第七節
結局は僕も彼と同じだったのだ。
加奈のためだと思うことで自分が満たされていて、結局は自分が幸せを感じるために全てを行ってきたのだ。
今、僕は半ば無意識に幸せであることを願った。
つまりそれが僕の根本の願いであるということだろう。
何度となく遡り、何人も何匹も殺し、何度も未来を変えようと苦悩する。
その目的は僕自身が幸せになることだったんだ。
だったら、僕が長い長い遡りの繰り返しを終えるためには明確なゴールを見つける必要がある。
僕にとって幸せとはなんなのか、僕が求める幸せとはなんなのか。
人によってそれぞれあり方が異なる幸せというもの。
好きなものを食べている時間が幸せ。そういう人もいる。
時間を気にせずに眠る事が幸せ。そういう人だっている。
誰にも邪魔されずに自分の時間を過ごせる事が幸せ。そういう人もいる。
ただ生きているだけで幸せ。そんな人だっている。
好きな人の横顔を眺めていられるだけで。
報われなくとも、想い人と時間を共有する事ができるだけで。
自分と同じ趣味の人と楽しく話をするだけで。
自分を理解してくれない人と言い合うだけで。
それだけで幸せな人だって確かにいる。
幸せのあり方は人それぞれだ。
むしろ、同じ価値観を持った人と出会える事の方が奇跡だ。
幸せになりたいだなんて僕だけじゃあない。
それは皆が心のどこかに飼っている感情で、いつだって僕らに寄り添っている。
それは幸せなのか?
それは不幸なのか?
誰も求めていないのにそんな問いかけを常に繰り返してきて、僕たちの人生を彩っている。
幸せなんて言葉は一種の呪いでしかない。
幸せでなければ不幸であり、幸せでなければその人の人生は充実していない。
そんな誰が決めたかもわからない価値観に皆が縛られ、その呪いから解き放たれるために幸せを求める。
そして、皆は呪いから解き放たれる第一歩として自分にとっての幸せの定義を決めるのだ。
自分にとって幸せがなんなのか。
何がどうなれば自分は幸せなのか。
その定義がなければ人間は誰も幸せを明確に実感する事はできない。
朧げな実感だけで満足する人もいるが、僕はそうではない人間だ。
だから、僕は僕自身が幸せであるのだと明確に実感するために。
僕自身の幸せを証明するために。
僕にとっての幸せのあり方を決めなければならない。
そうしなければ、ゴールが見えない。
ゴールテープの存在しないマラソンなど誰が走りたいのだと思うのだろうか。
僕は僕自身の背中を押すためにゴールテープを用意する。
明確でわかり易い。
シンプルな僕の幸せを定義する。
まさに幸いというべきなのか、僕は僕の幸せの基準を定義するのに時間はかからなかった。
きっと、最初からその基準ば僕の中に存在していて、僕が今までそちら側を向いていなかっただけだ。
だから僕はその基準に誠実に向き合う。
僕の幸せのあり方に真摯に向き合う。
だからこそ、僕は残り二回だけ人を殺す。
それが僕の幸せのあり方を満たすために必要な力の使用の回数だから。
心の中で誰にも聞かれないよう密かに再度決意をした僕は突然、尋常ではない量の鼻血を出し、しまいには目や口からも血をこぼして机に伏すように倒れた。




