帝国軍戦闘資料 01
あらすじで紹介していない帝国の戦争の概要について触れておきます
帝国軍戦闘資料01
独裁者である総統が国家権力を握る政治体制の中、帝国は総統の意思により大陸各地で帝国は戦端を開いた。
西暦1938年9月1日―――帝国軍は東の隣国ポーリッシュとの間で開戦。
圧倒的な技術力、工業力を背景にした軍事力に対しポーリッシュの軍に対抗手段はなく開戦から1か月のうちにその国土を失った。
ポーリッシュの国土は、帝国と不可侵条約を結ぶロシャス連邦とにより、分割された。
その帝国に対し、海峡を挟んだ連合王国と西の隣国である自由共和国が宣戦布告。
西暦1940年5月―――帝国は、アルデンヌの森を抜けて西進。
自由共和国軍は帝国の精鋭である機甲部隊、空挺部隊を用いた電撃戦を前に敗走を続けた。
自由共和国の首都を陥落させるとともに、自由共和国に降伏の印を押させた。
さらに南方大陸に盟邦サルディニア王国の救援として進出、同地の連合王国軍を南方各地で追い詰めた。
同年、帝国は連合王国本土への侵攻を画策する。
ゼーレーヴェ作戦と呼ばれるこの作戦は、前哨戦であるブリテン島上空の制空権を巡る航空戦において連合王国王室空軍の頑強な抵抗により無期限の延期となった。
総統は、はかばかしくない戦況を打破すべく東の脅威を払うため不可侵条約を結んでいたロシャス連邦に対し条約を破棄して侵攻した。
1941年6月22日3時15分、バルバロッサ作戦が始まった。
連邦軍は、不意を突かれた形となり首都モスコヴァ近郊までの帝国軍の進撃を許してしまう。
しかし、冬将軍の訪れが例年より早く帝国軍の補給は、ままならず連邦軍の頑強な抵抗もあって撤退を余儀なくされてしまう。
1942年夏―――ブラウ作戦を発動し帝国軍は、連邦軍の工業都市への侵攻を行う。
しかし、逆包囲を受け侵攻した第6軍は降伏し、それ以降の東部戦線における戦闘の帰趨は連邦軍が握ることとなった。
1943年7月―――帝国軍はツィタデル作戦を発動。
戦車、自走砲を数千両投入し威信をかけて行われたこの作戦は、ブラウ作戦の失敗による損害を回復することなく実行され、失敗に終わる。
そして同月、盟邦サルディニアへの合衆国軍による上陸作戦が行われ同年9月、サルディニアは降伏する。
帝国は、合衆国軍による南方からの突き上げに備え、サルディニア王国北部を占拠し戦線を構築した。
1944年6月―――合衆国軍、連合王国軍、亡命自由共和国軍によるノルマン上陸作戦が実施され帝国の手にあった自由共和国首都は陥落。
さらに、連邦軍がパグラチオン作戦を実施し帝国軍の手に奪われた領土を回復―――帝国軍の東部戦線部隊に計り知れない打撃を与えた。
西部戦線、東部戦線の両戦線において戦況はひっ迫の度合いを増し敗色は濃厚となった。
そして同年10月――――カール大帝戴冠の地アーツェンに対し初めての本国への侵攻を受けることになる。