特別指導を上書きせよ
「なんでここにいるんだ、《避難訓練》の指導に行ったと思ったのに……!」
「決まっているでしょう、涼夜君。これも指導ですよ」
タバコを吸うかのようにチョークを取り出した先生は、しのの鏡写しのようにそれを構える。
「指導は指導でも『特別』が付きますけどね」
「俺達は特別扱いされるほど大層な生徒じゃないんだけどな……」
「そうですか? 大体のものが揃うこの島をわざわざ脱出しようと考える人は、かなり特殊だと思いますよ! ――《白亜の番犬》!」
先生は何もない空間に、あたかも黒板があるかのようにチョークを固定し滑らせる。目にも留まらぬ速さで描かれるその軌跡は尻尾、足、牙のパーツへ早変わりする。すぐに真っ白な猛犬の完成だ。
「させないわよ! 燃えなさい!」
エマがその速度に対応して絵の具を取り出しその手に纏う。先生が犬を消しかけるのと同時、じゃんけんのような異能のぶつけ合いだった。
飛びかかるチョークの犬。その正面には火柱が立ちのぼる。ミサイルのように突っ込んできた犬。それが炎の壁の前で急停止する。この異能のじゃんけんはエマに軍配が上がったようだ。
「先生が犬を戦わせるのは知っています。チョークでできていても獣は獣。思った通り炎は苦手なようですね」
「素晴らしい異能です、空無色さん。ところで、その能力の中に私をすぐに倒せるものはありますか? 時間をかけていると増援が押し寄せますよ?」
「……! 狙いは時間稼ぎってこと!?」
「俺達を島から逃がさないつもりか! けど、なんで待ち伏せができたんだ……!」
待ち伏せして時間稼ぎをしてる間に他の先生の応援を待つ。そのうえで袋叩きにする。確かに学生の捕獲ならこれほど有効な作戦はない。
けれどもこれには大前提がある。それは俺達が脱出を企てていること、決行するタイミング、脱出経路。それら全てを把握しなくてはならない。
特に決行のタイミング、これは突発的に決めたものだ。仮に三人の中にスパイがいてもここまでの先回りは――
「スパイも監視もしていませんよ。ただ計画を予想しただけです。分かりますよ、教師……いや、私には」
さらに数匹の犬、そしてサーベルと自分の武器を次々描いていく先生。ここまで俺達の動きを読んだ人だ。増援の手回しもきっちりやっているはず。
となればまともに戦闘して時間、体力を浪費している暇はない。
「なら……!」
「おや、涼夜君が戦いますか? 黒板消しもないここで何をしてくれるのか非常に興味が湧きますが」
以前俺は黒板消しで先生の異能を全て消して勝利をもぎ取った。今回は同じ戦法は使えない。黒板消しなんて持ってきていないし、教室に取りに戻るなんて論外だ。
その状態で、屁理屈だけで戦えと言われてどうすべきか? 先生はそう問いたいのだろう。
――その答えを俺は既に持っている。
「しの、エマ。俺が先生を速攻で倒す。その後すぐに脱出するからそのつもりで頼む」
「なんか悪いこと考えてるよね。いいよ、じゃあその悪知恵に乗っかることにするよ」
「ふーん、大口を叩けるだけの切り札でも作ってきたの? ま、お手並み拝見といかせてもらうわね」
「策があるようですね、涼夜君。しかし生憎と防いでみせますよ。生徒の成長を受け止め、本気でぶつかり、さらなる成長を促す。立派な教師の仕事です。……それはそれとして《上書き》の異能の使い方に興味もありますが」
「後者の方が主目的に見えますけどね……」
大きく深呼吸をして頭をリセットする。ぶっつけ本番ではあるが、先生相手なら発動するはずだ。
「先生の言うとおり、《教育》の異能は黒板消しで一度倒している! それは俺が異能で弱点を作り出したからだ! 一度できてるなら二度目以降も成功して当然だ!」
言葉は強く。世界はほんの少し俺に優しくできている、そう信じて疑わずに叫ぶ。
そしてイメージ。自分の手に、相手を打ち破れるだけの力を――!
「……きた!」
その気持ちに反応して、想像通りに右腕が光に包まれる。これなら……!
エマの炎を抜けて、先生の作り出した犬へ向かっていく。これまでは逃げたり迎え撃つだけだったが、今は違う。こちらから仕掛ける時だ。
「グルルルル!!」
俺の繰り出すパンチに噛みついて反撃しようとする猛犬。その牙は確実に俺の拳を捉えていたが痛みは感じない。
それは痛みを感じる前に片がついたから。
「ギャアン!?」
犬の牙が、顔が、胴体が。拳に触れたところから消えていく。俺は一方的に相手の存在を消しているのだ。
その拳はさながら黒板消しのように、振り回すだけでチョークの犬を片っ端から消していく。
「黒板消しを隠し持っていたのですか!? 違う、まさか……!」
「そう! 持ってたんじゃない、作り出したんだ! 今、俺の手は黒板消しと同じ……進藤先生への特攻兵器だ!」
「なら、その手に触れずに倒しましょう!」
チョーク製のサーベルを構え、光る腕以外を狙って斬撃、刺突が乱れ飛ぶ。けれども……!
