最終節
街のさまざまな方角から聞こえてくる鐘の音は、真白の景色に吸い込まれ弱々しくなる。
その中を、キュッと音を立てて雪を踏みしめながら二人並んで歩いていく。
加奈の足取りは、酔いと眠気から覚束無い。
「もう結構眠い?」
「うん」
「初詣が終わったらさ、初日の出を見るためにドライブしたいんだけど」
少しだけ加奈が嫌そうな顔をする。
「大丈夫。移動している間は眠っていていいよ。朝日が昇り始めるまで眠っていて構わないよ」
「だったら……まぁ」
半分眠ったような状態で加奈は嫌々了承する。
その様子がまた可笑しくて、少しだけ可愛らしくて、僕は思わず笑みが零れる。
神社に着くと既に多くの人が参拝のために訪れていて、少しだけ面倒だなと思いながらも僕たちは参拝の列に並んだ。
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「何をお願いした?」
もらった甘酒を飲み、大きな焚き火で温まりながら加奈は僕に聞いた。
「こういうのはお願いしたらダメなんだよ」
「わかってるけど、そういうのいいから」
加奈は頬を膨らませながら早く言えと催促してくる。
別段、言いたくないというわけではないため僕は口を開いた
「面白みのないことをお願いしただけだよ」
加奈が首を小さくかしげる
「ただ、加奈とずっと一緒に暮らしていきたいってお願いしただけ」
「中々にクサいことを言うね」
口角を少しだけ上げて得意げな顔をした加奈は、空になった紙コップを潰してゴミ箱に向かって投げる。
投げられたコップは見事にゴミ箱に入る。
僕もそれに倣って投げてみたものの、全くと言っていいほど的外れな方向に飛んで行ってしまった。
「だっさ」
からかうような表情で加奈が僕を見てくるので、僕は悪かったねと少しだけ怒ったようなふりをして返す。
そしてまた、下らない時間を積み重ねる。
降る雪のように、直ぐに溶け消えてしまう薄い時間を粛粛と。
「そろそろ……行こうか」
相も変わらず雪は降り続いていて、空は多分、未だに灰を被ったような色をしている。
曇天の空には良いイメージがない。
暗くてじめじめしていて、どちらかというとネガティブさを表現するような色合いをしているから。
けれど、雪を降らす曇り空はその限りではないのだと、少なくとも僕は思う。
美しく汚れのない雪を降らす曇り空は、雪というものの美しさを際立たせるために一歩引いた位置に立っているようにも、自分を汚く見せているようにも見える。
故に、雪を降らす曇り空は暗い印象よりも、素敵な印象を受ける。
優しい嘘を吐いているかのような、そんな温かみをも感じる印象を。
そんな優しく悲しい空の下、僕は助手席に加奈を乗せて車を走らせる。
加奈は既に寝息を立てていて、起こさないようにと車内には音楽を流していない。
車のエンジン音と僕たち二人の息遣いだけが聞こえてきて、僕はなんだかその時間が心地よかった。
しばらくは本当にドライブをしていた。
まだ時間は少しだけ残されていたから、その時間を惜しむようにドライブをしていた。
けれど、無情にも時間は過ぎる。
時計が表示する時間を変えるたび、加奈の運命の時間は無慈悲にも近づいてくる。
そして、僕の”最後の殺し”の時間も近づいてきてしまう。
いつか大輔を送った後に通ろうとして、土砂崩れの所為で通れなかった山へと車を走らせる。
この山は曲がりくねった道が多く、追突事故や転落事故がかなりの件数発生することで近所では有名だった。
僕はその山へと車を走らせる。
しばらく道なりに進み続けていると徐々に空が明るみ始め、僕はそこでようやく雪が止んでいることに気がついた。
顔をのぞかせた太陽に照らされ、既にミニチュア程度の大きさにしか見えなくなった真白な町並みは美しく輝く。
