アイゼンという男
スパ(ベルジャン王国領)に置かれた合衆国軍第8軍団司令部は早朝から混乱に陥っていた。
「またか!今度はどこの前線拠点だ!?」
アルデンヌの森周辺に置かれた小規模な前線拠点が次々と襲撃を受けていたのだ。
「ディクソンの言ってたことが現実になったのか!?あれを更迭したバカ共はどこにいる!?」
ミルトン少将は、自分の上官に毒を吐いた。
彼もまたディクソン同様、帝国軍による攻勢の可能性ありと指摘する慎重論派の将校だ。
だが、ブラッドリー中将ら楽観論派が主流の司令部は、彼の意見を「既に帝国軍は、弱体化しており攻勢を受ける心配無し」と否定した。
ディクソンは後方勤務となったが彼が司令部に残ったのは、その地位ゆえのことだった。
「リーク大尉、このことをブリタニックホテルにいる馬鹿どもに伝えろ!」
司令部は、保養地スパに置かれており同地の高級ホテルであるブリタニックホテルは上級将校が好んで利用していた。
戦況に対しての楽観的な予測が主流になったのもそれが理由であるという見解がその後一般的になる。
「あの馬鹿どものせいで、俺の部下達が犠牲になるとは皮肉な」
前線で攻め立てられているのは、彼の部隊の4個歩兵師団だった。
そしてそのうち2個師団は、実戦経験がなく受けた衝撃から体勢を建て直せるかもわかったものじゃない。
ミルトンは、苛立ちを覚えつつブリタニックホテルの方向を睨んだ。
「この攻勢、どの程度本気なのでしょなぁ」
ホテルの朝食をアイゼン元帥と囲みながらブラッドリーは言った。
彼らは、起き抜けに帝国軍の侵攻という報告を聞いたばかりだった。
「何しろ、規模についての報告がないそうじゃないか。全貌が掴めんものは判断のしょうがない」
【第701試験戦闘団】が合衆国軍の前線拠点を潰して回っているがために、侵攻の兵力についての情報は、不明のままだ。
「攻勢の規模はともかくとして、まずは帝国を叩くといった連合軍の基本方針は有名無実化された状態なのが頂けませんなぁ……補充は減らされる一方。ここは一つ、元帥閣下の政治的なコネでどうにかなりませんか?」
元帥ともなれば、政界へのパイプをそれなりにもっている。
ましてや、アイゼンは終戦後の政界進出を見据えて行動を起こしている。
「大統領にも増援を送るよう申し上げているが……国内も厭戦気分が蔓延している現状、それは難しい」
そう言うとアイゼンは、コーヒーを口に含んだ。
「それよりもここでの議題は、帝国軍の侵攻についてだろう」
それは今話すことでは無いと言外にブラッドリーに対して言った。
「そうでしたな、では小官の見解を述べさせて貰ってもよろしゅうございますか?」
アイゼンは、顎をしゃくって話せと促す。
「小官が思うに、連中の目的はパットン率いる第3軍のけん制にあると推察致します」
パットンの第3軍は、多数の機甲部隊を保有しており停滞するジークフリート戦線の突破のため山岳戦へと移行したサルディニア戦線から引き抜かれてきたのだ。
「何を根拠に?」
アイゼンは、つまらなそうに聞いた。
彼自身の立場は、どちらかと言えば慎重論派で以前から帝国軍は敗北を認める前に大攻勢に打って出ると明言していた。
「連中にとっての脅威は、機甲部隊による優勢が失われることにあると思っております」
帝国は自他ともに認める陸軍国家であり、開戦時の電撃的な攻勢以降、機甲部隊の編成数を大幅に増やしていた。
ブラッドリーは、帝国軍の敗北は機甲部隊同士の戦闘による敗北にあると言いたいのだ。
「少し根拠にしては説得力がないな」
アイゼンは、ブラッドリーの意見を一蹴した。
「そうでしょうか……?」
少し怪訝な顔をするブラッドリー。
「前々からも言っていた事だが、帝国軍は敗北を認める前に必ず大規模攻勢を行う。それは今までの戦い方を見れば十分な根拠になる」
帝国軍の戦局の転換点には、常に機甲部隊を用いた大規模な攻勢がある。
それが成功したのがポーリッシュや自由共和国への侵攻作戦。
逆に失敗したのが、連合王国やロシャス連邦に対しての侵攻作戦だ。
「つまり、これは帝国軍が本腰を入れた攻勢であると……?」
ブラッドリーは信じ難いと言いたげな顔をする。
「そうだ、主攻でも助攻でも陽動でもない。これは帝国軍の大攻勢だ」
アイゼンは、そう明言した。
「とすれば連中の目的は!?」
現時点で集まっている情報では、主軍の場所すら特定出来ていない。
攻撃を受けたという報告は、アルデンヌの南北中央、全ての箇所から上がっている。
「それはわからん!だがこのまま手をこまねいていれば大陸から蹴落とされかねん!」
アイゼンは、手近な紙に筆を走らせた。
「兎にも角にも、即応が鍵だ。傷は小さなうちに手当しろ」
「と、とりあえずミルトンの歩兵師団に対応させますか!?」
慌てて対応策を述べるブラッドリー。
「馬鹿者!歩兵師団で機甲部隊相手に何が出来るというのだ!?」
それを真っ向からアイゼンは否定した。
「必ずしも機甲部隊とは限らないでしょう!」
アイゼンは、自身の策を否定されたことで気分を悪くしたのか強い口調になるが戦略眼の違いは明白だ。
「いいか?ポーリッシュ侵攻、自由共和国侵攻、アシカ作戦、ブラウ作戦、ヴォルゴグラード侵攻で連中は何を使った?」
実際の例を挙げたアイゼンの一言でそれ以上、強く出れなくなった。
「それは……」
「敵の主力部隊は最早考えるまでもない。これを持っていけ。第7と第10機甲師団への命令書だ」
メニューの表の裏に書かれた両機甲師団に対しての命令文。
正式な紙ではないが元帥という彼の立場がその紙に信頼性を与えている。
こうして帝国軍参謀本部の予想よりも早く、連合軍は対応策を講じることになった。