第五節
「なぁ。お前が自分の事を『 俺 』って言うようになったの、俺に気を遣っていたからなんだろ?」
重ねて言ってくる大輔に、僕は腹が立った。
どうして今更そんな事を確認してきたのかと、そう思ったから。
本当に今更だ。
「…………そんなの、俺の気まぐれだ」
「知ってるんだよ、俺」
僕の言葉を、大輔は食い気味で否定した。
それは、僕がひた隠しにしてきた中学一年の時の記憶だった。
「お前、俺と連むようになってから陰で悪口言われまくってただろ」
……大輔の言葉は、事実だ。
僕は、中学一年の時に虐めとまでは言わないのだが、それでも確かに精神が病むほどの言語による嫌がらせを同級生から受けていた。
理由は大きく分けて二つある。
小学生時代まで僕がスクールカーストの底辺にいた事。
そして、中学に入った途端にスクールカーストの最上位に居た大輔と連れ立つようになった事。
この二つが主な理由となり、僕は同級生から言葉で詰られた。
僕と大輔は親同士が知り合いという事もあり、通う小学校は異なるが互いの存在を知っていて、遊ぶ事もあった。
だからこそ、中学に入った時はこれから同じ学校に通って遊ぶ機会も増えるよなと、連れ立つようになった。
それが真実だ。
だが、人間とは自分の目に見えているものを信じてしまう生き物だ。
同級生たちは、真実を知らなかった。
小学生時代はなよなよとしていて、どちらかというと弄られて人権など無いに等しかった僕。
そんな僕が、中学に入った途端に他の小学校から進学してきたガキ大将的なポジションの大輔と連れ立つようになった。
端から見れば、虎の威を借る狐そのものだった。
僕自身は弱いから、強い人間に取り入って守ってもらおう。
他人から見れば、僕はそんな皮算用をしていた。
結果、僕と同じ小学校に通って居た人間からは陰口を叩かれるようになった。
きっと金を渡している。
何か弱みを握っている。
媚びへつらって靴を舐めている。
そうやって、ありもしない事を陰で語られた。
その陰口を僕は何度も偶然ながらも耳にしてしまった。
そして、虚言の陰口はそのうち形を変えた。
あいつはそのうち大輔から愛想を尽かされて捨てられる。
大輔があいつのウザさに気づいていじめるようになる。
だって、大輔はカーストのトップにいるけれど、大器は全くそれに釣り合っていないのだから。
その言葉も、僕は偶然耳にしてしまった。
最初は友人としての釣り合いって何なのだと腹が立っていたのだが、そんな陰口も何度か耳にしているうちに、僕の心境は変わってしまった。
だって、次は陰口の矛先が大輔に向き始めていたから。
だから、僕は僕が大輔の友人として釣り合うようにしなければならないと思った。
そう。
僕が人と話す時は自分の事を俺と言い、少し大輔のような汚い言葉遣いを使うようになったのは、僕が大輔に釣り合う友人になるため。
そのための、安直な取り組みだった。
大輔はどうやらその事を知っているようで、だからこそ、僕が大輔に気を遣っていると思っていたようだ。
僕は、腹が立った。
「……陰口を言われてたって、それは大輔には関係無い」
きっぱりと言い切った。
僕がせっかくひた隠しにしていたものを全て大輔に知られていて、何だか大輔の掌の上で踊らされていたみたいに感じてしまったから。
だから、腹が立って突き放すように言った。
「はぁ……。そうか」
溜め息をつきながら、大輔は寂しそうに言った。
その瞳は揺れながら舞い落ちる桜の花びらを捉える。
今度こそ、僕は腹を決めた。
大輔の視線はこちらへ向いていない。
だから、僕は一度折りたたんだバタフライナイフを再び開いた。
息を殺し、大輔に忍び寄る。
敷いたブルーシートが音を立てないように気を配りながら、ゆっくりと、だが素早く。
そして____
「っ!!!!」
僕は振りかぶったナイフを思い切り振り下ろした。
振り下ろしたナイフの刃先が、大輔の左の首筋にくっきりと浮き出た太い血管を切り裂く。
不思議な事に、大輔は刺される事を拒絶しなかった。
刺されてからも、僕を突き飛ばす事はせずに甘んじて刺され続ける。
僕はそんな大輔に甘え、いつも通り抉るように手首を捻り、ナイフを引き抜いた。
傷口から、赤黒い血が噴出する。
再び首元を刺す。
大輔は拒絶しない。
ナイフを抜く。
血が巻き上がる。
再び首元を刺す。
大輔は拒絶しない。
ナイフを抜く。
世界は彩られる。
大輔は全くもって刺される事を拒絶しない。
だが、さすがに痛みには負けたのか、刺される事を受け入れながら唸るような叫びを上げた。
その声に、周囲の人々が僕と大輔の繰り広げる光景に気づく。
次第に、辺りから悲鳴が生まれ始める。
痛みにもだえる大輔の雄叫びと、非現実的な光景に戸惑う周囲の人々の悲鳴。
それらが入り混じり、僕の耳はその全てを拾い切ることはできずにパンクしてしまう。
誰が何を言っているのかなど分からない。
ただただ煩い。それ以外の考えは浮かんでこない。
僕は何度となく大輔を突き刺し、突き刺し、突き刺し。
ようやく目眩に襲われたところで使い慣れたバタフライナイフを投げ捨てた。
アドレナリンが過剰に分泌されているせいなのか、周囲の喧騒は一切耳に入ってこない。
耳が聞こえなくなったのかと思ったが、自分の荒い呼吸音は確かに聞こえることから耳に異常があるわけではないと分かる。
じゃあきっと、これは神様が今目の前に広がる綺麗な景色を僕にゆっくりと見せるためにやった粋な計らいって奴なのだろう。
舞い散る桜の花びらに飛び散る血しぶきが降りかかり、浅い朱色へと染め替えていく。
その花びらの様子は遠目で見れば梅の花びらに見えないこともない。
何種もの赤が入り混じった風景をしっかりと焼き付け、僕はいつも通り瞼を閉じる。
世界から自分が切り離されていくような感覚に身を委ねる。
ふと、消え入るような大輔の声が聞こえた。
「不器用だよ、お前」




