第二節
僕はその後、何度もやり直した。
何度も何度も、諦める事なく何度も。
けれど、何度過去へ遡って過程を変えても行き着く先は変わらない。
成人式の一週間前にまで遡ったけれど、それでも結果は変えられなかった。
何をどうやっても。
加奈と大輔が出会うことを阻止しても。
二人が連絡を取らないように工作しても。
その日程が僅かに前後するだけで、必ず加奈から別れ話を持ち出された。
だから、遡る時間をもっともっと長くした。
加奈が大輔を選び僕と別れる道をえらんだのも、そもそもクリスマスのダブルデートで二人が数年ぶりに再会したことが原因だと思ったからだ。
だから、その再会さえ無くしてしまえば今度こそは上手くいくのだろうと思っていた。
ダブルデートの一週間前。
大輔からダブルデートの提案をされた日に戻り、僕は大輔の提案を即座に断った。
その日から約二週間後。成人式の日。
僕は、加奈から別れ話を切り出された。
それからも、僕は何か解決策があると思って試行錯誤で時間を重ねた。
けれど、やっぱり何度遡って過去の時間を変えたところで、行き着く先は同じ。
遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って。
遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って遡って。
何度繰り返した事だろうか。
きっと、少なくとも数十……いや、数百回は遡った筈だ。
何度も何度も同じ時間を、何度も何度も違う過程で繰り返した。
けれどやっぱり同じ結末に行き着いてしまって。
いい加減、僕も疲れてきてしまって。
やがて、遡って加奈との別れの結末を変えることを、諦めた。
何をどうやったところで、加奈は大輔の元に行く運命だったと決めつけた。
もう、それは変えられない事象なのだと、自分に言い聞かせた。
そうでもしなければ、柔い僕の心が耐えられそうにもなかったから。
いくら自分の幸せを掴むためとはいえ、同じことを何度も何度も繰り返し、気が遠くなるほどの時間を積み重ねれば心は疲れる。
何度も最悪の結末を見せられてしまったのなら、心が折れる。
僕の心は、もう限界だった。
そうして迎えたもう何度目かもわからない成人式の日の夜。
加奈から別れ話を切り出された時、もうやり直したいなんて思えなかった。
そこからの時間の進みは遅かった。
毎日が退屈で、何をしていいのか分からない。
何を心のよりどころにして良いのかも分からなかった。
食欲が湧かなくて、何も食べない。
買い溜めしていた冷蔵庫内の食材が冬だというのに腐敗していく。
レッドブルの買い溜めもスミノフも買い溜めもとうに底は尽き、現実からの逃避すらも許されない。
かれこれ水道のカルキ臭い水しか体に入れなくなってから、ひと月が経った。
その間、僕は大学にも行かずにただ部屋で死んだように生きていた。
加奈が僕の元からいなくなるこの結末を変えられない原因をぼうっとする頭で考えながら、何もせずにいた。
このひと月間、何度考えても結末を変えられない理由なんて一つしか考えられなかった。
加奈が初恋を引きずって未だに大輔のことが好きだったという、たった一つの事実しか考えられない。
だから、好きでもない僕と付き合って、大輔と再び会う状況が来るのを待っていたのだろう。
クリスマスのダブルデートをすんなりと受け入れたのもきっとそうだ。
加奈はあまり自分の事を知られたくないタイプの人間で、そんな加奈が僕との時間を大輔に見せるなんて行動、普通に考えて取る筈がない。
だから、その背景には絶対に何かやましい事があった筈だ。
そして、そのやましい事というのは大輔との再会。
一度途切れた縁を再び結ぶ事だったのだろう。
昔、大輔は加奈に告白されてフった事があると言っていた。
その理由は加奈が可愛くないから。
けれど、今の加奈はすごく可愛い。
……いや、訂正だ。
昔から可愛かったけれど、今は比較にならないほど一層可愛く綺麗になっている。
加奈もそれを自覚していたから、きっと大輔に再び会えば今度こそは受け入れてもらえるのだと確信があったのだろう。
つまり、加奈の意識は最初から僕になんて微塵も向いていなくて、昔も今もずっとずっと大輔に向いているという事だ。
そうだ。加奈の大輔に対する想いがあるから、僕の頑張りは報われない。
簡単な話、加奈が大輔を好きにならないよう仕向ければ良いのかもしれない。
でも、そんなものは回避できるはずなかった。
