第四節
「今日は俺がおごるからさ」
退院してから二週間ほど経ち、四月に突入した。
どの花見スポットの桜たちも綺麗に満開の姿をお披露目している。
世の人々はそれの何が楽しいのかなど全く以って理解しておらず、他人がそのイベントをメジャーな物なのだと騒ぎ立てるものだから従っておこうと花見に訪れる中、僕たちもその大衆心理のようなものに流されて花見にやって来ていた。
いや、きっとそういうわけではない。
この季節は出会いの季節だ。
僕が初めて加奈と出会い、恋に落ちた季節だ。
だからきっと、僕にとっては一番重要な季節で、大切な季節だ。
そういった理由があったからこそ、僕は大輔に花見に誘われてノコノコついてきたのだろう。
「ほら、飲めよ」
大輔がサッポロビールの缶を開け、手渡してくる。
「帰り……どうするんだよ。車で来ただろ」
「大丈夫。俺は呑まねぇから安心しろ」
そう言いながらお茶の入った紙コップを持ち上げてみせる。
「それに、そもそもこの公園って飲酒が禁止だったよな」
「バレなきゃいいんだよ」
「……バレるだろ」
「そしたら逃げるさ」
歯を出してニッと笑う大輔の様子は、一目見てわかるほど無理をしているものだった。
僕が退院してから、大輔はずっと僕に優しい。
いや、僕が退院してからというよりは、加奈が死んでからかもしれない。
どっちも似たような意味合いになるのだから特に言及する必要も無いけれど。
とにかく、最近の大輔は過剰なほどに僕に優しい。
今までのような互いを貶すやり取りをする中でも、大輔は僕を少しも傷つけないようにと言葉を選んでいるのがよく分かる。
そして、その大輔の気遣いが僕を一層傷つけた。
まるで僕を大切に扱わなければならない特別な何かがあったかのようではないか。
そう思えてしまって、そのせいで僕は加奈を失ったことを思い出してしまって、大輔の望みとは裏腹に僕は勝手に傷ついた。
だけど、あまりにも大輔の優しさを無下にしてしまったらコイツまで傷ついてしまう。
だから僕は、程よく彼の優しさに甘える。
喉に流し込んだ黄金色の液体はキンキンに冷えきっており、まだ寒さの目立つ屋外では素直に美味しいと思うことができない。
しばらく二人で青いビニールシートの上に胡座をかき、頭上に咲き乱れる桜の花々を眺め続けた。
風が吹くたびに桜吹雪が巻き起こり、僕らのつまらない現実を非現実的に彩る。
周りの人々はその度に携帯電話を構え、カメラ機能を使って写真を撮っている。
僕も彼ら彼女らに習って無意味に写真を撮る。
僕はもう、決意していた。
「なぁ、大輔」
大輔はぎこちなく首をかしげる。
「どうかしたか?」
そんなことを言ってとぼけているけれど、きっと大輔も何かを悟っているはずだ。
落ち込んでいて、自分から口を開くことをここ最近は一切しなかった僕が、不意に自分から口を開いたのだ。
何かがあるのだと、そのくらいは悟っているはずだろう。
だから、僕は決めていた言葉を放つ。
大輔が心の準備を整えるのを待つこともせず、大輔の意思を無視して僕は言葉を紡ぐ。
「お前さ……」
この瞬間に限って風が強くなったように感じる。
けれど僕は止めない。
「なんでまだ生きているんだ?」
きっと、本当は風に紛れてどんな言葉も届いていなかったのだろう。
それでも、僕にはこの言葉を放つ一瞬だけ確かに世界が静かになり、僕の言葉を際立たせたような錯覚を覚えた。
考えてみればおかしな話だった。
もっと早い段階で気付いても良かった。
どうして何度も何度も加奈が死を迎えたのか。
何度遡って何度やり直しても加奈は必ず元日の朝方に命を落としたのか。
普通に考えたら分かるはずだった。
いくらでも可能性が浮かぶはずだった。
