第八節
瞼を持ち上げると、僕は”遡っていなかった”。
眩暈と頭痛に任せて意識を手放した僕が瞼を持ち上げたのは、酷く暗い部屋。
あまりの暗さにぼんやりとさえ眼前の景色を捉える事ができず、いま僕が居る場所がいったいどこなのか、それを認識する事など当然のようにできなかった。
しばらくその場所できょろきょろと周りを見回していると、僕の目の前に突然ちいさな光源が現れた。
輪郭は不明瞭で、その光源から放たれる光も白ではなく薄い乳白色だ。
不思議なその光に僕の意識はなぜか釘付けになり、しばらく視線を逸らす事ができなかった。
その光の所為なのか否か、辺りの景色がぼんやりとだか認識できるようになる。
「なっ……」
僕の瞳が捉えた景色はなんとも歪で、残酷で、とてもこの世のものとは思えないものだった。
両足が踏みしめている地面はどこかの部屋の床というわけではなく、血の滴る肉塊だった。
だけれど、見た目がそうであるというだけで、踏みしめた時の感覚はコンクリートの地べたを踏みしめた時となんら変わらない。
ことのつまり、僕が踏みしめる足場はてらてらと輝く紅い地べただった。
四方を囲む壁や天井は地べたと違ってごくごく普通の真白なもので、その部分だけを見れば何も違和感などなかった。
どの方角なのかわからないが、壁には一つだけ木製の扉がある。
その扉は昔何度となく見た実家の自室の扉と同一のものだ。
不思議に思いながらも、僕は扉の方へ歩いて行く。
すると、ゆっくりとひとりでに扉が開いた。
まるで僕を誘っているかのようだと僕は思った。
けれど、開いた扉は僕を誘っているというわけでは無かったのだと、すぐに分かった。
開けた扉から一人の人間が部屋の中へと入ってきたから。
「お前……だれだよ」
その人影に向かって。
自分と瓜二つの顔をしたその人に向かって、僕は問いた。
けれど、その人物は興味なさげに僕を無視した。
そして、僕に瓜二つのその男は何か重そうなものを引きずって、部屋の中央へと向かっていく。
彼の引きずる物を見て、僕は息を飲んだ。
それは、つい先ほど僕が殺した男だった。
正確に言えば僕が殺した男の死体だ。
僕に瓜生二つの男は死体を部屋の中央へと運び終えると、何かを指折り数えて首を傾げた後、満足そうに部屋から出て行った。
次の瞬間、しっかりとした堅さを持っていたはずの地べたが急に柔らかみを持った。
それこそ、スーパーに売られている食肉に触れたような気持ちの悪い弾力を持ったようで、僕の体は相変わらずてらてらと輝く紅い地べたに、少しずつだが沈みはじめた。
放置された死体の方を見ると、僕同様に地面に沈み始めている。
やがて、死体の姿が見えなくなったところで地べたは再び元の堅さを取り戻す。
必然的に、沈んだ僕の体が地べたに固定されてしまう。
そして、何事も無かったかのように部屋には静けさと肉の腐敗臭が充満した。
しばらく経つと、僕と瓜二つの男がまた何かを引きずって部屋にやってきて、先ほどと同様にその何かを部屋の中央に引っ張っていった。
ズルズルと音立てて引きずられるそれは、また、人間の死体だった。
そして、その死体は僕の良く知る人物のものだった。
「だ、大輔……」
大輔はっきりと両目を開いているが、その双眸が何かを捉えて脳へ像を結ぶ様子はない。
よく見ると、大輔は喉元に刺し傷のようなものがある。
男は大輔を部屋の中央に放ると、再び指折り何かを数えて満足そうな顔をして部屋から出て行った。
再度、地べたが柔らかさを持つ。
ゆっくりと、だが確かに大輔の死体は地べたに沈んで行く。
体感ではあるが、数分と経たずしてその姿は見えなくなる。
既に、僕の体は膝上あたりまで地べたに沈んでしまっていた。
それからも同様の出来事が繰り返さた。
僕に瓜二つの男が次から次へと死体を運んできて、部屋の中央に放置し、指折りで何かを数えたと思うと満足そうな表情で出て行く。
すると、地べたが柔らかみを持って僕も死体も沈んでいく。
そんな意味のわからない出来事が、何度も繰り返された。
僕の目の前に運ばれてきた死体は、どれもこれも見覚えがあるものだった。
成人式の時に殺した昔のクラスメイト。
正月明けに殺したサラリーマン。
偶然ぶつかって線路に突き落としてしまった女子高生。
東京で刺し殺したホームレスのような男。
病室で殺した医者。
死体を部屋に運び入れる度に僕と瓜二つの男は指折り何かを数え、その指を折る数は死体を運んでくる度に一つずつ減っていった。
そして、指を折るその数が二本になったその後。
僕は目を見開いた。
男が、一番運んで来てほしくない人物を運んで来たから。
男が部屋にその誰かの死体を運んで来た時、僕はその死体が誰なのか、最初はわからなかった。
何故なら、男が運んできた死体の全身は炭のように黒く焦げきっており、顔など判別のしようがないほどに、しっかりと焼けてしまっていたのだ。
その状態の人間を見て誰なのか判断できるほど、僕は視覚と思考がものすごく優れているわけではない。
男は身元不明の死体を乱雑に部屋の中央に放ると、顔と思われる部分にそっと手のひらで触れ、優しい笑みで微笑んだ。
そして、僕と全く同じ声で、男はこう言った。
まるで愛しい人に向けるかのような、穏やかな優しい口調だった。
「僕に、こんな事されるなんて思わなかった?」
次の瞬間、焦げた表皮が顔の部分だけ剥がれて、死体と呼ぶにも違和感の残る炭化した物体が一体誰なのか、その答え合わせが勝手に始められた。
剥がれ落ちた表皮の内側から現れた顔は、僕が最も大切に想っていて、僕が最も愛していた人物のそれ。
話す時はあまり感情を言葉に混ぜることをせず、抑揚の薄い調子で話す。
綺麗な黒髪で黙っていると少しだけ愛想悪く感じてしまう若干のつり目。
僕の地元の女性達の中では一番美しく、可愛い系というよりは綺麗系の女性。
「か……加奈……なん……で」
瞳を閉じ、健やかな顔をして眠るように見える加奈は呼吸をしている様子はない。
そもそも、全身が炭になるまで焼けきっているのだから、呼吸などできているはずがない。
気づけば男は部屋から姿を消していて、扉の閉まる音とともに地べたが柔らかさを孕む。
僕は、さらに沈んでいく。
加奈の顔を見た後、男は先ほどと同様に何かを指折り数えていた。
しかも、とうとう最後まで来たのか、数える数はたった一。
相変わらず男は満足そうな顔をしていた。
これまでの流れから行くと、きっと最後も僕が殺した誰かが運ばれてくるのだろう。
正直に言って、その人物が誰なのかがものすごく気になる。
だけれど、僕はその人物が誰なのか知ることはできなかった。
と言うのも、加奈の死体が運ばれてきて地べたに再び沈み始めると、すでに肩まで埋まってしまって顔だけ地上に出す形になっていた僕は、あっという間に地べたに沈みきってしまったのだ。
こうして僕は”夢”から目覚めた。




