第三節
「目……的……?」
男性から投げかけられた言葉を、一部抜粋して呟く。
胸が、苦しさを感じる。
「そうだよ。目的。君はまさか、目的も持たずに何度も過去に遡ったの?」
「そんなわけ……」
そんなわけが無いと、そう言いたかった。
けれど、言葉半ばにして僕は詰まってしまった。
「じゃあ、君の目的はなんだったの? 何度も何度も過去に遡った、その理由は?」
「それは……彼女を……加奈を救うためで」
「そう。それだよ」
そこを履き違えていると男性は言った。
その視線は街並みに向いているけれど、彼が見ているのは代わり映えのしない見慣れた街並みではない。
もっと遠くの、僕が知らないどこかを見ている……ように、僕には見える。
「君は最初、自分の為に力を使ったと言った。でも、今は加奈ちゃん? の為に過去に遡ったと言った。これはかなりの問題だよ」
男性のいうことがうまく理解できず、「どういうことですか?」と答えを請うことしか僕にはできない。
「君は何の為に過去を繰り返すの? 加奈ちゃんを自分の物にし続けるため? それとも加奈ちゃんを何かから救うため?」
「それは……」
とっさに答えることのできる言葉を僕は持ち合わせてなどいなかった。
少し考えさせてくださいと言葉を置いておき、僕は僕と会話をする。
僕はこれまで、どうして過去に遡った?
どうして何度も何度も力を使った?
どうして何人も何匹も殺し、何回も何回も加奈を失った?
僕は一体、何がしたかったんだ?
それは……
それは、
それはきっと……
「僕はきっと、加奈に幸せになって欲しかったんだと思います」
僕がなんとか捻り出した答えに男性は間髪入れずに「正解とは言えないな」と返した。
いつものように取り繕う事はなく、僕は僕を僕だと言った。
その事には、後になって気がついた。
「本当ならもっと低く採点をしたいところだけど、正解を僕は知らないから甘めに採点するとして、君の回答は六十点程度だよ」
僕の言葉に、男性は突き放すように言った。
それがあまりにも心ない言葉だったから、僕はつい声を荒げてしまう。
「何が違うんですか! これが僕の出した____」
僕の気持ちだ。とまでは言わせてくれなかった。
男性が僕の言葉に言葉を被せたから。
「僕もね、最初は彼女を救おうとしたんだ」
その彼女という言葉が、僕の使う彼女という言葉とは異なる人物を指すのだという事は、先程までの会話で理解することができた。
彼の言う”彼女”が、あの時、彼が眩しそうに寂しそうに見つめていた少女であるのだと理解することができた。
「僕は彼女を救う事が彼女の為だって思って、頑張ったんだ。だけど、ある時気づかされた」
この時の男性の顔を、僕はこの先忘れることはないのだろう。
それほどまでに、彼の顔は言いえぬ幸福と後悔に満ちた表情をしており、僕はその表情に一種の憧れを抱いてしまった。
本来相容れないであろう感情をその顔に両立させ、涙を堪えながら話すその表情を僕は忘れられない。
「結局ね」
もう、男性の声は震えていた。
「僕が彼女の為だと思っていたことは、結局、凡て僕自身の為でしかなかったんだよ。何から何まで、疑う余地も否定の術もなく……凡てが僕の自己満足でしかなかった」
それだけ言い切ると、男性はついに左の瞼から一滴の涙を零した。
この後、男性はそれきり涙を零すことはしなかった。
男性の言葉と涙に呆然としていると、男性は「急にこんな姿見せてごめんね。驚いたよね」と謝った。
「その……」
あなたのその体験が僕の回答と関係があるのか? なんてことは言えなかった。
僕のその気持ちを悟ったのか、男性も困ったように笑い、
「ごめんね。途中から僕の話になってしまっていたね。君の相談に乗るはずだったのにね」
そう言いながら、男性はスーツの胸ポケットからタバコの箱とライターを取り出した。
黒と緑でデザインされたその箱からタバコを一本抜き取り、コンビニに売っている透明なライターで火をつける。
男性がいま一本を抜き取ったことで箱の中には二本分の空間が出来上がった。
まだ開けたばかりの新品のようだ。
「タバコ、吸うんですね」
僕の問いかけに、男性は頭を振った。
「いいや、吸わないよ?」
僕は少しだけ顔をしかめた。
最初は文学的な青年なのだと思っていたが、話をすればするほど何かに囚われている変な人としか思えなくなってしまった。
噎せながら不味そうにタバコの煙を吸う男性を置き去り、僕は席を立つ。
「あ、相談事は良かったの?」
男性が僕にかからないように煙を吐きながら、目をぱちくりさせる。
「ええ。おかげさまでなんとか吹っ切れました」
嘘だ。そんなことは微塵も思ってはいない。
僕はただ、相談する気が失せてしまったというだけだ。
彼も、僕と同じで答えを求めて彷徨っているようだから。
とても、これ以上は相談を続けられない。
「そうかい。ならよかったよ。僕としては何もできていない気もするけどね」
その言葉に僕は何一つ返すことなく、屋上から出る為に扉に向かって歩き出した。
僕が扉を開けようとドアノブをひねった時、男性が「そういえば」と思い出したように言った。
「まだ自己紹介をしていなかったね」
「必要ありますか?」
「やっぱり君は冷たいなぁ。まぁ、名乗り合う事も無くこの一度きりで互いの関係が終わってしまうというのも、なんとも詩的で素敵な事だとは思うけれどね」
そうやって楽しくなさそうに一人きりで笑う男性を背に、今度こそ僕は屋上を後にした。
これが僕と彼の話。
結局のところは何か特別な事が在ったわけではなく、互いに互いの名前すら知らず、他愛もない会話をしたというだけ。
だから彼とのこの時間は、僕の幕間の物語だ。
諦められなかった僕が、諦めてしまうまでの在って欲しくはなかった幕間の物語。
こうして、僕は加奈の居ない日常へと帰って行った