その光景があまりにも綺麗で、僕は終わりが近づいてしまっていることから目を背けたい気持ちに襲われた。
けれど、そろそろ時間だ。
太陽の光で眩しそうに目を覚ました加奈におはようと言い、僕はアクセルをゆっくりと力強く踏んだ。
そして、僕は言う。
「加奈……ごめんね」
「いいよ」
助手席からこちらを見ることなく、加奈は窓越しに山肌を見ながら答えた。
食い気味での返答だった。
その様子に僕の胸はキュッと締め付けられるような錯覚を覚えてしまって、止めたいという気持ちが胸中に湧き上がってきてしまう。
けれど、加奈は必ずここで死んでしまう以上、僕が最後に力を使うのは今しかない。
僕が幸せになるには今しかない。
「また……よろしくね?」
加奈が不安そうに聞いてきた。
その言葉が何を指す言葉なのか、何に対しての言葉なのかはわからない。
けれど、僕は任せてと答えた。
そして今一度、ごめんと加奈へ謝る。
優しい声音で返された「大器は悪くない」という加奈の言葉に少しだけ救われながらも、僕は更に強くアクセルを踏み込む。
百四十キロと速度計が表示していて、山道のカーブが近づいてくる。
僕は”ハンドルを手放し”、”更に更に強くアクセルを踏んだ”。
バキッ。と重い音を響かせながら、僕の車は転落防止用のガードレールを破壊してしまう。
体が浮遊感に襲われ、本能的に冷や汗が出る。
けれど、これは”僕自身が望んだこと”だ。
後悔はない。
いつの日だったか、僕は夢の中で僕が殺した人たちの姿を見た。
次々と目の前に死体が運ばれてきて、僕の犯した罪を数えさせられた。
けれど、その夢は最後まで見ることができず、あと一人の死体で殺した全員との対面が終わるというタイミングで目が覚めた。
あの時、運ばれてくる死体にはしっかりと順番があった。
どれだけ僕にとって大切なのか、どれだけ近しいのか。
その基準に沿って死体は運ばれてきていた。
一番大切だと思っていた加奈は最後の一歩手前で運ばれてきていて、最後の一人は加奈ではないことを知らされた。
愛する人が一番で無いのなら、最後に運ばれてくる可能性を持つ人物はたった一人しか存在しない。
そのたった一人こそが僕だ。
人間、どれだけ取り繕っていても結局は自分の幸せを一番に願っている。
今になってようやく心当たりに触れたが、きっとあの夢こそが僕の選択の背中を押してしまったのだろう。
正直に言えばものすごく怖い。
僕は今まで、動物や人を殺すことで何度となく過去に遡ってきた。
けれど、”自分自身を殺す”というのは今回が初めてで、どうなるかの検討はまるでつかない。
もしかしたら上手くいって過去に遡る事が出来るかもしれない。
けれど、もしかしたら失敗してただ僕が死んで終わりだなんて言う最悪の結末に至ってしまうかもしれない。
怖い。本当に怖い。
どうなるかの結末が見えないから、ものすごく怖い。
けれども、僕はもう怖いからといって後に退くことはできない。
だってほら、もう既に僕たちの体は浮いていて、地面が徐々に近づいてきているのだから。
後戻りなどやりようがない。
僕はせめて恐怖から目を逸らしてしまおうと、加奈の手を強く握って両の瞳を閉じた。
「おやすみ」
隣から震える声が聞こえてきて、僕はそれに「うん。おやすみ」と返事をする。
笑えるほど、僕の声だって震えていた。
最後の瞬間、物凄く大きな音が聞こえてきたところまでが僕の記憶だ。
痛みなどなかった。
ただ、落ちたという事実が轟音となって僕の元にやってきて終わりだ。
果てして、『 痛い 』だとか『 死ぬのが怖い 』だとかは感じることなく____
____僕は"僕と加奈を同時に殺した"。




