第四節
家について服を着替えると、一度ベッドに寝転がった。
なんだか分からないが胸騒ぎがした。
僕は数分ほど仰向けで寝転がった後、スッと立ち上がって冷蔵庫に向かい、中からレッドブルを一本取り出してそれを一気に飲み干す。
栄養ドリンクなどの類は控えていたのだが、無性に飲みたくなったのだから仕方がない。
明らかに体に悪い風味が鼻を抜ける。
レッドブルに含まれた成分が全身に回り、心臓がバクバクと鳴り出し、先ほどまで感じていた不安を吹き飛ばしてくれた。
気分を落ち着かせると、コートを羽織り、家を出た。
加奈を迎えに行かなければならなかったからだ。
ドアを閉めて鍵をかけていると携帯電話が鳴った。
電話の相手は大輔だ。落ち着けたはずなのに、再び胸騒ぎがした。
恐る恐る電話に出る。
「もしもし」
『 もしもしー 』
いつも通りのおどけた声が聞こえる。
『 お前、加奈を迎えに行かなくていいぞ。俺がついでに乗せていくから 』
「あ、ああ。ありがとう」
大輔は言うだけ言うと、すぐに電話を切ってしまった。
僕はただ、嫌な予感がした。なんの確証もないが、不安が僕を蝕んでいった。
三十分後、僕たちは大型ショッピングモールで合流すると、僕の車に四人で乗り込んで僕の運転で移動した。
「はじめましてぇ。水野薊っていいまぁ〜っす! 大輔のぉ! 恋人でぇーっす!」
運転を始めると、大輔の彼女の水野さんが自己紹介をしてきた。
異様にテンションが高い女性で、テンションに伴うように高い声がキンキンと頭に響く。
寒い時期であるというのにミニスカートを履いており、全体的に肌の露出が気になる服装をしていた。
この人に季節という概念は存在しないのだろうか。
と、思うが、マフラーは巻いている。
なんだかよく分からない。
「あ。初めまして。柴谷です」
「どうも。菱野です」
僕と加奈は順に控えめな挨拶をする。
それからいくつか言葉を交わし、僕たちは目的地に向かった。
目的地は別に珍しい場所ではない。
イルミネーションが綺麗なことで有名なテーマパークだ。
テーマパークと言っても、僕たちが目指す場所はそのほとんどの面積がイルミネーションに使われており、アトラクションと言えるアトラクションは無い。
あるものといえば大きな観覧車と、ごく普通のメリーゴーランド。
そして、気休め程度の小さなジェットコースターくらいだ。
東京ドーム二個分くらいの面積にそれだけしかアトラクションが無いのだ。
ちなみに、東京ドーム二個分の面積というのはテーマパークが謳っているもので、いまいちピンとこない。
もっとわかりやすい単位や表現方法はないものだろうか。
目的地に着くまでの間、車中には大輔と水野さんの話し声ばかりが響いていた。
加奈はもともと水野さんのように騒ぐタイプではない。
一方で、僕は騒ぐ時は騒ぐ人間だ。
だが、僕は理由をうまく言えないが、なぜかこの時は騒ぐ気分になれなかった。
目的地に着いたのは運転を始めてから二時間後のことで、思いの外時間がかかった。
テーマパークは四ツ谷ランドと言う二流感溢れる名前なのだが、アトラクションの少なさのせいか来る人々からは四ツ谷公園と呼ばれている。
四ツ谷公園に入るとイルミネーションの点灯時間まではまだ一時間ほどの有余があり、僕たちは小さな売店でちょっとした食べ物を買い、ボロボロのベンチに座って食事を済ませた。
イルミネーションの点灯していない公園は、アトラクションがほとんど無いせいで廃れた印象を受けた。
「そろそろ行こうか」
「そうだな」
しばらくベンチに座って話をした後、僕たちは観覧車へと向かった。
点灯時間まではあと十数分だった。
僕たちが観覧車に向かった理由はもちろん、イルミネーションが点灯されて光の海が現れる光景を空から見るためだった。
観覧車には四人で一つのゴンドラに乗った。
正直、他のカップル達も似たようなことを考えるのだろうなと思っていたから、観覧車に乗れるかは一か八かだった。
観覧車には物凄くとは表現できないが、それでも確かに多くの人が並んでいた。
だから、僕たちは運良く狙い通りの時間に乗ることができて本当に良かったと思う。
大輔と水野さんは最初の方は騒いでいたが、ゴンドラが頂点に近づくにつれて静かになっていった。
隣で加奈が腕時計を見ながら「三、二、一」と呟く。
そのカウントがゼロになった瞬間、僕たちの真下に光が咲き乱れた。
四ツ谷公園はアトラクションが不思議な配置をしていて、広大な敷地のド真ん中に観覧車があり、それを取り囲むように広範囲のイルミネーションが設置されている。
どの方角を見ても光が溢れていて、まるで現実ではないどこか別の世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。
そんな華やかで幻想的な光景を見る僕の口からは「……すごい」と、単純な感想がこぼれ出た。
隣に座る加奈も「……わぁ」と言って、感心していた。
僕らが驚いてから三秒ほど開け、正面に座る大輔と水野さんも驚きを口にする。
「スッゲェ! やばいな! 噂以上じゃんか!」
「やばいやばい! キレイだね!」
二人は幼い子供のように騒いだ。
うわぁははと大声で笑い、二人でその場でハグをして、キスをしていた。
さらに、光の海の上でキスをする光景を写真に収めていた。
ふと加奈を見ると、その二人の様子を見た加奈の表情からはイルミネーションへの感動が消えていた。
代わりに、羨むような、妬むような顔を二人に向けている。
僕は何をどうするべきか悩み、言葉を選んだ。
「イルミネーション、思ってたよりもすごいね」
「……うん」
鈍い相槌に一拍遅れる形で、加奈は不器用な笑みを作った。
やっぱり、不安がこみ上げてくる。
この時に見た光の海を、僕たちの下に広がった美しい光景を、僕は忘れたくないと思った。
隣でイルミネーションを見て感動していた加奈の顔を、絶対に忘れないと思った。
多分、こんなことを思ったのは、僕が何かよくないものを感じ取っていたからなのだろう。
当事者である僕からすれば、直前までの出来事からは何の脈絡もない話ではあるのだが。
この一週間後。一月一日の元旦。
大輔は突然、水野さんと別れた。