第五節
「ギャハハハハハ!お前何やってんだよ!バカだろ!」
大輔が汚い笑い声で大きく笑う。
加奈は少し戸惑ったような表情で僕を見つめる。
その何でも見通すような黒い瞳に僕を写す。
他の生徒たちは動揺した様子でザワつき、先生たちは憤慨した様子で僕を見る。
僕の正面にはゴリラが立っている。
僕が昨日、バタフライナイフと共に購入したペティナイフを片手に、他の先生と同じように怒った様子で僕を見つめる。
「おい柴谷。もう一度聞くぞ。何でこんなものを持ってきてるんだ?」
「料理をするんですよ。俺、料理が趣味なんです」
「ふざけるな! 料理が趣味だとしてもこんな物は持ってこないだろ!」
ゴリラは僕の返答に対し、血管が破裂しそうになる程青筋を浮かべながら顔を真っ赤にした。
僕は今、検査に引っかかっていた。
修学旅行当日に生徒が不要な物を持ってきていないか確認する検査にだ。
すべての生徒がカバンを開け、先生が全員のカバンの中身を見て回る。
本来ならパッと見程度で終わるのだが、僕は運が悪かった。
僕のクラスの副担任が僕の位置からチェックを開始したのだ。
そのせいで、いつでも取り出せるようにカバンのわかりやすい位置にナイフを入れていた僕はあっさりと先生の標的となった。
当たり前か。いくらなんでもカバンを開けたらすぐナイフだなんて先生に見つけてくださいと言っているようなものだ。
せめて、少しくらいは隠す努力をするべきだった。
僕は怒り狂うゴリラに対し、苦しまぎれの言い訳をした。
「別にいいじゃないですか。そのナイフ、偶然カバンに入っていただけなんですよ」
「いい加減にしろ! お前はちょっと来い!」
胸元に衝撃が走りしゃがみこんでいた僕の体がわずかに浮く。
ゴリラが僕の胸倉を掴み、立ち上がらせようと持ち上げたのだ。
そのままでは苦しいので促されるままに僕は立ち上がった。
僕に掴みかかっているゴリラの腕に力が入り、再び胸元に衝撃が走る。
僕はゴリラに引っ張られ、抵抗する事なく歩き始めた。
「はいはーい。他のみんなはとりあえず他の人たちの邪魔にならないように詰めて端に寄ってください」
取り残された生徒たちを誘導する生徒指導部の先生の優しい声が背後で聞こえる。
あぁ。しくじった。これは早速だけどやり直さないといけないな。
僕はそう思いながら、制服のベルトの裏に隠してある”二本目”のナイフに触れる。
いつでも殺ろうと思った瞬間に殺せるように、冷たいナイフに触れる。
僕がどのタイミングで遡ろうか悩んでいると、他の生徒から見えない柱の裏手にたどり着いたところで、ゴリラは足を止めた。
「お前な。このナイフ、偶然入っていたのかもしれないが、少しは隠すなりなんなりやりようがあっただろう」
そう言いながら、ゴリラはペティナイフの柄の部分を僕に向け、差し出した。
「没収じゃないんですか?」
「本来は没収でお前は親御さんに迎えに来てもらう事になるな」
「だったらどうして」
「せっかくの修学旅行なんだ。こんな事で思い出を潰したくはないだろ」
ゴリラは醜い顔で笑いながら僕の頭をポンポンと叩く。
柄にもなくて気持ち悪い。
「俺もな、学年主任という立場上はお前を教育しなければいけないんだが、それ以上に生徒全員に思い出を作って欲しいと思ってるんだ。だから今回はお前の失態を見逃してやる。高校に入ってからの修学旅行ではナイフなんかうっかり持って行ったりはするなよ?」
ゴリラからのお説教は、予想外にもこれだけで終了した。
そして、僕は問題が起きたにもかかわらず静まる事を知らない騒がしい生徒たちの群れに戻って行った。
「結局さ、ナイフの件でゴリラに何て言われたんだ? 反省文かけとかそんな感じか?」
新幹線の三列シートの窓側である一番左の席に座る大輔が興味深そうに僕を見る。
