第二節
「君、ミルクティーが好きなのかい?」
男性はカバンからレモンティーのペットボトルを取り出して、それに口をつけながら僕に問う。
視線は僕が手に持つミルクティーへと向いていた。
「……まぁ、わりと」
僕はぎこちなくそう答える。
男性は、僕の返答に微笑む。
「僕もミルクティーが好きなんだ」
その言葉は、彼がミルクティーではなくレモンティーを飲んでいることで説得力が消え失せてしまっていた。
「もしかして、レモンティー飲んでるくせにって思ってる?」
「……まぁ」
男性はレモンティーのペットボトルをカバンに戻し、可笑しそうにほんの少しだけ声を出して笑った。
今までの大人しい様子からは想像できない、まるで笑い慣れていないかのような不自然な笑いだった。
「僕はね。レモンティーは嫌いだよ。甘くないし変な風味がするし、僕の口には合わない」
「じゃあどうして……」
「あの子の真似をしているだけだよ。あの子はミルクティーが嫌いでレモンティーが大好きだった。僕はそんな彼女に憧れてて、少しでも近づけるようにと真似をしてレモンティーを飲んでるんだよ」
そうやって語る男性の目は、プロ野球選手を前にした野球少年のようにキラキラと輝いている。
この人があの綺麗なセミロングの黒髪の少女に抱いている感情が本当のところはなんなのか、僕にはよく分からない。
いや、彼女はもうこの世に居ないらしいから、抱いている感情というよりは抱いていた感情という表現の方が適切なのだろう。
まぁ、そんなことはどうでも良いのだけれど。
そこからしばらく、沈黙が続いた。
男性は先程までとは違って本を読むことをせず、僕らは二人並んで代わり映えのしない街並みを眺め続ける。
数分が経ち、流石にほとんど知らない男性と並んで無言のまま時を過ごせるほど僕の肝は座っておらず、僕は沈黙から逃げるために今度は自分から話題を出した。
「会社員……ですか?」
「一応ね。そこそこの会社で働かせてもらっているし、これに関わる仕事もしている」
そう言うと、男性は先ほど読んでいた文庫本に触れた。
「会社……いかないんですか?」
街を照らす日の光がすでに西側に傾きつつあり、僕は時間的に大遅刻ではないのかと心配する。
「大丈夫だよ。サボる事なんてみんなやっている。見つからなければ、それは仕事をしている事と変わらないよ」
「はぁ……」
そこから返す言葉が見当たらず、再び僕たちは沈黙に襲われた。
その沈黙から何としても逃げたかったのか、僕は会って話して間もないこの男性に自分の力のことを話し始めた。
後になって思えばこんなのは気の迷いでしかなかったし、話すべきことではなかった。
「あの……少し、相談いいですか」
男性は不思議そうに、「僕でよければ」と言う。
迷いながらも。
「俺……過去に戻ることができるんです」
突拍子もない言葉で始まった僕の話を男性は笑うことなどせず、ただゆっくりと頷いて続きを促した。
だから、僕は話した。
生き物を殺す事で、殺した対象に応じた時間だけ過去に遡る事ができるという僕の力についてを。
何を殺せばどれだけ遡る事ができる。
そこまで踏み込んだ話をした。
けれど、力の弊害については一切話さなかった。
それを話したところで、今この場の話の本筋に何ら意味を与えるとは思わなかったから。
だから、力の弊害については一切話さなかった。
「最初は偶然だったんです。その力を使おうとだなんて思ってなくて、それでも何度も力を使ってしまって……自分の力を把握するためにも無意味に複数回過去に戻ってしまいました」
「それ自体は別に悪い事ではないと思うよ。不思議な力が手に入ったのなら、多分僕もそれがどんなものかを確認する為に力を乱用してしまうと思う。人間なら仕方のないことだよ」
僕の言葉が力の乱用を悔いている懺悔のように聞こえたのだろうか、男性は僕を正当化するように優しい言葉を被せてくれる。
でも違う。
そうじゃない。
僕が聞いて欲しいのはそんな話じゃない。
「……ある時、僕はとうとう自分の為に力を使ってしまったんです。大切な人が親友に奪われ、僕はそれが許せなくて」
「親友を殺したのかい?」
薄っぺらな驚きを表情に出しながら、男性が視線を向けてくる。
まさか。とでも主張するように、僕は頭を振る。
「いえ、次は同じ結果にならないよう、僕は過去に戻ったんです」
「それで、君は望む結果を得られたのかい?」
男性の問いかけに、僕は僅かに言葉に詰まった。
答えは否だと分かりきってはいるが、それを実際に口に出す事は憚られたから。
けれど、僕は迷いながらも言葉を紡ぐ。
「……もし、僕が望む結果を得られたのならここには居ません」
「それはクイズのような物かい?」
「想像におまかせしますよ」
「君は随分と冷たい物言いをするね」
男性は少し寂しそうに言った。
いつかの駅で見た時の表情によく似た表情で、本当に僅かに寂しいと言った様子で。
その表情は、あの少女を見つめていた時の悲観的な表情と重なって見えた。
まるで、届かないとわかっている高嶺の花に少しでも寄り添おうとするかのように。
叶いもしない夢を見るように。
それは、全てを諦めて諦められずにいる人間の表情だった。
「君の冷たい態度を見ていると、僕は昔の自分がどれだけ愚かだったのかを見せられているかのような気分になるよ」
少なくとも、いい意味でその言葉を言われているようには思えなかった。
「君が自分のために過去に戻ったのはその一度だけ?」
再び、僕は頭を振る。
「……もう、数え切れないほど過去に遡りました」
「次も遡るのかい?」
その言葉で、今度こそ正しく僕は悟った。
この人も遡る前の世界の記憶があるのだと。
大輔と同じように、僕が遡る事に付き合わされて何度も遡っているのだと。
それが疑いようもない真実なのだろうと。
僕は悟った。
「あなたは……何回目……ですか?」
男性は僕の質問に対して首をかしげ、「なんのこと?」と言った。
そこに演技などなく、その言葉は紛れもない彼の本心そのものだった。
互いに互いの顔をキョトンとして眺めた後、男性は「さっきの質問だけど」と話を戻した。
一体どの質問だろうか。
「僕から君に投げかけた質問を変えてもいい?」
あくまでも僕から投げかけた”何回目の今なのか”という質問を、”何回目の人生なのか”という質問を放置するつもりらしい。
それとも、本当に答えられないのか……
「君は何度も過去に戻って、人生を繰り返したんだよね?」
「はい」
頷く僕に、男性は僕を試すような言葉を投げかけてきた。
すぅ。と細く息を吸い込み、呼吸を整えて言葉を選んで、男性はその瞬考の結晶を僕へと放つ。
「その果てに、君は目的を達成することができた?」
僕は、胸の奥の方がキュッと縮こまるような感覚を覚えた。




