から有を作り出すことに比べればまだ現実的なはずだ。
限られた時間の中で正解を必死になって模索する。まるで本当のテストのような状況だが、一方的に異能で嬲られるよりは状況はずっといい。だから何とかなる。何とかしてみせる。
そう決意して俺は、頭をフル回転させながら教室を見渡し始めた。