「いや、特にそんな事は言われてないぞ。修学旅行を楽しんでこいって言われただけだ」
「え、嘘だろ? ゴリラお前に甘すぎだろ。体でも売ってんの?」
「売ってるわけねぇだろ」
「ギャハハハハ! お前の体なんて誰も欲しがらねぇよ!」
「あぁ。そうだな」
大輔の汚い会話を受け流し、僕は自分の右側である通路側の席に座る加奈を横目で見る。
加奈は先ほどの出来事に動揺するわけでもなく、ただずっと手元の小説に視線を落とし続けている。
新幹線に乗り、席に着いて直ぐ、加奈は僕の方を見ずにポツリと言葉を発した。「私は信じてるよ」と。
その言葉はきっと、僕が偶然ナイフを持ってきてしまったという出来事に対してなのだろうが、僕はどうもそれだけではないような気がしてならなかった。
だから、僕は隣に座る加奈を少しの間だが眺めた。
彼女の真意を確かめる事はできないものかと、彼女を見つめた。
すると、僕の視線に気づいたのか、加奈はふと視線を上げ、僕の方を向いた。
「……どうしたの?」
「いや、特に用はないけど」
加奈は不思議そうに首をかしげる。
その動作で彼女の細く柔い髪の毛が美しく揺れる。
「何読んでるの?」
「……小説」
いや、見れば分かるって! というツッコミは心の中に仕舞っておいた。
「なんていう小説?」
「……多分、タイトルいっても分からないよ」
「そんなマイナーなんだ」
「うん」
そう言いながらも、加奈はタイトルが示されている文庫本の1ページ目を開き、僕に見せてきた。どうやら加奈はブックカバーをむやみに外したがらないタイプの人間のようだ。
ページに記されたタイトルの名前は『 ハーモニー 』。
著者は伊藤計劃という人物だった。
僕もそこそこ本を読む人間だが、この人の本はまだ読んだ事がないな。
「……知ってる?」
「いや、知らない」
「……やっぱりね」
呆れたように言いながら、加奈は小さく微笑む。
目が常時よりほんの少しだけ細くなり、右の口角がほんの少しだけ上がる。
それが感情を表に出す事をあまり得意としない彼女の精一杯の笑顔だ。
「面白いの?」
「んー。面白いかはわからないけど、いい話……かな」
「いい話かぁ」
「……読む?」
「いいの?」
「ちょうど今読み終わったから」
「じゃあ借りるよ。ありがと」
僕は加奈から本を受け取り、ページをめくる。隣では加奈がカバンから別の本を取り出し、ページを捲りだす。
十分ほど読み進めたところで新幹線は東京駅にたどり着き、先生の指示で僕たちは電車を乗り換える事になった。
とりあえずは宿に荷物を置きに行くのだが、そのためには別の電車に乗っていく必要があったからだ。
先生の先導で改札を抜け、駅のホームへと入っていく。
五分ほど待ったところで電車が到着し、僕たちはそれに乗り込んだ。
地元のものと比べるとはるかに振動の少ない電車に僕たちは十五分ほど揺られ続け、ようやく目的の駅へとたどり着く。
電車から降りる際、最初の方に降りた僕と大輔と加奈は三人で話をしながら全員が降車し、整列するのを待った。
その最中、大輔がふと思い出したかのように不思議な事を言った。
「そういえばさ、修学旅行の時、確か変な人がいたよな」
「修学旅行? いつのだよ」
「あれ、いつのだっけ。でも、確かに変な人は居たんだよ。覚えてねぇか? 目の前で事故が起きたじゃねぇかよ」
「覚えてねぇかって、俺、お前と修学旅行に行くのは今回が初めてだぞ。小学校別だったろ。だから覚えてるも何もしらねぇんだよ」
僕の言葉を聞き、大輔は口を開け、上の空になった。
そして、「おっかしいなぁ」となんども口にした。
あれは確かに東京のどこかだった、とも言った。
何度も何度も、繰り返すように口にしていた。