「見える!」
何本にも見える白い閃光、それを順番に右手で受けてサーベルの刀身を削っていく。
「く……入学時点とはまるで別人ですね……!」
「ユウはアタシの芸術的な攻撃をずっと受け続けていたのよ。手に握った武器一本に翻弄されるほどやわじゃないわ」
「私の《魔法》も同時に受けてたからね。あの特訓の成果出てるね、これ」
「特訓というよりはむしろリンチみたいなもんだったけどな!」
肉弾戦で負けないための特訓、しのとエマの攻撃をひたすらに捌くシンプルな実践形式の特訓だ。
アホみたいな特訓だよな、なんて当時は思っていたが恐ろしいほどにその効果は出ている。
「だったらこの攻撃はどうですか!」
突き出された刃が物凄い速さで戻っていく。フェイントの入った連続の突き。
「それも想定済みだ!」
飛んでくる本命の突きをかちあげるようにして弾き飛ばす。それでも諦めずに新たな武器を描こうとする先生、いや、即座のカウンターは間に合わないと踏んだのか自身の体にチョークの鎧を描いていく。
「――《白亜の鎧》! 涼夜君、一撃でこの鎧を破壊できますか! できなければ結果は言うまでもないでしょう!」
先生の腕もしっかりと重厚な鎧でガードされている。異能とは言ってもとてもチョークでできているとは思えない。
この武装した状態のパンチを一発でも喰らえば待っているのは教育的指導という名のラッシュだろう。
だったら先生の出題通りにあの鎧を破壊するしかない。
「――上等! 《上書き》の本気をもっと引き出してやる!!」
先生の異能を切り裂く拳にさらに力を込める。物理的な力ではなく思いのような見えない力を。
《上書き》は俺の気持ち次第でどこまでも強くなる。上書きできると強く信じれば信じただけ無茶が叶う、と思う。
俺の感情、そして屁理屈への信頼が出力に関係しているのならば――!
「どいつもこいつも必殺技を使ってずるいんだよ! お前らが使えるなら俺だって使えるはずだ!! ――《上書きせよ、鮮やかな異能を》!」
手に集まった白い光が強く発光し、凝縮する。その光を思い切り先生の鎧にぶつけてやる。
「…………まさか!」
拳への反作用、衝突のエネルギーは返ってこない。その拳は超硬質であろう《白亜の鎧》を発泡スチロールを砕くかのように粉々にしていく。
「俺は! 一度勝った相手には負けねえ! 何度だって俺の勝利に上書きしてやる!!」
鎧を貫き、拳がついに先生へ届く。勝利宣言という概念を叩きつけるかのように力強い衝撃が入り、眩い閃光に包まれる。
「か……っ!」
そして拳を振り抜いた後、目に入ってきたのは倒れ込む進藤先生だった。
「は……はぁっ……これは合格点でしょう、先生……っ」
パンチの反動か、それとも異能を自身の限界ギリギリまで使ったからか、ふらついて倒れそうになる。
「おっとっと、お疲れ様。必殺技、中々ズルくてユウらしいね」
「それ褒めてんの?」
しのに肩を貸してもらい何とか立ち上がる。先生を倒せた、必殺技が決まった。それは死ぬほど喜びたいし自慢したいところだが、呑気にそんなことをしている場合ではない。
「さっさと逃げるわよ、あの船にするわ!」
エマが指し示す船へと一直線に向かっていく。船に乗り込めば後は異能でどうとでも――
「させませんよ……!」
「やあっ!? ちょっと、なんのつもりよ!」
「空無色さん、あなたはここで足止めさせてもらいます……!」
見ると地面に倒された先生の腕から触手のような、鞭のようなものが何本も出ており、それらがエマの体にまとわりついている。走っていた俺達の中で、進藤先生は的確にエマだけを狙い撃ちにしたのだ。
「すぐに切り裂いてあげるわこんなもの……っ!?」
そういってコートに手を伸ばそうとするエマだが彼女にとっての最強の弾薬、絵の具にまで手が届かない。
「先程の炎、詳しくは知りませんが何かコートの中にトリックがありますね? ならばこうして拘束すればあなたは無力化できます……!」
「エマちゃん!? っ、ユウ! 《上書き》であれを!」
「分かってる……けど……!」
それでも体の疲労感が抜けない。腕を無理矢理持ち上げても、《教育》を打ち消せる無敵の光が手に集まらない。
「《上書き》が使えない……!?」
「私との戦いで全力を使ったからです。仮にも全力の私を倒したんですからね、余力なんてとても残っていないでしょう……」
先生は苦しそうに解説する。余力がないのはお互い様で立ち上がることすらままならないはずの先生は、それでも堅牢な異能でエマを捕らえている。
「この拘束は『指導』ではなく『教育』なんです……そう、教育は何があっても譲れないんです……!」