でもその可能性が現実だった場合、僕は自分で自分が許せなくなってしまうから、それが怖くて真面目に事象と向き合う事ができなかった。
元日の朝方。
それは、僕が大きな遡りを行う際に大輔を殺した時間だ。
大輔の家に火を放ち、大輔を焼き殺した時間だ。
あの時、大輔の家には大輔のもの以外の車があった。
あの車は加奈と付き合って間もない頃に、一度だけ見た事がある加奈のものだ。
あの時、大輔の家からは女性の悲鳴が聞こえた。
僕は極度の興奮状態にあったからその時は気付けなかったが、あの声は聞き慣れた愛しい人の声だった。
あの時僕の前にやって来た、見慣れた背丈の火だるま状態だった誰かは大輔よりも身長が低かった。
はっきり言って、直ぐに分かるほどに。
けれど、あの時の僕は気がつけなかった。
それほどまでに僕は冷静ではなかったのだ。
いや、もしかしたら冷静だったからこそ、僕は気がつかなかったのかもしれない。
違えてしまった事実を受け入れたくなくて、その人を大輔だと決めつけてしまっていたのかもしれない。
僕が全ての真実の仮説……今はあくまでも仮説だ。
それにたどり着いたのは、あの夢が原因だ。
僕が今まで殺した人々が殺した時のままの姿で出てきた。
そこに出てきた大輔は焼け焦げた姿はしておらず、その代わりに加奈が全身を炭にして僕の前に運ばれてきた。
つまりはそういうことだ。
あの時僕が殺してしまったのは、僕の昔からの親友であった大輔ではなく、彼よりも知り合ったのが遅い僕の恋人だ。
だからこそ、あの時は僕の予想したよりも少ない時間しか遡ることができなかったのだ。
僕はいつも通り、ベルトのバックルからバタフライナイフを取り出す。
大輔は気まずそうに僕から視線を逸らしていて、僕がナイフを振りかざしたことに気がつかない。
今度は別に、恨みがあってコイツを殺すわけではない。
元日に大輔が死んでいないという事実はもうどうでも良かった。
加奈が大輔の元へ行くのかどうかよりも、今となっては加奈が元日に死んでしまうか否かの方が重要な問題だからだ。
「ごめんな」
聞こえるか聞こえないか微妙なラインの声量で大輔への謝罪を呟く。
この言葉は彼に届かなくても構わない。
一刻も早く、より長く僕は遡らなければならない。
それが今、僕にとって一番重要で必要なことだからだ。
僕は振りかぶったナイフを思い切り振り下ろし、大輔の左の首筋にくっきりと浮き出た太い血管を切り裂……こうとしたその時、大輔は僕の方を見ずに言った。
「……最後に」
言葉を紡ぎ始めた大輔に、僕は慌ててナイフを振り下ろす腕を止める。
大輔は相変わらずこちらを見ないままで、続ける。
「最後に、1つ聞かせて欲しい」
その語り出しに、僕は意味もなく動揺した。
大輔が『 最後に 』と言葉の冒頭を飾ったことで、彼が何かの決意をしているのだと悟ってしまったから。
「大器、お前さ。なんで一人称を『 俺 』にしたんだ?」
「……は?」
大輔の問いの意味がわからなくて、僕は固まる。
けれど、直ぐにハッとして慌てて振り上げた手を背に隠した。
大輔に見えないよう、周りの人間に気づかれないよう、静かにナイフを折りたたむ。
「俺、覚えてるんだよ。お前は中学に入学したばかりの頃は自分のことを『 僕 』って言ってたのを」
確かに、僕は中学に入ったばかりの頃は今と違って僕という一人称を使っていた。
今は人前では『 俺 』という一人称を使っているが、昔は確かにそうじゃあなかった。
けれど、大輔はそれについてどうして今このタイミングで聞いてきたのだろうか。
本当に意味がわからない。
尚も大輔は続ける。
「なぁ、教えてくれよ。どうしてお前は急に自分のことを『 俺 』って言うようになった…………いや、お前さ____
____どうして俺に気を遣ってたんだ?」