加奈が大輔を好きになったのは僕と出会うよりも前の出来事だと昔聞いた事があるから。
それから、ふと、僕は思いついた。
「あっ……そうか!!」
声に出して驚いた。どうして今まで気がつかなかったのだろうと。
しばらくロクに動いていなかったせいで重くなってしまった体を持ち上げ、ベッドから降りる。
台所まで一歩一歩を踏みしめて歩く。
シンクの蛇口をひねって水を出し、戸棚から取り出したコップに水を注いでそれを喉に流し込み、コップをシンクに放り投げてその下にある扉を開く。
三つ並べてある包丁のうち、いつも持ち歩いていた一番手前の包丁を手に取る。
手に馴れた包丁の重みが懐かしい。
タオルで包丁を丁寧に包んでそれをカバンに入れると、僕は身だしなみを整える事もなく家を出た。
こうして僕は、何回目なのか明確ではない元日まで遡る。
遡ってすぐの午前二時。
大輔から電話があり、水野さんと別れた事を告げられた。
僕はそれを素知らぬ顔で聞き、さっさと電話を切る。
それから、僕はすぐに支度を始めた。
空のペットボトルをリュックサックにこれでもかと詰め込み、家の近くに有る終日営業のガソリンスタンドへと向かうと、そこでペットボトルに入る限りの灯油を買った。
ヒィヒィ言いながら家に帰ると、リュックサックを車の荷台に詰め込み、それからはテレビを見て朝が来るのを待った。
__________
お笑いの特番を見終わり、時計を見ると時刻は六時だった。
ちょうど良い時間だ。
僕は包丁は持たずに家を出た。
いつもは遡るタイミングを早くするために包丁を使っていたが、今日はそんなことを考えてはいなかった。
そもそも、この時は自分は人を殺しても捕まらないという部分だけが脳に残り、過去へ遡る力というものの殆どを忘れてしまっていた。
そう。今日は遡るために殺すわけではない。
殺す事それ自体が目的だ。
誰を殺すかって?
そんなの、もちろん大輔だ。
あいつさえいなければ、僕はこんなにも苦しむ事はなかった。
アイツさえいなければ、加奈の視線が僕ではない他の人間に向く事はなかった。
彼奴さえいなければ、僕は幸せでいられた。
僕の幸せを奪った元凶である大輔を、僕は赦さない。
簡潔的に事を終わらせてなんかやらない。
じわじわと、苦しませて殺してやる。
車を運転すること三十分。
僕は大輔の家の隣にあるコンビニにたどり着いた。
コンビニで缶コーヒーを買い、それを飲みながら荷物を改めて確認する。
大きめのリュックサックには、灯油が詰め込まれたペットボトルがゴロゴロと入っている。
その総重量はちょっとした子供ぐらいはあって、もの凄く重い。
缶コーヒーを飲み終わったところでリュックサックを背負い、歩いて大輔の家まで行く。
肩ひもが食い込んで肩が外れそうになりながらも、液体の波を立てる音に耳をすませる。
ぽちゃん、ぽちゃん。
妙に心地よく感じる音だ。
今の僕が抱いている滾る殺意を、灯油が一生懸命に抑えようと儚い努力をしているかのようだと思った。
大輔の家にたどり着くと、僕はペットボトルのキャップを開け、玄関の前にばらまいた。
強い刺激臭が鼻を突く。
これから大輔を殺してくれるモノの匂いだ。
僕はこの匂いが嫌いではない。
大輔を殺してくれるモノの匂いだからだ。
一本、ペットボトルが空になった。
次のペットボトルを取り出し、次は家の外周をなぞるようにばら撒く。
一本、空になり、もう一本、空になる。
また一本、空になり。さらに一本、空になる。
そうして、持ってきた全てのペットボトルが空になるように大輔の家に灯油をばら撒いた。。
外周を一周したら、次は窓に、玄関扉に、外壁に。
鼻歌交じりにやっていたら、持ってきていた大量のガソリンはあっという間にすべて撒き終えてしまった。
僕はズボンのポケットからマッチを一本取り出し、火をつけた。
そして、慎ましやかに燃えるその火種を、ばらまいた液体の元に落とす。
小さな火種はぼうっと音を立て、大きな炎へと姿を変えた。
その様は、宛ら小爆発のようだった。
炎は撒いた灯油を伝い、ぐんぐんと燃え広がっていく。
壁が燃え、扉が燃え、窓の桟が溶け始める。
木造の建物だから、あっさりと炎に飲み込まれていってしまう。
程なくして、大輔の家は大きな一つの炎の塊へと姿を変えた。
燃え、崩れ、燃え、炭になり、燃え、崩壊し、燃え、灰になる。
半分以上が燃えたところで、中から女性のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。