そう語る先生の目は普段の何かを教えてくれる時の目ではなかった。自分の仕事を押し付ける時の気楽さもない。先生自身の信念、気迫のこもった眼差しだった。
「確かこっちから爆発音がしたよな……」
「おい見ろ、進藤先生が倒れてるぞ!」
「あれは転校生じゃねえか! 不登校もいるぞ!」
膠着状態を破ったのはそんな野次馬じみた声。さっきの爆発音を聞いて人が集まって来たらしい。
「あーっ……! ふたりはさっさと脱出なさい! もう時間がないわ!」
「エマ、何言ってんだお前……!」
「私が《魔法》で何とかするよ! だからユウちゃんも一緒に!」
「馬鹿言わないで、多勢に無勢って言葉は知っているでしょ? まともにやり合えないからこそこそと逃げようとしたことを忘れちゃだめよ」
ぴしゃりとエマが遮る。エマの言うことは正しい。脱出するならそれしかない。頭では分かっている。けれどいざそうしろと言われた時に即座に実行できるかは別だ。
俺は将棋のAIなんかじゃない。戦況を数値化して最適解だけ選び続けるまねはできない。
「そうね……だったら本土に行って良い絵の具を買ってきて頂戴。高校生じゃとても買えないやつ。こんな島には絶対売ってないようなのをたくさん。できる?」
不敵に笑うエマを見てどきりとしながら俺達は口を開く。ここまで言われたら返す言葉は決まっている。
「分かったよ、使いきれないくらいいっぱい買ってくるね!」
「ついでに美術館も見て回って来るわ。死ぬほど自慢してやるから覚悟してろよ……!」
それだけ言って船へと急いで乗り込む。本当なら船の操作も《上書き》でやるつもりだったが、この状態ではできそうにない。
「あいつら船に!? おい、急いで止めに行け!」
何が何だか分からなかった野次馬も俺達が逃げようとしていることだけは理解したようで一斉に止めに入ろうとする。
「ヤバいぞ、すぐそこまで来てるって!」
避難訓練で島民や学生の荒さは知っている。この状態で船にでも乗り込まれれば詰みだ。くそ、判断するのが遅かったか――!?
「させないわよ!!」
ドゴオオオオオン!!!
「ぐあっ……! こいつ、こいつヤベえぞ!」
「そうだ、思い出した! 空無色エマ! 手が付けられない凶悪な不登校だ!」
エマの叫びと同時に爆発、野次馬の悲鳴。この爆発は、エマと最初にあった時の――
「《奪色》の攻撃だよね!? でもエマちゃんは腕が使えないんじゃ……」
「こっちにも隠し玉くらいあるのよ! この触手は破れないだろうから見せなかっただけ! 野次馬はこのアタシが全滅させてあげるからさっさと行きなさい! ――さあ、芸術的な暴力を見せてあげるわ!」
そして連続で響く爆発音。のんびりしてると爆発に巻き込むわよ、なんてメッセージが聞こえてくるようだ。
「しの、《魔法》でとにかく外洋へ……! 俺の力が戻るまでは頼んだ!」
「分かったよ、全力で飛ばすから振り落とされないでね!」
しのが指を鳴らし、船が宙に浮く。エンジンも錨もあらゆる手順をすっ飛ばしてその船に命が宿る。
「行っけー!!」
バン!! という爆音を響かせ、凄まじい推進力を背に船は進む、いや、飛んでいく。島にそびえたつ山、通っている学校、そんなものがみるみるうちに消えていく。
もう追っ手はやってこない、そんな確信と共にぽつりとしのがこぼす。
「……いざ脱出はできたけど、なんだか複雑な気分だね」
「一番最初に決めた目的は達成できたけど計算通りってわけじゃないからな……手痛い失敗もしやってしまったし……」
脱出に成功したのはエマのおかげだ。先生をひとりで倒したことを誇りたい気持ちはやまやまだが、あそこで俺ひとりで突っ走らなければ三人で脱出できたかもしれない……。
「でもさ、せっかくなら楽しまないとだよね! 陰気なままで本土で遊びました、じゃエマちゃんだけじゃなくて島の人皆に呆れられると思うよ」
「それは……そうだな」
俺達の目的は島の脱出だけじゃない、本土で遊び倒すことだ。まだ目的の完遂とは言えない状況だ。
「どうせ最後に怒られるのは確定だしな。よく考えたら先にいい思いしておかないと割に合わないな」
だいぶすっきりしてきた頭でそんなことを考える。今なら《上書き》も使える気がする。
「船のマニュアルはこれだな……。これ見ながら操縦すれば本土に着くくらいは問題ないだろ。いざって時は《魔法》もあるし」
「だね!」
そう言って操縦席で手を動かす。俺の操縦と《上書き》の補正は頭に描いた航路をなぞるように船の針路を変えていく。
「そんじゃあ、本土での冒険と洒落込みますか!」
どこまでも続く水平線。その先に待つのは正しく言えば里帰りみたいなものだが、どこか新天地を目指す冒険家の気分で船旅は続いていった。




