第五節
正直に言えばものすごく怖い。
それは、力を使うことで自分の体が壊れてしまうかもしれないという事実が怖いと言うわけではない。
ただ単純に、力を使うこと自体が怖いのだ。
これまで僕は人間や動物を殺すことで過去に遡ってきた。
つまり、僕の力は生き物を殺すことで発揮されると言うことであり、今まで例外はなかった。
遡れないなんてことはなかった。
”だからきっと大丈夫なのだとは思う”。
けれど、確信は持てない。
だから怖い。
僕は最後の一回で初めての失敗をするかもしれない。
だから怖い。
「どうしたの?」
僕の顔を覗き込みながら、加奈は僕の震える手のひらを優しく握る。
「体調でも悪い? あまりいい顔色はしてないよ?」
心配そうに聞いてくる加奈に大丈夫だよと言い、僕たちは近所のスーパーをあとにした。
「年齢確認されなくてよかったね」
缶酎ハイの入った袋を眺めながら加奈が嬉しそうに言う。
「俺たちももう二十歳なんだから年確されても問題ないって」
呆れたように僕が言うと、加奈は真っ赤な舌をチロリと出しておどけてみせた。
残り一年と数日。
そんな風に考えていた日から、その一年と数日はあっという間に過ぎ去っていった。
その間に僕も加奈も二十才になり、お酒を堂々と飲めるようになり、死の姿はもう目の前まで来てしまっていた。
僕の選んだ結末も、もう直ぐそこまで来ている。
「ねぇ。紅白派? ガキ使派?」
加奈が聞いてくる。
「ガキ使」
「よかった。私もそう」
寒さから逃れるためなのか、加奈は首に巻いたマフラーに顔を埋める。
僕も寒さから逃れるように彼女の真似をしてマフラーに顔を埋める。
そうやって二人で灰色の空の下を無言で並んで歩いた。
アパートに着き、鍵を取り出そうとズボンのポケットを漁っていると
「……雪だ」
加奈が空を眺めながら呟いた。
僕もそれにつられて空を見る。
曇天の空からは小さな白い粒たちが緩やかに下りてきていて、街をほんのりと白色に染め始める。
夕方ということもあり、明かりの灯る近所の家々からは美味しそうな料理の匂いがする。
大晦日だから尚の事なのか、その香りはいつもより豪勢な印象を受ける。
雪が降っていることで街は少しだけ幻想的な雰囲気を身に纏っており、加奈はそんな町並みを見惚れるように眺めていた。
その横顔があまりにも綺麗で、僕は加奈に見惚れる。
「俺たちもご飯を作ろう」
言葉に出すと恥ずかしい、そんな自分の行動を誤魔化すように部屋に入ろうと促す。
カラオケに行ったり買い物をしたりと散々に遊んだ後だから少し休みたかったけれど、いま休むよりは早めにご飯を作ってゆっくりとテレビを見たいという意思が合致して、僕たちはいつかの大晦日のように並んでキッチンに立った。
「指とか切らないようにね」
加奈がからかうように言ってきて、僕はその言葉に少しだけドキリとしてしまう。
それでも、その小さな動揺を悟られないようになんとか笑顔を作る。
「大丈夫だよ。知らなかった? 俺、料理が趣味なんだよ」
「えー。初耳」
疑うようにこちらを見る加奈に苦笑いを返し、僕は包丁を手に取った。
木製の柄の部分の感覚が自分でも気持ち悪く感じるほど手になじむ。
それは大きく遡る前に僕が使っていたものと同じ包丁で、使い慣れたものが良いからとわざわざ同じ包丁を探して購入した。
途中からバタフライナイフの方が使う頻度は増えたけれど、それでも僕はこの包丁をよく使っていた。
何度となくこの包丁を使って人を殺してきた。
そして、今は血の香りが微塵もしないこの包丁で蕎麦用の白ネギを切っていく。
蕎麦と雑煮を作り、スーパーで買った簡素なおせちと一緒に机に並べる。
「よし。ギリギリセーフ」
テレビを点けながら加奈が小さくガッツポーズをする。
「飲み物はなにがいい?」
「白サワーがいい」
スーパーのレジ袋からほろよいの白いサワーを取り出し、加奈に手渡す。
「あれ、大器は飲まないの?」
ちびちびと缶の中身を喉に流しながら加奈が不思議そうに聞いてくる。
「ちょっとね。俺はやめとくよ」
「えっちな事とかしないでよ?」
ジト目で見てくる加奈に「そんな心配しなくても」とジト目を返す。
そんな互いのからかいが可笑しくて、僕たちは隣人の迷惑にならない程度で声を出して笑う。
食事を終え、余ったおせちにラップをかけて冷蔵庫にしまった後、僕たちは順に風呂に入った。
加奈はガキ使が終わってからが良いと駄々をこねたけれど、僕の家はそこまでお風呂の保温時間が長いわけではないから、冷めないうちに入って欲しいと頼み込んでなんとか説得した。
それからはただテレビを見ていた。
何度も何度もお笑い芸人たちが罰ゲームを身に受けるのを見て、その中で生まれるドラマを見て、僕たちは笑顔を絶やさなかった。
死を目前にした人間は人が変わるとよく言われるが、僕たちは他人から見て変わったのだろうか。
僕は”変わることができたのだろうか”。
どこからともなく除夜の鐘が聞こえてきて、携帯電話へと新年を祝うメッセージが次々に届く。
僕はその一つ一つにありがとうという言葉を添えて返信していく。
その最中で不意に母親の名前を見つけてしまい、僕は気まぐれのようなもので母へメッセージを送った。
『 ありがとう。ごめんなさい。 』
そう、メッセージを送った。
暫くして母親から急にどうしたのかと返信が来たが、僕はそれに返信を重ねることはなく、そのまま放置した。
ガキ使が終わると眠そうに目をこする加奈を連れて家を出た。
初詣に行くためだ。
外に出ると雪はかなりの大粒に変わっていて、街はもう白以外の色を忘れてしまう一歩手前になってしまっていた。