駐車場を見てみると、見慣れた大輔のクリーム色の車以外に、群青色の軽自動車が一台止まっていた。
大輔以外にも誰かいたようだ。
もしかしたら大輔よりも先に他の誰かが死んでしまう事になるかもしれないと思ったが、全員同時に手にかけたことは変わりない。
きっと、同時に殺した分だけ長く遡るだけだろう。
僕は炎から少しだけ距離を置き、そこに手をかざして暖をとる。
暖かい。
大輔の家の前を通りかかる人達は、何か珍しいモノを見るかのようにこちらをチラチラと見てくる。
誰一人として、警察や消防署に電話をかけようとはしない。
僕がここにいるのを見て、僕が消防車を既に呼んでいるのだと勘違いしてくれたのだろう。
近寄ってくる人間はおらず、僅かに近くに寄ってきていても、持ち合わせの携帯で燃え盛る木造建築の写真を撮るだけに止まっていた。
誰も、僕を止めない。
そもそも僕が火をつけただなんて想像していない。
ありがたい解釈だ。
おかげで、僕はスムーズに目的が達成できそうにある。
僕はなんだか楽しくなって、鼻歌交じりにステップを踏んだ。
復讐を成し遂げたのだと、気持ちが盛り上がってしまったからこその行動だった。
特に意味の無い行動だ。
しばらくして、一階が崩れ落ちて完全崩壊を間近にした大輔の家の中から誰かが出てきた。
火だるまになって呻くその人は、皮膚がしっかりと焼けている。
顔も例外ではなく、焦げ炭にしか見えないそれが誰なのかの判別もつかなかった。
ただ、見慣れた身長だったから、僕はそれを大輔だと決めた。
僕はこみ上げる眩暈を堪えて大輔に近づき、声をかける。
「俺にこんな事されるって思わなかった?」
僕の問いかけに対して、目の前の人物は頷くような動作を見せる。
その様子を見て、つい顔がニヤける。笑顔になる。
「そっか! なら、地獄に落ちろバァァァカ!!」
口角が一層上がった。
言ってやったぞと重い、清々しくて嬉しくて、つい口角が上がってしまった。
笑顔を崩さないまま、僕はしっかりと噛み締めるように瞬きをする。
瞼を下ろして再び持ち上げる前に、僕は優しく「さようなら」と呟く。
きっと、死を目の前に苦しむ大輔に、別れの挨拶は届いている事だろう。
これで大輔は死の運命に囚われることになる。
大学二年生の元日に、どうあがいても死ぬという運命にとらわれることになる。
僕はこれ以上の結果は無いと満足し、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
まず僕に入ってきた情報は、音。
「はい、この問題わかる人はいるか〜」
何かを問う声に合わせてカツンカツンと甲高い音がなる。
懐かしい音だ。そう、まるで黒板をチョークで叩くような。
視界が景色に馴染み、ようやく情報を認識し始める。
見えるものは何人もの人間。
同じ服を着た……制服を着た人間。
男は古風な学ラン。
女はセーラー服に深緑の紐タイ。
すごく懐かしい。
これは、中学時代の制服だ。
次に見えたのは黒板と、チョークを持っているジャージ姿の男性。
あれは、先生だ。
何先生だったっけ?
思い出せない。
先生の問いかけに対し、一人の生徒が挙手をした。
綺麗な黒髪のショートヘアの少女。
かわいい系というよりは綺麗系の少女。
顔のパーツの一つ一つが整っており、人形を彷彿とさせる容姿をした少女。
大人びた印象を与えてくるが、年相応の可愛らしさも確かに持ち合わせている少女。
懐かしい。中学時代の加奈だ。
それから周りを見回す。
隣の席では大輔が先生に隠れて携帯電話を触っている。
その前の席には、僕が以前に成人式で殺してしまった女の子が座っている。
僕はだんだんと状況が飲み込めてきた。
今回、僕は大輔を殺し、中学生時代まで遡ってしまったようだ。
けれど、それは僕にとって大きな問題だった。
眼前に広がる光景が。
遡った先の時間が。
僕の計算に合わない。
これまでの僕の経験上、大輔を殺せば最低でも小学校四年生のあたり、最長で生後直ぐにまで遡る事になる筈だった。
だが、現状を確認する限り、僕が遡ったのは中学二年生の三学期だ。
黒板の隅に汚い字でチョークで日付が書かれていて、その下には学年とクラスを示すプレート磁石が貼られているから間違いない。
妙な胸騒ぎに襲われる。
何か、いや、どこか。
何をなのかどこでなのかは分からないが、僕が間違いを犯しているような、そんな気がする。
こうして、僕は予想とは違う形で人生二回目の中学校生活を送ることになった。




